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【嫌韓】【在日韓国・朝鮮人に謝れ】11

【在日韓国・朝鮮人に謝れ】11

在日一世は強制連行の被害者だ

──────────妄言

日帝による戦争犯罪「強制連行」の被害者それが在日である

☑︎すべての在日は強制連行の被害者である!

☑︎在日は強制連行されて仕方なく日本にいる!

☑︎在日は誇らしい祖国への帰国を望んでいる!

──────────真実

在日は不法入国や自己都合で日本に居座っているだけ

☑︎徴用で来日した在日は245人だけ

☑︎在日は自己都合で来日し、居座っている

☑︎韓国政府による「在日棄民政策」

徴用で日本にやってきた在日は245人

まず、過去の朝日新聞に掲載された記事から見てみよう。

戦前(1939年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前には約200万人となった。

増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、

その間の出生によるものである。(中略)現在、登録されている在日朝鮮人は総数61万人で、

関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労働者としてきたものは245人に過ぎず、

現在日本に居住しているものは、犯罪者を除き、自由意志によって残留したものである。

(「朝日新聞」1959年7月13日付)つまり在日一世の99%以上が、

彼らが「強制連行」と呼ぶ「徴用」とは無関係な、自由意志での日本への渡航、残留者なのである。

すでに述べてきたように、当時の朝鮮半島は日本の1部であり、

国民に一律に課せられた徴用令の適用を受けることは全く問題がない。

徴用によって日本に渡航した朝鮮人の数は約22万人で、

彼らは245人を除いて戦争が終わると祖国に帰っていたのだ。

仮に「徴用」を「強制連行」であると認めたとしても、

「強制連行被害者」の資格がある在日は245人しかいないのだ。

そして何度も述べているように「徴用」は「徴兵」や「納税」などと同じ

国民の義務だったのだから、日本人だけでなく朝鮮人にも適用されることが当然である。

つまり在日が主張している「在日は強制連行の被害者」と言う「神話」は、全てデタラメなのである。

!!在日が主張する「強制連行神話」は嘘だった

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【NHK】解約方法

一番有効な解約法

(簡単にNHKとの受信契約を解約する方法)

●0・1・2・0-1・5・1・5・1・5・に電話する。

●アナウンス「該当する番号を押して下さい」と流れるので、受信料等の「1」を押す

●最近は繋がりにくいがマターリ待つ。オペレーターのおねいさんに繋がる

●解約したいと伝えると、理由を聞いてくるので「TVぶっ壊れました。

元々あんまり見てなかったので今後買う予定もないです。」と言う

  (いつ壊れたか?他に受信機はないか? 購入、修理の予定は無いか?

カーナビやポケットTVも持っていないかと聞いてくるが、

NHKが受信できる可能性がある機材は一切所有していないと言う。

●住所、電話番号、を確認してくるので答える。 

お客さま番号は不要だが念のため調べとく 

(放送受信料領収書のはがき参照)

●確認が出来たら、NHK側から書類を送付する旨説明してくる

  (この時に現在の支払い状況も確認されると思います。)

●送付された放送受信機廃止届に記載し返送する。(送付期限厳守!) 

             ↓

  放送受信機廃止届がNHKに到着した時点で晴れて解約完了です 

尚解約したという通知はNHKからはきません 

※最近はオペレータも気の弱そうな人には簡単に解約させないようです

  毅然とした態度で言う、なめられたら終わり

   それ以外のことは言うべからず。

解約に関してなんだけど、いま一番NHKが知られたくないことって

【NHK側は本当に受信機を廃止したか調査する権限が全くなく、契約者も

 本当に廃止したかどうか証明する義務は一切ない。即ち現状ではNHKは

 廃止の報告を100%信じるしかないのであり、一切文句言わずすぐ廃止届け

 を発送する義務がある】

という事実だと思う。この知識をしっかり身につけておかないとNHK側に

言いくるめられてしまう。逆にこの知識が世間一般に広まれば、解約運動が

パンデミックになるかもしれない

「本当に受信機を廃止したという証明が必要です」などとほざいたら・・・

         ↓

 ウソをつくな!こちらには証明義務は一切ない! でおk

「本当に受信機を廃止したか調べさせて頂きます」などと抜かしたら・・・

         ↓

 ウソをつくな!お前たちに調査する権限など一切ない!

