日経ビジネスオンライン
早読み 深読み 挑戦半島
半島がまた、きな臭くなってきた
崩壊した米朝シンガポール合意
鈴置 高史 2018年12月21日(金)
米朝合意が崩れた。
挑戦半島に再び緊張感が走る。
■核を捨てない北挑戦
鈴置:2018年6月12日にシンガポールで米朝首脳会談が開かれ、両国の関係改善が謳われました。
北挑戦が核を放棄する代わりに、米国は北挑戦の体制存続を認めることでも合意しました。
しかしこの取引は、雲散霧消しました。
北挑戦は核を放棄するつもりなどなく、それを米国も認識したからです。
米朝首脳会談後、北挑戦から漏れてくる情報は共通していました。
北の当局が「米国を騙すことができた。
核を放棄するフリをしてカネを得ることができる」と国民に説明しているというのです。
北挑戦は過去何度も世界を騙すのに成功してきましたから、
国民はそれを信じ「経済制裁が解除され、生活が楽になる」と期待を高めました。
ところが米国は制裁を緩めない。
そこで金正恩(キム・ジョンウン)政権は経済制裁は簡単に解けないと国民に説明し
「自力更生」を訴える作戦に転じました。
国民の失望が自らへの怒りに転化するのを恐れたのです。
■9月から「自力更生」運動
自由北韓放送(本部・ソウル)の金聖玟(キム・ソンミン)代表は
「2018年9月10日から北当局は国民の学習会を通じ『自力更生』『自給自足』を強調し始めた」
と言います。
金聖玟代表は北挑戦を脱出した後、韓国で北挑戦の民主化を目指す、
北向け放送の自由北韓放送を主宰しています。
内部に多くの情報源を持ち、早くて正確な北挑戦情報に定評があります。
2018年12月14日、日本の「北挑戦による拉致被害者家族連絡会」などが
参議院議員会館で開いた国際セミナーで語りました。
韓国語ですが、日本語に逐次通訳されました。
挑戦労働党出版社が学習会配布用に作成した
「学習提綱・自力更生、自給自足のスローガンを高く掲げ前進することについて」
という題目の資料も、9月に日本の専門家に伝えられています。
状況証拠からも、転換点が2018年9月だったことは明らかです。
米朝首脳会談以降、北挑戦とその代弁者である韓国は米国に対し、
終戦宣言を出すよう要求していました。
それが9月の国連総会の頃から要求を制裁緩和に切り替えました。
終戦宣言は在韓米軍撤収、さらには米韓同盟廃棄を要求するための伏線です。
米国の軍事的な圧迫を取り除くために北挑戦が仕掛けた大技です。
ただ制裁が続いたままだと、この大技が決まる前に人民の反乱が起きかねない。
「シンガポールの首脳会談で米国を騙すのに成功した」と国民に誇り、
期待感を持たせたのが裏目に出たのです。
■北の核武装に協力する南
ーそこで「使い走り」の韓国も制裁緩和を唱えた。
鈴置:その通りです。
10月中旬に欧州を訪れた文在寅(ムン・ジェイン)大統領は仏、英、独などの首脳と会談しては
強引な理屈をこねて対北制裁をやめさせようとしました。
青瓦台(大統領府)は「ローマ法王訪朝」というフェークニュースまで流しました。
もちろん欧州各国は制裁緩和要求を拒否しました。
文在寅大統領は「北挑戦の核武装に協力する奇妙な指導者」として認識されるようになりました。
文在寅大統領は9月の訪米でも北挑戦の代弁を繰り返したため、
米メディアから「金正恩の首席報道官」と揶揄されていました。
それを上塗りしたのです。
12月4日にオークランドで開かれたNZ・韓国首脳会談後の会見で
冒頭、アーダーン(Jacinda Ardern)首相は以下のように語りました。
・北挑戦がCVID(Complete, Verifiable, Irreversible Denuclearization=完全で検証可能、
不可逆的な非核化)を実行するよう希望する。
・太平洋の安全と挑戦半島に最善を尽くすために、国連制裁を順守する。
制裁緩和を求める文在寅大統領を封じ込めた格好でした。
挑戦日報も「NZ総理、文大統領の前で『北はCVIDに応じよ…制裁を続けてこそ』」
(12月5日、韓国語版)の見出しで報じました。
本来、韓国が説いて回らねばならぬCVIDを、外国の首脳から説教されるに至ったのです。
韓国は北挑戦の核武装を幇助し、南北共同の核を目指していると
世界の専門家から見なされるに至りました。
■最後は物理的手段
ー南北挑戦はなぜ、「米国を騙せた」と勘違いしたのですか。
