日本の嘘つきと韓国の嘘つき
吉田清治著「私の戦争犯罪 挑戦人強制連行」(31書房)と言う本がある。
1983年に刊行されたこの本は、1943年に済州島【※4】現地の女性たちを強制連行し、
1週間で205人の女性を「慰安婦」したと言う体験談をまとめたとされるものだ。
この本は発表当時から日本で大きな話題を呼んだ。
「従軍慰安婦」という言葉が一般に広まったのも同書がきっかけとされている。
この方が韓国でも1989年に翻訳出版され大反響読んだが、この本の真偽について
「済州新聞」の許栄善記者が、署名記事でその調査報告を行っている。
「島民たちはデタラメだと一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。
城山浦のチョン・オクタン(85歳の女性)は「254の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば
大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから何年かの間、追跡調査をした結果、
事実でないことを発見した。
この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。」
(1989年8月14日付「済州新聞」より」)
「慰安婦狩り」があったと言う地域の新聞新聞が、それを完全に否定しているのだ。
後に吉田清治は「慰安婦狩り」の話が嘘であったことを認めたが、
いちど広まった話は嘘であったと分かっても止まる事はなかった。
日本軍に強制連行されたと主張する自称元「従軍慰安婦」の証言も、
黄錦周【※5】のように聞くたびに違う内容になったり、どう考えても嘘としか思えないもの
【※6】だったり、証言と呼ぶに値しない虚言ばかりである。
ソウル大学の安○直教授が行った元慰安婦の聞き取り調査でも、時代背景が合わなかったり、
証言自体の信憑性が低いものがほとんどであったと言う。
「強制連行されたされた」と主張したのは4人だけで、
そのうちの2人が連行されたと言う釜山慰安所と富山慰安所そのものが存在しなかった。
残りの2人(文玉珠と金学順)の「親に売り飛ばされた」と白状。
結局、強制連行されたと訴えた4件すべて虚偽だった。
韓国人自身の調査でも強制連行を証明できなかったのだ。
↓
!!「従軍慰安婦」に関する表現はでたらめばかり
──────────注釈
【※4】済州島
挑戦半島の南に位置する韓国最大の島。
韓国読みでは「デジュド」かつては挑戦半島から独立した国家だったが、高麗時代に併合された。
現在でも韓国では済州島出身者が差別的な扱いを受けると言う。
挑戦戦争時には北挑戦側についたため、韓国軍は大規模な虐殺を行った。
この時多数の島民が日本に密航してきた。
【※5】黄錦周
自称元「従軍慰安婦」として数々の証言を行っている。
「17歳の時、吉林省の慰安所に連行された」
「 18歳の時、村から娘を出すように言われ、ソウルの工場で働くと思っていたら慰安所に」
「19歳の時、日本軍に無理矢理慰安所に連行された!」などと、
証言のたびに話が変わることで有名。
【※6】山田盟子
「女性たちの太平洋戦争」(朝日新聞社)で紹介された自称元「従軍慰安婦」の証言では、
「日本軍のクリスマス休暇には1日数十人の相手をさせられました」というものがある。
言うまでもないが、日本軍にクリスマス休暇は無い。P89
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