では、中国はどのようにして南シナ海を内海化・何回か軍事的聖域化
してきたのでしょうか?
次の(18)の地図は、南シナ海の概略図に沿岸6カ国が主張する
200海里排他的経済水域(EEZ)の境界線を示したものです。
中国のラインは先に何度も述べた九段線です。
しかも地図にあるように、南シナ海には、4つの主要な島嶼群、
すなわち北から「東沙諸島」(パラタス諸島)、「西沙諸島「(パラセル諸島)、
「中沙諸島」(マクセルフィールド諸島)「南沙諸島」(スプラトリー諸島)が存在し、
沿岸国がその全てに対して、あるいはその1部に対して領有権を主張し、
南シナ海の海洋境界確定問題をいっそう複雑にしているのです。
これ以外にも島嶼や岩礁はありますが、これらのほとんどが、過去の
領有権争いの歴史を象徴するかのように、中国語、ベトナム語、タガログ語、
マレー語などの島嶼名が混在しています。
もちろん、英語表記もあります。
さらに一部には、日本語名を持つものもあります。
なぜならこれらの島は日本が太平洋戦争で破れるまで、日本の領土だったからです。
南シナ海を中心に東南アジア地域の全てを支配した国家は、歴史上日本以外にはありません。
では、4つの主要な島嶼群に関して、現場がどうなっているのかを見てみます。
「東沙諸島(パラタス諸島)」日本の敗戦後の1947年から中華民国(台湾)が
支配しており、台湾は2007年に「東沙環礁国家公園」に指定した。
東沙島(パラタス島)には滑走路があり、海岸巡防署(沿岸警備隊)要員が駐留中である。
「西沙諸島(パラセル諸島)」西南の永楽群島(クレセント諸島)と
東北の宣徳群島(アンフィトリテ諸島)に大別される。
50近いサンゴ礁の島と岩礁で構成される。
現在、すべての島嶼を中国が支配しているが、台湾、ベトナムも領有権を主張している。
最大の島、ウッディー島(中国名:永興島)は、海南島から約370キロメートルの位置にある要衝。
1954年、ベトナムから宗主国フランスが去った後、中国が占拠して軍事基地を作った。
その後、1974年の西沙諸島海戦で、中国がすべて島嶼を支配下に置いた。
2012年7月、中国はここに南沙諸島、西沙諸島とおよび中沙岩礁群も含め
南シナ海全域を管轄する「三沙市」と、「軍警備区」を設置した。
2016年2月、ウッディー島の基地に射程約200キロメートルの
「HQ-9」地対空ミサイルや「J-11」ジェット戦闘機が配備されたことが確認された。
「中沙諸島(マクセルフィールド諸島)」中沙諸島は、そのほとんどが干潮時でも
海面下にある暗礁群。
その全域を中国と台湾が領有を主張し、東部地域はフィリピンが領有を主張。
暗礁群のうち、重要なのはスカボロー礁(黄岩島、フィリピン名:パナタグ礁)で、
この岩礁は、満潮時も海面上にあるため、国連海洋法条約による「岩」とされる。
フィリピンのルソン島の西方約220キロメートルにあって、
北方のバシー海峡を窺う戦略的に重要な位置にある。
そのため、中国とフィリピンが争っていたが、2012年4月、
スカボロー礁内のラグーンで操業する中国漁船をフィリピンの監視船が
検挙しようとしたところ、中国の監視船二隻が現れ、その後、両国の対峙が続いた。
しかし、台風接近により、フィリピン側が退去すると、中国顔がそのまま居座った。
現在、中国は、環礁の開口部を封鎖し、環礁の周辺を漁船、海警極巡視船、
海軍艦艇などで重層的に取り巻き、支配を強化している。
これが「キャベツ戦術」の最初とされるものである。
「南沙諸島(スプラトリー諸島)」岩礁、砂州を含む120を超える海洋自然地形からなる。
フィリピン、マレーシア、ブルネイがその1部に対して、中国、台湾ベトナムが、
その全部に対して領有権をを主張している。
南沙諸島には120を超える自然地形があり、各領有権主張国の支配する
自然地形の数は資料によって多少異なるが、フィリピン八箇所、マレーシア3箇所、
ベトナム21カ所、中国七ヶ所、台湾1カ所と概算されている。
各領有権主張国は、自国が支配する主な自然地形に小規模な守備隊などを配備している。
中国は、占拠する7カ所を人工島に作り替え、軍事基地化を進めている。
この中国の7カ所のうち6カ所は、1988年にベトナム海軍との「南沙海戦」で
奪ったものであり、1ヶ所は米軍が1992年にフィリピンのクラーク基地と
スービック基地から撤退した後の空白をついて1995年に占拠したものである。
なお、これらの4つの島嶼群に、どのように中国が侵入して奪っていったのかを
簡単な年表にすると(19)のようになります。