 こちらは放送受信規約第9条に従い報告しているのだ。

 ただちに受信機廃止届の用紙を送付せよ! ・・・でおk

俺の場合も相手が疑うような口ぶり

だったので、お前言いがかりつけようってのか!と怒鳴りつけ

たら急に従順になりひたすらペコペコ。今から録音するから

もう一度言ってみろ、と言ったらかなり狼狽しとったwから

録音宣言最初にしとけばまずグダグダ言うことはないはず。

つか、グダグダ言うバカがいたら録音した証拠をネタに徹底的に

責任者を糾弾して吊し上げてやりましょうwwww

※ちなみにもし直接自宅に来て受信機の有無を調べさせろなどと

 いう基地外が来たら退去を命じ、従わなかったら即110番。

 刑法130条の不退去罪でタイーホしてもらおう。

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【変見自在】【嫌中】孫文は犬養毅に趣味を聞かれ「女だ」と言った

変見自在

自分は週刊新潮が好きで毎週では無いですがたびたびよく買います。

その中でこの文、変幻自在を読んで、日本人は歴史を知らないなぁと思いました。

特に近代史です。

日教組を始めGHQが日本人に近代史を教えないように、また、アメリカとアメリカの都合の良い歴史、

WGIP(WAR guilt information program)がまた間違った歴史観、自虐史観を日本人に教えました。

無断転載なんですけど実際にこの週刊新潮買って載せているものですからまぁ多少はと考えています。

トランプは偉い。

孫文は犬養毅に趣味を聞かれ「女だ」と言った。

実際、蜂起に失敗して日本に逃げてきた時は15歳の浅田春と14歳の大月薫に縣想して妾と妻にした。

故郷には支那人の妻と妾がいると言うのに。

女にかまける合間には革命を語って梅屋庄吉ら人の良い支援者から大金をせしめて歩いた。

しこたま貯まると支那に行っては申し訳のように革命を試みる。

みな失敗して国外に逃げて、次の女と次のスポンサーを探した。

辛亥革命が起きた時もデンバーで遊んでいた。

一報を聞くとニューヨークに飛び、ロンドンに回って資金をかき集めていた。

孫文は革命を語るロリコン詐欺師とも言える。

そんな素顔を知りながら国民政府は国父と仰ぎ、毛沢東も「近代革命成功者」と尊称する。

南京郊外の中山陵の参道には五本の爪を持つ龍が描かれている。

皇帝並みの扱いだ。

なぜここまで高い評価を支那人が与えるのか。

それは1906年、神田の錦輝館での講演で語った三民主義にあるようだ。

彼はその中心に据えた民族主義について「漢民族を盟主に満州、モンゴル、回、チベット各族と共和を図る」

と言った。

清王朝の版図と盟主の座をそっくり漢民族が継承すると言っている。

聞いた残りの4民族は笑った。

清の時代、モンゴル、ウイグル、チベットは清朝と同盟関係にあった。

ただ漢民族だけは満洲族の奴隷の地位に置かれていた。

その証拠に満州人と漢人の通婚はご法度で、もちろん紫禁城の後宮に漢族の女は入れなかった。

昨日まで奴隷だったものが今度は盟主になると言い出したから笑ったのだ。

孫文はそれでも「五族共和」を語り続け、パリ会議の後には

「満蒙回蔵を漢民族に同化させることが我々の務め」とも言った。

習近平も含めて支那人は放っておけば尊大ぶって誇大妄想にふける癖を持つ。

孫文もその例に漏れなかったが、面白いもので米国人にもそういう支那人的なところがある。

同じ頃フィリピン総督に着いたヘンリー・スティムソンは「米国は国際社会のエリートであり、

白人の責務として劣等民族を米国の規範に従わせなければならない」と白い孫文を気取った。

彼はフーバー政権の国務長官につき、劣等民族に鑑賞を続けた。

中に米国をエリートだと見ない、白人が偉いとも認めない不埒な国家があった。日本だ。

日本が当時、満州から支那人の勢力を追い出し、溥儀を据えた満州国の建国を急いでいた。

スティムソンはそれを日本潰しの好機と捉えた。

孫文の版図継承説に立てば満州は支那領であり、日本が侵略国になる。

かくて世に言うスティムソンドクトリンを日本に突き付けた。

対して日本はいう。歴史的にも長城の内側の国だ。外を領土にしたことはない。

満州国は満州人が民族自決原則に則って故地に建てただけだ。

孫文は詐欺師と知ってほしい。

しかし劣等民族の自立など許したら白人が持つ植民地も解しなければならない。

白人国家は破産する。

日本の主張は潰され、日本は国際連盟からも脱退して行かざるを得なかった。

一方支那は儲けたスティムソンの日本憎悪のおかげで清の版図の正式な継承者に認められた。

