さて、中国が現状維持国家なのか現状変更国家なのかを
どのように判断したら良いのだろうか。
過去が現在及び未来の序章だとすれば、1つの妥当な方法は、
中国共産党が政権を握った1949年以降の中国の振る舞いを注意深く分析することだろう。
実際、中華人民共和国の歴史をざっと振り返って、「平和的台頭」と言う
指導部のうたい文句と過去60年以上にわたる武力侵略の歴史と言う現実とのあいだの
矛盾は明らかである。
中国の武力侵略は、1950年、世界史上最大の帝国主義的併合というべき
チベット及び新疆ウィグル自治区の征服を持って始まった。
ともに鉱物資源に富んでいるチベットと新疆ウィグル自治区合わせた面積は
260万平方キロメートル、中国の国土の30%を占めている。
これらの地域の侵略とその先住民に対する苛酷な扱いは、
中国と言う独裁国家の暗部を余すところなく明らかにしている。
こうした侵略の根拠として中国が掲げる「固有の領土」と言う主張は、
そうした「失地回復主義的」論拠を容易に認めない現代国際法とは全く相容れないものである。
同じく1950年、中国は、現代戦争史上最も効果的な奇襲攻撃によって朝鮮戦争に参戦した。
3個師団、10万人以上の兵士が夜陰に乗じて密かに鴨緑江を渡って北朝鮮に入り、
国連軍を不意打ちしたのである。
その結果、数千名のアメリカ軍及び韓国兵士が犠牲になった。
1950年代初め、中国はベトナムの独立運動を支援し、
フランスをインドシナ半島から駆逐することに力を貸した。
中国の戦略家によって綿密に計画され、中国から大量の武器供与を受けて
遂行されたディエンビエンフーの戦いは独立派の大勝利に終わり、
フランス軍はナポレオンのワーテルローにおける敗北にも匹敵する惨敗を喫した。
1954年にフランス軍が撤退した後、ベトナムは南北に分断された。
その数十年後、今度はアメリカが南ベトナムから不名誉な撤退を
余儀なくされることとなった。
1962年、中国はインドに侵攻する(これを含めて、中国がかつての友好国や同盟国への
奇襲攻撃を3度にわたって行うことになる)。
この中印戦争は、距離的に1600キロ隔たり、それぞれ独自の歴史的背景を持つ
2つの地域をめぐる国境紛争である。
中国にとってこれは、12年前のチベット及び新疆ウィグル自治区占領の延長だった。
最初(西側)の国境紛争の焦点は中国が占領したカシミール地方のアクサイチンだった。
2度目(東側)の国境紛争の原因は、インドが実効支配するアルナーチャラム、
ブラディー州だった。
中国は、現在でもこの地域を「南チベット」だと主張している。
中印戦争は、まさにホッブズの言葉通り「汚らわしく、野蛮で、短い」もの
(トマスホッブズ「リヴァイアサン」からの引用。
もともとは、戦争状態における人生について述べた言葉)となった。
それはインドにとって最も屈辱的な敗北でもあった。
この敗北はインド人のこころに、中国に対する根深い不信感を植え付けた。
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