!!強制連行の存在を示す証拠はどこにもなかった P84
誰が慰安所を経営していたのか?
「従軍慰安婦」問題の焦点は、慰安婦を「どのように集めたのか?」
そして「どのように扱ったのか?」と言うに点に尽きる。
後者については76ページからの【挑戦女性を「従軍慰安婦とした」】で詳しく述べているので、
ここでは前者の「どのように集めたのか?」と言う点、
つまり「従軍慰安婦を強制連行した」とする主張が本当に正しいのかどうかを明らかにしていこう。
最初の慰安所(兵士向け売春宿)が設置されたのは上海で、1932年のことだった(約2カ月間で閉鎖)。
それまで日本軍兵士たちは一般の売春宿を利用していた。
しかし兵士たちの間で性病の蔓延したことにより、
衛生管理の行き届いた売春宿が必要と考えられるようになる。
そこで上海事変以降、(「性病防止」「強姦防止」などの目的から、慰安所の設置が行われたのである。
慰安所の経営は民間業者に委ねられており、軍は衛生管理の状態などをチェックし、
慰安所の設置の許可を与え、一般の売春宿の代わりに慰安所を利用することを兵士達に推奨したのである。
慰安婦のほとんどは日本人女性だったが、募集に応じた挑戦人や中国人あるいは台湾人なども
慰安婦として働いていた。
なお、慰安婦の募集は慰安所を経営する民間業者が行っており、日本軍は関与していなかった。
確かに挑戦からの募集の中に、女衒(売春婦を扱う仲介業者)が詐欺まがいに女性を連れてきた例も報告されており、
これをもって強制連行があったと主張する韓国人も少なくない。
だが、女衒の正体をよく調べてみると、そのほとんどが挑戦人だったのである
(1941年の挑戦総督府の調査では、仲介業者3955人のうち日本人が211人に対して
挑戦人は3744人)挺対協【※3】の調査でも、自称元「従軍慰安婦」の多くが
「親に売り飛ばされた」「近所の挑戦人に騙されて慰安所に売り飛ばされた」と証言しているのだ。
「従軍慰安婦の強制連行」を主張ていた吉見義明氏(中央大学教授)でさえ、
テレビ朝日「朝まで生テレビ」(1997年1月3日放送)で、
「強制連行の証拠がない」をことを認めている。
慰安所は民間の経営であり、募集も業者を行っていた。
軍による強制連行など存在しなかったのだ。
まして「銃剣を突きつけて少女を狩り集める日本軍」などと言うのは、韓国人の妄想でしかない。
では、なぜ「従軍慰安婦=強制連行」と誤解されるようになったのか。
そこにはある反日日本人による嘘本の存在があったのである。
↓P87
!!慰安所の経営も慰安婦の募集も民間業者が行っていた
──────────注釈
【※3】挺対協
正式名称は「韓国挺身隊問題対策協議会」。
「従軍慰安婦」問題を扱う複数の団体が集まったもの。
自称元「慰安婦」の証言を集めたりと「被害者の代弁者」として振る舞うことが多いが、
自称元「従軍慰安婦」の中には挺対協に批判的な者も多く、一枚岩ではないらしい。
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