鈴置:これまで5度も世界を騙すのに成功したからです。
それにトランプ大統領が「金正恩委員長とはいい関係にある」などとツイッターなどで
持ち上げたのを見誤ったのです。
誰が聞いても褒め殺しです。
「いい関係にある」とは「俺の言うことを聞かなければ悪い関係になる――殴り殺すぞ」
ということなのですから。
ただ、挑戦人――コリアンは「親しくなればどれだけ甘えてもいい」と考えます。
米国の大統領が「いい関係」と言ってくれたのだから非核化しなくても制裁を緩めてくれる、
と思い込んだのでしょう。
米国もその誤解を解こうとしたフシがあります。
12月14日の東京でのセミナーで、金聖玟代表が明かしました。
米国の国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を務めるポッテンジャー
(Matthew Pottinger)氏が7月、金聖玟代表に以下のように語ったそうです。
・トランプ(Donald Trump)大統領は北挑戦の意図を知らずに軍事演習中止措置をとったのではない。
北挑戦の終戦宣言と平和協定要求がワナであることも分かっている。
北は平和協定締結を通じ核保有国の地位を合法化し、米韓同盟を分裂させ、
ひいては北挑戦主導の統一を夢見ている。
・同時に北挑戦による挑発が起きた時、米軍の韓国支援が法的に制限できること、
在韓米軍撤収まで念頭に置いていることも(トランプ大統領は)理解している。
・金正恩が優れた交渉者であるなら、非核化で意味のある何かを見せなければならない。
金正恩も国際関係の最後の手段には物理的手段があると言うことを分かっているはずだ。
■減っていく外貨
ー「勘違いするなよ」と南北挑戦にクギを刺した……。
鈴置:それも、「最後には物理的手段がある」とドスを利かせています。
この話は直ちに平壌に伝わったと思われます。
なにせ対北放送の責任者に語ったのですから。
北挑戦の10月の学習会でも「自力更生」「自給自足」が強調されたそうです。
もっとも金聖玟代表によると、当局に対し国民からは「これ以上の自給自足は無理だ」
「(1990年代半ばの飢餓の時のように)もう一度、山に入って松の皮を食えと言うのか」
などと反発があがっているそうです。
10月に米国が中国共産党との戦いを宣言しました(「中国との冷戦を宣言したペンス副大統領」)。
一時期は対北制裁を緩めたと報じられた中国ですがこれ以降、
比較的まじめに制裁を順守しているようです。
制裁を破ったと因縁をつけられ、米国の怒りに油を注ぎたくはないのでしょう。
韓国は北挑戦産石炭の輸入など露骨な制裁破りを繰り返してきました
(「『言うことを聞け』と文在寅を叱ったトランプ」参照)。
が、北との取引に動く韓国の銀行や財閥に対し、米国が制裁――2次制裁ということになりますが
これをチラつかせて牽制しています。
韓国から資金逃避が起き始めている。
そんなガソリンの蒸気が部屋に満ちている今、韓国の銀行や財閥に対する2次制裁は部屋のなかで
マッチを擦ると同然です(「IMF危機を思い出す韓国人」)。
昨年秋に強化された制裁により、北挑戦は外貨建て輸出が激減しました。
一方、中国からの禁輸品以外の輸入は続いている。
手持ちの外貨を使って食糧輸入を維持しているわけですが、
「外貨の貯金」がいつまで持つか不明です。
■「人権」を言いだした米国
ー北挑戦経済は相当に苦しい……。
鈴置:それも先細りです。
だからこそ「使い走り」の文在寅大統領が、世界の顰蹙も無視して制裁緩和を訴え続けているわけです。
北挑戦がショックを受けたのは、経済制裁が緩まないどころか、
人権問題を米国がこと挙げし始めたことでしょう。
12月10日、トランプ政権は人権侵害を理由に挑戦労働党幹部と
北挑戦政府の3人を制裁対象にすると発表しました。
AFPの「米、北挑戦高官3人に人権侵害で制裁 金委員長の右腕も対象」
(12月11日、日本語版)などが報じました。
制裁の内容は在米資産の凍結などで実効性は低いのですが、北挑戦当局は頭を抱えたと思います。
6月の米朝首脳会談後、初めて米国が再び「人権状況の改善」を北に突きつけたのです。
「人権問題のデパート」である北挑戦にとって、これを指摘されたら手も足も出ない。
制裁を所管する米財務省は「ワームビア(Otto Warmbier)氏の事件がこの制裁の背景にある」
とはっきり表明しました。