戦争もしないで満州だけでなくモンゴルもウイグルもチベットの領土まで転がり込んできた。

習近平が孫文生誕150年式典で「台湾は支那に帰属する」と偉そうに言ったのも、

そこが清の版図に入っていたからだ。

そしたらトランプがその「1つの中国」を真っ向否定した。

「お前の領土じゃない」と。

今はウイグルの人権を問題にし、先月は「チベット相互アクセス法」にサインもした。

支那を増長させた遠因はスティムソンの政策にあったと見抜いた。

だからその撤回を図っているとしたら、東京裁判史観の一角がまた崩れることになる。

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【嫌韓】日本の嘘つきと韓国の嘘つき

日本の嘘つきと韓国の嘘つき

吉田清治著「私の戦争犯罪 挑戦人強制連行」(31書房)と言う本がある。

1983年に刊行されたこの本は、1943年に済州島【※4】現地の女性たちを強制連行し、

1週間で205人の女性を「慰安婦」したと言う体験談をまとめたとされるものだ。

この本は発表当時から日本で大きな話題を呼んだ。

「従軍慰安婦」という言葉が一般に広まったのも同書がきっかけとされている。

この方が韓国でも1989年に翻訳出版され大反響読んだが、この本の真偽について

「済州新聞」の許栄善記者が、署名記事でその調査報告を行っている。

「島民たちはデタラメだと一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。

城山浦のチョン・オクタン(85歳の女性)は「254の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば

大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから何年かの間、追跡調査をした結果、

事実でないことを発見した。

この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。」

(1989年8月14日付「済州新聞」より」)

「慰安婦狩り」があったと言う地域の新聞新聞が、それを完全に否定しているのだ。

後に吉田清治は「慰安婦狩り」の話が嘘であったことを認めたが、

いちど広まった話は嘘であったと分かっても止まる事はなかった。

日本軍に強制連行されたと主張する自称元「従軍慰安婦」の証言も、

黄錦周【※5】のように聞くたびに違う内容になったり、どう考えても嘘としか思えないもの

【※6】だったり、証言と呼ぶに値しない虚言ばかりである。

ソウル大学の安○直教授が行った元慰安婦の聞き取り調査でも、時代背景が合わなかったり、

証言自体の信憑性が低いものがほとんどであったと言う。

「強制連行されたされた」と主張したのは4人だけで、

そのうちの2人が連行されたと言う釜山慰安所と富山慰安所そのものが存在しなかった。

残りの2人(文玉珠と金学順)の「親に売り飛ばされた」と白状。

結局、強制連行されたと訴えた4件すべて虚偽だった。

韓国人自身の調査でも強制連行を証明できなかったのだ。

!!「従軍慰安婦」に関する表現はでたらめばかり

──────────注釈

【※4】済州島

挑戦半島の南に位置する韓国最大の島。

韓国読みでは「デジュド」かつては挑戦半島から独立した国家だったが、高麗時代に併合された。

現在でも韓国では済州島出身者が差別的な扱いを受けると言う。

挑戦戦争時には北挑戦側についたため、韓国軍は大規模な虐殺を行った。

この時多数の島民が日本に密航してきた。

【※5】黄錦周

自称元「従軍慰安婦」として数々の証言を行っている。

「17歳の時、吉林省の慰安所に連行された」

「 18歳の時、村から娘を出すように言われ、ソウルの工場で働くと思っていたら慰安所に」

「19歳の時、日本軍に無理矢理慰安所に連行された!」などと、

証言のたびに話が変わることで有名。

【※6】山田盟子

「女性たちの太平洋戦争」(朝日新聞社)で紹介された自称元「従軍慰安婦」の証言では、

「日本軍のクリスマス休暇には1日数十人の相手をさせられました」というものがある。

言うまでもないが、日本軍にクリスマス休暇は無い。P89

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【嫌韓】!!強制連行の存在を示す証拠はどこにもなかった

!!強制連行の存在を示す証拠はどこにもなかった P84

誰が慰安所を経営していたのか?

