マレーシアやフィリピン等と比べてずっと南沙諸島から遠い中国が
どうして南沙諸島全体の領有権を主張することができるのだろうか。
この疑問に対する答えは、本書のテーマにとって非常に重要である。
なぜならそこは「九段線」と言う紛争の元凶が関係してくるからである。
このU字型の境界線は、1947年、中華民国政府が発行した地図上に初めて現れた。
中国の貪欲な「牛の舌」と揶揄されることが多いこれは確かに奇妙な牛の舌の形を
している。
国民党が共産党に敗れて台湾に撤退した直後の1949年、この牛の舌は共産党政府に
受け継がれた。
この九段線がなぜこれほど物議を醸すのだろうか。
この九段線の拡張主義的・現状変更主義的性格を理解するには、
地図をひと目見るだけで充分である。
それでは、頭の中で九段線を書いてみよう。
九段線の起点は、南シナ海の北東の端にあたる村(台湾とルソン島の間)である。
そこからフィリピンの海岸線に沿って南下し、それからブルネイの海岸線に沿って、
事実上、南シナ海の南端を西に進む。
ブルネイのすぐ南の、マレーシア領ボルネオ島ボルネオに到達したら今度は
南シナ海を横切ってベトナムの南端に進む。
最後にそこからベトナムの海岸線に沿って北上し海南島を望むトンキン湾が終点である。
つまり、中国の壮大な牛の下は南シナ海のほぼ90%を取り囲んでいる。
中国の首都が主張がまかり通れば、南シナ海は「中国の湖」になってしまう。
この九段線がどれほど広大かを理解するためインドネシア領のナトゥナ諸島の
東ナトゥナ天然ガス田について考えてみよう。
1970年代に発見されたこのガス田は、現在でも世界最大の未開発のガス田である。
確認埋蔵量は1兆3000億立方メートルと見積もられている。
東ナトゥナガス田は明らかにインドネシアの排他的経済水域内にあり、
しかも、中国からは1600キロ近く離れているが、そこは九段線の境界内でもある。
1993年中国は東ナトゥナが中国の領土として記載されている地図を発行した。
それ以来、ナーバスになったインドネシアが、中国が本当に東ナトゥナに対して
歴史的な権利を主張したことがあるのか、さらにその主張を押し通すつもりなのかを
何度もはっきりさせようとしているが、その試みは未だにうまくいっていない。
次に、中国は九段線の出所をどのように押し通そうとしているのか、
そしてそれがどのようにして戦争の引き金を引きかねないかについて述べよう。
南シナ海の島々を武力で奪取していた毛沢東時代と比べれば、
中国のやり方は長足の進歩を遂げた。
実際、1994年にミスチーフ礁を奪取した際には中国は実弾を一発も発射することなく
それをやってのけた。
アナリストたちは中国の戦略のこの微妙な変化を「サラミ・スライシング」と呼んでいる。
アメリカ国防総合大学のT・X・ハメス教授はこう説明している。
「サラミ・スライシングとは、軍事的反撃を受けるほど強くはないが、
領土を奪取するには必要十分な圧力を用いる戦略を表す用語である」
現在、中国は、漁船や海警局の艦船など非軍事船舶の大船団を巧妙に使って、
その領有権の主張を前に進めている。
このように少しずつ領海を切り取っていく点が、「サラミ・スライシング」と呼ばれる
所以である。
もちろん、その背後には常に、必要とあれば出動できるように軍艦が控えている。
中国がサラミスライシングをどのように進めているか、そしてそれがどのように
アメリカを紛争に巻き込む恐れがあるかを理解するには、2012年に中国が
フィリピンからスカーボロ礁を奪取した経緯を見るだけで充分である。
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