ワームビア氏は北挑戦を旅行中に逮捕され、1年半後の2017年6月に米国に送り返されましたが、
帰国直後に亡くなった米国の青年です。
家族は拷問の末に殺されたと主張しています。
そのワームビア氏の家族は北挑戦に対し11億ドルの損害賠償を要求しました。
米政府系のVOAが「12月17日に確認した」として報じました。
「ワームビア家族、北挑戦に賠償額11億ドルを請求
…『懲罰的な賠償判決で北挑戦を処罰せねばならない』」(12月18日、韓国語版)です。
■夜間給油訓練の標的は北
ー米国はなぜ今、北挑戦を「人権」で攻撃し始めたのですか。
鈴置:北挑戦が非核化に応じないと見切ったのです。
話し合いで解決できると考えていた時は「人権」まで持ちだすと交渉が複雑になるので控えていた。
しかしどうせ対話で解決できないのなら、北挑戦を「許すことのできない敵」に認定したと
自国民にも世界にも表明し、圧力を最大限まで強めるつもりでしょう。
12月14日、トランプ大統領がツイッターで「米朝協議は急がない」と表明したのも、
この一環と思います。
2017年11月の韓国国会演説で、トランプ大統領は北挑戦の人権状況が
いかにひどいかを強調しました。
金正恩政権を「共に天をいだけぬ敵」に認定したのです。
当時はいつ米国が先制攻撃するか、世界がかたずを飲んで見守っていました。
その段階に逆戻りしてきたわけです。
安保専門家が注目した航空事故があります。
12月6日午前2時ごろ、米海兵隊のFA18戦闘攻撃機が夜間の給油訓練中に
KC130空中給油機と衝突し、両機とも室戸岬の100キロ沖に墜落した事故です。
AFPの「高知沖で米軍2機墜落 1人死亡 5人不明 訓練中に接触」(12月7日、日本語版)は
米海兵隊の発表を受け「定期訓練中だった」と報じました。
しかしある専門家は「夜間の給油訓練は最も危険な訓練。
相当な必要性があって実施していたに違いない」と首を傾げました。
「定期訓練」ではなく「特定の目的があっての訓練」と言うのです。
墜落した海兵隊のFA18は山口県・岩国基地の所属です。
第2次挑戦戦争が勃発すれば深夜、北挑戦を真っ先に空爆する部隊と見なされています。
そしてこの専門家は「空中給油が必要な攻撃目標は北挑戦以外にない」と断言します。
■裏切り者との演習は不要
ー北挑戦を攻撃する訓練をしているということですね。
鈴置:専門家の多くがそう見ています。
6月の米朝首脳会談以降、メディアは「融和ムード」を醸し出してきました。
でも、あの会談では肝心なことは何も決まっていないのです。
北挑戦はそもそも、核を放棄するつもりなどない。
米国も、ポッテンジャー上級部長が語ったようにそれは初めから分かっている。
いつでも戦争モードに戻るでしょうし、戻り始めたと見る専門家が増えている。
ーしかし、米国は韓国との合同空軍演習を中止しました。
鈴置:年末に実施する「Vigilant Ace」ですね。
ただ、今や「韓国と合同演習をしない」方がきな臭いのです。
「Vigilant Aceは対北先制攻撃の訓練です。
文在寅大統領は「米国が先制攻撃する際は北に通報する」と公言しています。
米国にすれば「Vigilant Ace」を実施して裏切り者の韓国に手の内を見せるわけにはいかない。
そもそも敵と内通する韓国と肩を並べて実戦を戦うことがなくなった以上、合同訓練も不要なのです。
■猿に鶏を殺させる
ーでは、米国の先制攻撃の可能性が再び高まった?
鈴置:米国は人権を持ち出し「北挑戦敵視」の姿勢を再び明確にしました。
中国に対する圧力にも使うつもりでしょう。
「トランプの米国は何をするか分からないぞ」と、猿の目の前で鶏を殺し脅す作戦です。
覇権を目指す中国を叩きつぶすべく、米国は全力をあげています。
長期戦になるでしょうがとりあえずは、2019年2月末に尻を切って中国から
様々の譲歩を引き出そうとしています。
その譲歩の中に、対北制裁の徹底的な強化――例えば、食糧輸出の実質的な制限を入れさせる手があります。
中国が本気になって食糧輸出を断てば、北挑戦は直ちに崩壊します。
米国は中国を圧迫することにより、中国をして北挑戦を崩壊させることができるのです。
ここまで来ると「猿に鶏を殺させる」と言った方が正確ですが。
もちろん韓国も北挑戦もこの手には気付いている。
だから南北の鉄道連結工事などを開始して、
韓国から北挑戦に援助物資を運び込むパイプをこじ開けようとしているのです。