アクサイチンには、インドのジャムカシミール自治州の東端に位置する、
スイスとほぼ同じ大きさの地域である。
中国が実効支配しているが、インドも領有権を主張している。
この事実上無人の高地は中国にとって、その領土の最西端の新疆ウィグル自治区と
チベットを結ぶ重要な南北輸送路であり補給先である。
新疆ウィグル自治区のイェチェンからチベットのラツェまで1500キロ以上にわたって
伸びているこの重要な輸送路(正式名称は中国国道219号線)は、
アクサイチンをまさに貫通している。
中国の策を弄して1950年代半ばに建設したこの道路がインド側の怒りに火をつけ、
1960年の中印戦争の引き金になった。
皮肉なことに、インドの初代首相ジャワハール・ネルーは1950年代初め、
当時は世界から正式な中国とは認められていなかった中華人民共和国に肩入れしていた。
1954年にネルーは「インドと中国は兄弟だ」とのスローガンを掲げ、同年4月、
中印両国は相互不可侵条約を締結した。
その際ネルーが中国側に、アクサイチンがインド領に含まれている辺境地域の地図を
贈呈したのに対して中国外相・周恩来は、中国はこの山がちの飛地やインドの
その他の領土に何の下心も抱いてないと断言した。
この確約にもかかわらず、中国は早くも1956年にアクサイチン横断道路の建設を開始した。
1958年、中国は公式地図にアクサイチンを中国領として記載し、
危機をさらにエスカレートさせることになる。
アクサイチンに既成事実を設けることによって、領有権の主張を
法的に強化しようとしたのである。
すでに見てきたように、この手の「法律戦」や「地図戦」は今では、
領有権を主張するときの中国の典型的なやり方だが、当時は斬新な手法だった。
1962年にインドがアクサイチンのために戦争も辞さなかった理由について、
カーネギー国際平和基金のアシュレー・テリスは、アクサイチンはインドの
「西の玄関口」として戦略的に重要な場所だからと述べている。
中国はチベットから平和的に北進して新疆ウィグル自治区へ移動するかもしれないが、
南西に方向を帰ればインドに進軍できることも事実である。
だから、インドはアクサイチンを進入路として非常に警戒している。
中国軍がそこを経由してジャームカシミール州に侵入し、
そこから南進してインド本土に侵攻してくることを恐れているのである。
ニューデリーからアクサイチンまでの距離は、ワシントンDCからボストンまでの
距離ほどしかないため、中国が過去数十年間にチベット及び新疆ウィグル自治区で
急速に軍備を増強している事はインドの懸念材料になってきた。
インドの戦略上の懸念が正しいかどうか判断する上で、
ヒマラヤ山脈が歴史的に中印間の、ほとんど越境不可能な天然の障壁に
なっていたと言う事実に留意する必要がある。
だが、現在では、中国軍は空陸共同作戦によってこの障壁をたやすく超えることができる。
インド亜大陸への中国の脅威が増している理由は、チベットと新疆ウイグル自治区に
50万人もの兵士が駐留し、中国陸空軍の舞台として最新鋭機で溢れかえっているから
だけではない。
すべての近代的な軍事規格の道路網も、中国軍の脅威を増大させている。
56,000キロにわたって張り巡らされたこの道路網が、
アクサイチンの地上侵攻ルートに合流している。
チベット及び新疆ウィグル自治区から陸路インドへ侵攻した場合に必要になる、
航空支援能力を中国が増強していることも、インド側は深刻に受け止めている。
さらに、新疆ウィグル自治区には、世界最大の核兵器・弾道ミサイル実験場がある。
馬欄にある核実験施設だけでも、25万平方キロメートル以上の面積を占めているのだ。
一方チベットには、ガルグンサ、ゴンガル、ホピン、リンチ、パンタの五箇所に
戦略上重要な飛行場がある。
これらの基地には戦闘機及び爆撃機とともに巡航・弾道ミサイルが配備され、
その数は次第に増加している。
アシュレー・テリスはこう述べている。
弾道ミサイルと言う点で中国とインドの差は歴然としている。
中国の弾道ミサイル保有数を数える単位が100であるのに対して、
インドのそれはダースである。
ミサイル保有数でも性能でも、中国はインドを遥かに上回っている。
つまり、インドの中核地域に脅威が及ぶ可能性が非常に高いと言うことになる。
この脅威の戦略的中心には、中国によるアクサイチンの実効支配である。
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