パッシュトゥン人はパキスタンとアフガンにまたがって分布する。
勇猛で、18世紀には思い立って栄華を誇るサファビ朝の首都イスファハンを襲い、金銀財宝を奪った。
彼らはその金でアフガンに初めて王朝を建てた。
根っからの盗賊民族とよく言われる。
悪さをしていない時は羊を追い畑を耕す。
長閑に暮らしていても金持ちそうな旅人を見かければ即座に鍬を放り出して盗賊に変身する。
19世紀半ば、英軍がカブールを放棄して家族や娼婦など総勢15,000人で
南に引き上げ始めた時も彼らは見逃さなかった。
英軍の長い隊列のどこかを襲って殺し、奪った。
1週間で隊列は消滅しジャララバードの砦にたどりつけたのは
医師ウィリアムブライドンただ1人だった。
ホームズの相方ワトソン君のモデルとなった人物だ。
彼らはインダス川をカヌーで下っていた早大生すら見落とさず、
人質にして莫大な身代金をとっている。
彼は秋の収穫を終えると南のパキスタン側に戻る。
ある時戻ったら国連難民高等弁務官事務所の職員が待っていた。
「大変だったでしょう」と難民キャンプに案内された。
ソ連が武力でアフガンに侵攻し、多くのアフガン人が難民化した、
と西側人権派が大騒ぎして国連も救済に出た。
パシュトゥンはそんなヤワじゃないのに。
でも彼らは黙ってキャンプに入り、日本などから送られた毛布や医療、
電気冷蔵庫まで心づくしの救援物資をいっぱいもらった。
満足しきった国連職員が去っていくと彼らはもらったものを叩き売って我が家のある村に戻って行った。
実は戻ってからも忙しい。
持って帰った1袋7キロ詰めの生アヘンを生成せねばならない。
まず不純物を取り除いて消石灰を入れて煮立てる。
ドロっとしてきたら今度は塩化アンモニウムを混ぜる。
最後に無水酢酸を加えてヘロインを抽出する。
この工程が臭い。
現役の記者だった頃、あの辺を歩いた。
クエッタからアフガンに行く途中には高い土塀で囲まれた家があって、
そこからこの悪臭が漂っていた。
彼らは麻薬業者と言う顔も持っている。
降ってアフガン国境を越えるとすぐにスピンバルダックと言う街に出る。
訪れて3年後にあのタリバンがここで生まれた。
初仕事は数人の少女を誘拐した無法者を襲い、少女を助け出し、
犯人をイスラムの教えに従って処刑した。
正直、アフガンの民が良いことをするのはあまり見かけたことがない。
これはこちらが承知しているただ1つの善行だった。
だからといってタリバンはまともさを広めはしなかった。
むしろ彼らの持つよそ者嫌いを徹底させていったように思う。
特にモンゴル系のハザラ人を嫌い、見つけては生皮を剥いで殺した。
ハザラが根城にしたバーミヤンも徹底的に破壊した。
巻き添えであの巨大な磨崖仏まで破壊されたのよく知られる。
そういう人種偏見をこちらもスピンバルダックで体験した。
通訳に雇ったタジク人が彼らの話すダリ語に通じていて、連中が襲ってくると言う。
その場は何とか逃げ出せたが、その後同じルートで来た尾道市の学校教諭2人が
射殺体となって見つかった。
座らせて後頭部に1発銃弾を打ち込む処刑スタイルだった。
そんなパシュトゥン人の世界で中村哲は彼らに寄り添ってい医療を施し、
1600本の井戸を掘ってきた。
ただ、掘った井戸で潤う人たちはにっこりするが、そうでない人は冷ややかだった。
脅しもあったと言う。
彼の活動に共鳴する日本人は多い。
応援に行く人たちが多くなると彼らの目はハザラを見る目に変わっていったとも聞く。
0 8年には手伝いに行った日本人青年が殺された。
彼らのよそ者嫌いは高じて今年は米国人NGO 5人が殺された。
善意を煩わしく思う世界があることを中村医師は生涯をかけて教えてくれた。
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