機雷の本当の威力は、船を沈没させることそれ自体にあるわけではない。
その威力はむしろ、機雷が戦場に及ぼす心理的インパクトと、
敵海軍を恐怖で麻痺させるその付随的能力にある。
このインパクトを理解するため、自分が20平方キロの広大な牧場を所有していると
想像してみよう。
その上で、その広大な土地のどこかに、両足を吹き飛ばす威力を持った地雷が
一個だけ待っていると想像してみて欲しい。
牧場をハイキングする気になれるだろうか。
そして、干し草の山の中に隠れている1本の針のような地雷を探し当てて除去し、
再び自由に行動できるようにするまでにはどれだけの時間と費用がかかることだろうか。
実際、機雷(地雷)施設の第一の目的は、除去にかかる時間と心理的恐怖によって
領域への接近を阻止することである。
つまり機雷(地雷)は、領域拒否戦略を実行するための非対称兵器の典型であり、
したがって中国の目的にぴったりの兵器なのである。
敵を威嚇し麻痺させる機雷戦の力その長い歴史を見れば明らかだし、
中国の戦略家たちは機雷戦の歴史を綿密に研究してきた。
実際、機雷が現在行っている作戦行動の多くは、アメリカが機雷の加害者、
被害者の両方の立場から教えたものである。
機雷の加害者側としてアメリカが取った最も効果的な戦略は、
ベトナム戦争時にハイフォン港で行った機雷施設である。
ポケットマネー作戦実行中の1972年5月8日、空母コーラルシーから出撃した
航空機は、北ベトナムの最も重要な港に最初の機雷を投下した。
その数は全部で11,000個以上に上った。
海上交通路を麻痺させることにより、この機雷作戦は北ベトナムが輸入する物資の
80%以上を効果的遮断した。
北ベトナムがパリ平和会議のテーブルに戻ったのは、この経済的打撃によるところが
大きい。
中国の戦略家たちは、第二次大戦時に機雷戦が日本の無条件降伏に重要な役割を
果たしたことも詳しく研究していた。
一般的に、日本の降伏をもたらしたのは広島と長崎への原子爆弾の
投下だったとされているが、日本近海にB-29によってばらまかれた
12,000個もの機雷も重要な補助的役割を果たした。
いみじくも飢餓作戦と名付けられたこの機械作戦の効果について、
ケネスベス少将は、「第二次大戦の最後の半年間に機雷によって沈没した、
あるいはダメージを被った日本の船舶の総トン数(100万トン以上)は、
潜水艦や艦艇の砲撃や空爆などその他の原因によるものの合計よりも大きかった」と
述べている。
ヴェスはさらに日本の政治家や軍指導者へのインタビューに基づいて、
「この作戦に重要な役割を果たした事は明らかだ」としてきている。
こうした「機雷による麻痺」は朝鮮戦争時にも起きている。
北朝鮮は当時、3000発以上の機雷を施設し、「1950年10月、250隻の艦船から
なる特別部隊の国連軍特別部隊のウォンサン上陸作戦を阻止した」
アレンスミス海軍少将はその時のフラストレーションを、
「われわれは、海軍を持たない国が2000年前の船で施設した、
第二次大戦前の武器によって制海権をしなったのだ」と言う言葉で表現している。
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