韓国人が糾弾する「日帝の呪いの鉄杭」の正体とは?
ここで土地問題に関連して「呪いの鉄杭」について考えてみたい。
まずは風水について簡単に説明しよう。
風水とは、大地の気脈と呼ばれる「気の流れ」を読み取り、
それを利用して国家安寧や個人の運気上昇などを図るものと言われている。
この気脈と山岳地帯が一致している場所を「龍脈」と呼び、
風水では国家の栄枯盛衰を司るものであるとされている。
漢城(ソウル)もまたそうした風水思想によって選定された都であり、北の白頭山から走って、
南の地に山に向かって流れている「龍脈」のちょうど真ん中、
挑戦半島の中心に相当する場所にソウルは位置しているらしい。
もともと風水は中国で生まれたものであるが、当時の挑戦人は中国人に劣らず風水を重視していたと言う。
そして現代の韓国人は、「挑戦半島の気脈の流れを断ち切り、韓民族の精気を断つため、
日帝は挑戦各地に「呪いの鉄杭」を打ち込んだ!」などと、とんでもない主張して日本を批判しているのだ。
これは少数のオカルトマニアが騒いでいるのではない。
金泳三【※3】政権時代には「歴史の立て直し」運動【※4】の一環として、
「挑戦半島の気脈を絶っている」鉄杭の除去作業業が韓国各地で大々的に行われているのだ。
この「呪いの鉄杭」の正体だが、実は挑戦総督府が土地調査の際に設置した、
ただの「測量標識」に過ぎないのである。
国家としての体をなしていなかった李朝時代には、まともな土地測量が行われた事はなく、
それがまた「隠田」などの不正を招く結果となっていた。
そこで挑戦総督府は、1910年から1918年にかけて200万円(現在のレートで約600億円)の費用かけて、
挑戦全土の土地測量を行わなければならなかったのだ。
目賀田種太郎【※5】を責任者に土地調査局が設置され、
挑戦全土の土地の土地所有者、価格、地形、坪数の調査、地図作成などが行われたのである。
李朝時代の土地面積を表す単位は「結」であったが、これは土地の収穫高によって租税の額を表すため、
土地面積が一定にならなかった。
このため挑戦総督府は当時の日本の面積単位である町歩制を導入して測量を行った。
その結果、すでに述べたように李朝時代の記録の倍近くに面積が増えたのである。
このような挑戦半島の近代化のために行われた土地調査を、反日教育の結果、
「日帝による挑戦半島の龍脈断ち」であると、多くの韓国人は信じているのである。
重ねて言うが、これは1部の異常者だけが主張しているのではない。
例えば韓国の全国紙「挑戦日報」でさえ、「(日帝は)“ 韓民族の精気を断つために
“高い山の頂上に鉄杭を打ち込んだ」(2004年2月17日付)などと報じているのだ。
そもそも長さ30センチ程度の鉄杭を打たれた位で流脈が絶たれると言うのなら、
現在の高層ビルの基礎工事で行う行われる地下何メートルもの杭で、
挑戦半島の「龍」とやらは息絶えてしまっているのではないだろうか?
↓
!!挑戦総督府は半島史上初の正確な土地調査を行った
──────────注釈
【※3】金泳三
第14代大統領(在任1993年〜1998年)。
慶尚南道巨済島出身。
在任中に次男の金賢哲が斡旋収賄容疑で逮捕され、その後はレイムダック政権となってしまった。
【※4】歴史の立て直し
「日本統治時代に植民地史観を押し付けられ、民族の自尊心が傷つけられた。
自尊心回復のために「歴史の立て直し」をしなければならない」という運動。
【※5】目賀田種太郎
ハーバード大卒。
明治時代の傑出した官僚として有名。
財政顧問として挑戦に派遣され、挑戦近代化に多大な貢献をした。
専修大学の創設者の一人でもある。
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