日本人は、日本人の間で成り立っている価値観を絶対視する傾向がある。
1つの独善と言える。
典型は、事あれば「とりあえず話し合いを…、」と提案することが
世界のどこでも通じる良識と信じていることだ。
日本の町内会では通じても隣国には全く通じないと言う事実を知ることが肝要だ。
「儲け話に乗れるなら、嘘をいとわず」といった価値観を、あたかも国民文化として持ち、
「強気に阿ね、弱気につけ込む」交渉術で日本に接近戦を挑んでくるのは韓国だ。
韓国人には、自らが恥と感じる歴史事実はきれいに消失し、
都合が良いデマがあれば「そうだそうだ」と国民上げて大合唱することで、
短時間にして「これはウリ国民が皆知っている歴史的事実だ」と思い込める国民的特性がある。
新たなデマの内容が国民的常識に昇華するや、「事実はそうでは無い」と知る人々が
一斉に口をつぐむのも、その国民文化の1つだ(極々わずかな例外はあるが)。
そして、「ウリが知っている歴史的事実」と「ウリの生活風習(汚職売買春を日常とする文化も含む)」
を絶対視して、世界に広めようとしている。
幼稚園児に「独島(竹島の韓国名)ウリの土地」の歌を合唱させることに象徴される刷り込み教育、
集団ヒステリーのような国民的憤怒を反復させることにより、
国内の歴史観を「日本は常に悪なる存在だった」と言うふうに一枚岩に固め、
「異端は許さず、存在させず」の体制を築き上げている。
だから、「認識の相互許容」になれた日本人とは、根底の部分になると、話も気持ちも通じない。
しかし、通じなくても、良いのではないか。
ところが日本の歴代政権は「とりあえず話し合いを…、」の精神、いわば町内会的バカ丸出しで、韓国にアクセスを続けてきた。
その結果、野田政権に至っては、
「500億ドル通貨スワップ」を、まるで日本側が勝手に申し出たプレゼントであるかのように喧伝されてしまった。
常に「町内会的馬鹿の精神でアクセスしてくる上に、韓国は日本に対して、
どんな侮辱行動しても「遺憾の意」の表明だけで終わる。
そんな相手とは、韓国人にとって「見下して当然」「強く出なければ損」の存在でしかない。
韓国人は、世界の行く先々で日本と日本人を貶める言説を触れてもらっている。
あるいは、第三国のホテルなどでいたずらをして咎められた場合には、日本人になります。
許しがたいことだ。
台北のホテルマンは「なりすましても、すぐにわかります」と言っていたが欧米人にはわかるだろうか。
嘘を嘘で塗り固めたような捏造史観、それと日本人と日本人を貶めたいと言う欲望の合作が、
特に「従軍慰安婦の像」だ。
ソウルの日本大使館前に建てただけでは満足せず、
ロビー工作を展開してアメリカにもいくつか建て、さらに数を増やそうとしている。
これに対しても「遺憾の意」の表明だけで良いのだろうか。
第3国につながる広がる誤解を解くためには、日本国政府が主導して
「世界各地で大活躍する韓国人売春婦の現状」を要領よくまとめた各国語のパンフでも作って、
世界中にばらまく位の対抗策を講じても良いのではないか。
朴槿恵大統領が2013年2月、最初に指名した首相候補が不正蓄財問題などで指名を辞退するなど、
端から味噌をつけた姿で登場した。
何とか業績を上げたいだろうが、その公約(福祉の大盤振る舞いと、
公的資金による1部家計負債の肩代わり)は推進すればするほど、国家財政を危うくし、
国民のモラルハザードを加速させるのではあるまいか。
韓国の大手財閥は、中級品を海外で安く売りさばくことにより、
輸出実績に基づく政府の金融特恵措置を手に入れるとともに、
低級、粗悪品を国内で高く売りさばくことで採算を上げてきた。
国内を植民地にして独占、寡占の利を生かす、いわば「逆植民地主義」の経営手法で
資産を巨大化させてきたのだ。
しかし、野党はもちろん、政権与党まで「経済民主化」の旗を掲げるほど、
その横暴さが嫌われては、次第に蹉跌を記すことになるだろう。
その兆候は既に現れている。
李明博政権が鳴り物入りで実施した4大河川改修事業の手抜き工事、その談合と汚職の実態も、
いずれ白日のもとにさらされるだろう。
為替操作により超低価格を維持してきたウォンがすこし値を戻しただけで、
韓国人は「アベノミクスのせいだ」と叫んでいるが、ウォン安が、
もう1段2段と是正されると何が起こるのだろうか。
突如一転、ウォンの大暴落も想定できる。
韓国は、経済がいよいよ行き詰まれば、再び日本にオファーをして仕掛けてくるかもしれない。
そうした場合は、彼の国の国技であるロビー工作が展開されないよう、厳重に見張る必要がある。
隣の国と仲が悪いのは、当たり前の「世界標準」だ。
とりわけ、歴史捏造に基づく反日意識で武装しているような隣の小国と、親しく付き合う必要など、
どこにもない。
「脱亜論」を説いた福沢諭吉の慧眼に、今改めて敬服し、本書を終えることにしたい。
2013年3月室谷克実
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