ローマ皇帝コンスタンティヌスはネロ以来ずっと邪教扱いしてきた基督教の布教を初めて許した。
当時のローマ帝国ではギリシャ神話の神々のほか、中東のミトラ神、エジプトのイシス神、
ユダヤ人が目の敵にしたバアル神などが自由に信仰されていた。
それに基督教も晴れて付け加えられたわけだ。
しかし信徒はそれで満足しなかった。
彼らは皇帝テオドシウスを焚き付けて基督教を国教にし、他の宗教を皆禁教とさせた。
信徒はギリシャの神々を祀る聖地デルフォイを徹底的に破壊し、
バアル神殿も旧約聖書でギデオンがやったようにぶち壊した。
信徒が声高に「難病を治し、死人を蘇らせたイエスの奇跡」を語り出すと、
アレクサンドリアの美貌の哲学者ヒュパティアが「迷信を真実と教えるべきではない」と批判した。
信徒は怒り、彼女を襲って牡蠣の殻で体中の肉を削ぎ取って惨殺した。
基督教が他の宗教を許さない偏狭さと残忍さを特徴とした。
教会が街の中心に建てられ、人々は毎週ミサに参列し、
赤ん坊が生まれれば洗礼の儀式をそこで執り行った。
その度に高額の現金を教会は要求した。
カトリックは特に罪を強調し、高値で免罪符を売り出して儲けた。
異端審問や魔女借りも熱心に行った。
金持ちのユダヤ人が狙われ、親指をつぶし、焼けた鉄の靴を履かせる審問で、
魔女であることを自白させると火あぶりにしてその財産を没収した。
教会の総本山バチカンはアーミッシュを嫌った。
彼らは聖書に生き、教会に行かなかった。
教会に来なければ献金も洗礼代も取れなかった。
だから彼らを見つけるとすぐにすぐ殺した。
無教会主義を唱えた内村鑑三も時代が違えば殺される運命にあった。
16世紀の日本にも狭量で残忍な基督教を伝道するイエズス会が来た。
織田信長は「7宗が八宗になっただけ」とコンスタンティヌスのように認めてやったが、
彼らはその本性現した。
高槻城に入った切支丹大名、高山右近は城下の神社仏閣をぶち壊して坊主たちを殺した。
その狭量を秀吉がたしなめ、それでも改めないので家光が禁教にした。
おかげで日本だけが不毛で残忍な宗教戦争の埒外にいられた。
欧米がそれに気づくのは今世紀に入ってからだ。
ボストングローブ紙が130人の少年を犯した神父を告発し、
それをきっかけに英仏独などで神父の性虐待が明るみに出た。
基督教は狭量で残忍だけでなく淫乱だった。
教会離れが急速に広がった。
結果、教会への献金が減りバチカンの財政も傾いた。
法王が来日したのは献金につながる新しい信徒の獲得にあった。
特に日本の信徒数は人口比でたった0.03%でしかない。
実はマッカーサーも日本の基督教化を図り1500人の伝道師を呼んだほどだ。
しかしサレジオ会の神父が痴情の果てに日本女性を殺害。
バチカンが彼を国内に逃したこともあって信徒は減っていった。
そんな過去がある。
法王はもっと慎重にことを運ぶべきだったが、来日前に大きな失敗をやった。
隠れ切支丹への対応だ。
明治維新を前に隠れ切支丹が大浦天主堂に現れた。
いわゆる「信徒発見」だ。
ただ、隠れ信徒は教会に帰る派と、ひっそり信仰を続ける派に分かれていた。
法王は献金につながる教会派を「潜伏切支丹」と呼んで愛で、世界文化遺産にもなったが、
そうでない「隠れ」は切り捨てられた。
日本カトリック司教団の入れ知恵らしいが、この差別でバチカンのさもしさも透けて見えてしまった。
法王は長崎、広島を訪れて核兵器廃絶を訴えたのは良かったが、
なぜか東電福島の避難民にも会って原発反対を語った。
九条の会や支那韓国とも通じる司教団。
おそらくは現金を山と積んで法王を政治利用したのだろう。
そんな謀りをやるから基督教は嫌われる。
法王も後味が悪かっただろう。
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