【米中もし戦わば】015-02米国の空母戦闘群に手も足も出なかった人民解放軍

12月、これに対してアメリカがついに反応し、空母ニミッツを中心とする空母戦闘群を

台湾海峡に送り込んだ。

 アメリカの艦船が台湾海峡をパトロールするのは1976年以来のことだった。

 空母戦闘群到着後、数ヶ月は平穏な時期が流れた。

 だが、1996年3月、台湾初の総統直接選挙が近づくと中国が再び圧力をかけ始めた。

 それは3月初め、3度目と4度目の弾道ミサイルによる1連の威嚇射撃から始まった。

 その後5日間に中国は、「海軍艦船およそ40隻、航空機およそ260機、

兵士推定15万人」の参加する大掛かりな作戦演習重をも行った。

最初と2度目のミサイル試験が台湾の主要な航空路線と海上交通路を避けて行ったのに対して、

あまりにもそれらに近すぎ、台湾海峡は事実上封鎖されてしまった。

これに対してビル・クリントン大統領は、既に太平洋で待機していた

空母インディペンデンスを中心とする空母戦闘群を台湾海峡へ移動させ、

ペルシャ湾に停泊していた空母ニミッツに高速で台湾に戻るように命じた。

台湾の有権者を恫喝しようとしていた中国指導部のやり方は完全に裏目に出た。

台湾海峡危機が、李登輝の得票率を相対的多数から過半数へと押し上げたのである。

 得票率54%で、彼は台湾史上初の総統直接選挙に勝利した。

 アメリカの空母戦闘群がやってきた時、人民解放軍は当然のことながら、

制海権と制空権の両方を掌握している軍隊にはても足も出ないことを思い知った。

 こうして、第三次台湾海峡危機は中国にとって、貴重な学習体験であると同時に

もう二度と繰り返してはならない体験となった。

というのも、中国がいつか台湾は我が物にするためにはアメリカ海軍を

無力化する必要があるし、そのための唯一の方法は、制空権をアメリカに与えないことだからである。

 それを悟って以来、中国は海軍を世界クラスへと成長させようとするとともに、

接近阻止戦略によってアメリカの空母を台湾から遠ざけておこうとしている。

 中国軍も、時代遅れの航空機の寄せ集めから、地域のどんな競合国とも

肩を並べられる近代的大艦隊と着実に変貌を遂げている。 

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