「従軍慰安婦」問題の焦点は、慰安婦を「どのように集めたのか?」

そして「どのように扱ったのか?」と言うに点に尽きる。

後者については76ページからの【挑戦女性を「従軍慰安婦とした」】で詳しく述べているので、

ここでは前者の「どのように集めたのか?」と言う点、

つまり「従軍慰安婦を強制連行した」とする主張が本当に正しいのかどうかを明らかにしていこう。

最初の慰安所(兵士向け売春宿)が設置されたのは上海で、1932年のことだった(約2カ月間で閉鎖)。

それまで日本軍兵士たちは一般の売春宿を利用していた。

しかし兵士たちの間で性病の蔓延したことにより、

衛生管理の行き届いた売春宿が必要と考えられるようになる。

そこで上海事変以降、(「性病防止」「強姦防止」などの目的から、慰安所の設置が行われたのである。

慰安所の経営は民間業者に委ねられており、軍は衛生管理の状態などをチェックし、

慰安所の設置の許可を与え、一般の売春宿の代わりに慰安所を利用することを兵士達に推奨したのである。

慰安婦のほとんどは日本人女性だったが、募集に応じた挑戦人や中国人あるいは台湾人なども

慰安婦として働いていた。

なお、慰安婦の募集は慰安所を経営する民間業者が行っており、日本軍は関与していなかった。

確かに挑戦からの募集の中に、女衒(売春婦を扱う仲介業者)が詐欺まがいに女性を連れてきた例も報告されており、

これをもって強制連行があったと主張する韓国人も少なくない。

だが、女衒の正体をよく調べてみると、そのほとんどが挑戦人だったのである

(1941年の挑戦総督府の調査では、仲介業者3955人のうち日本人が211人に対して

挑戦人は3744人)挺対協【※3】の調査でも、自称元「従軍慰安婦」の多くが

「親に売り飛ばされた」「近所の挑戦人に騙されて慰安所に売り飛ばされた」と証言しているのだ。

「従軍慰安婦の強制連行」を主張ていた吉見義明氏(中央大学教授)でさえ、

テレビ朝日「朝まで生テレビ」(1997年1月3日放送)で、

「強制連行の証拠がない」をことを認めている。

慰安所は民間の経営であり、募集も業者を行っていた。

軍による強制連行など存在しなかったのだ。

まして「銃剣を突きつけて少女を狩り集める日本軍」などと言うのは、韓国人の妄想でしかない。

では、なぜ「従軍慰安婦=強制連行」と誤解されるようになったのか。

そこにはある反日日本人による嘘本の存在があったのである。

↓P87

!!慰安所の経営も慰安婦の募集も民間業者が行っていた

──────────注釈

【※3】挺対協

正式名称は「韓国挺身隊問題対策協議会」。

「従軍慰安婦」問題を扱う複数の団体が集まったもの。

自称元「慰安婦」の証言を集めたりと「被害者の代弁者」として振る舞うことが多いが、

自称元「従軍慰安婦」の中には挺対協に批判的な者も多く、一枚岩ではないらしい。

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【嫌韓】【侵略・植民地支配を謝罪しろ】 10

【侵略・植民地支配を謝罪しろ】 10

元「従軍慰安婦」に謝罪と賠償をしろ

──────────妄言

元慰安婦への謝罪も賠償もなく反省していない!

☑︎元従軍慰安婦たちに謝罪しろ!

☑︎従軍慰安婦は日本軍に強制連行された!

☑︎良心的日本人や元慰安婦の証言は信用できる!

良心的日本人である吉田清治氏などの証言により、

すでに従軍慰安婦問題における日帝が犯した蛮行は明らかである。

それにもかかわらず、被害者である元慰安婦のかわいそうなおばあさんたちに、

日本政府は謝罪も賠償も行っていない。

これは日本がまだ過去の罪を反省していないからだ。

われわれは日本に謝罪と賠償を要求する!

──────────真実

慰安婦=売春婦!そもそも謝罪も賠償も必要ない!!

☑︎売春婦に謝罪する必要はない

☑︎挑戦人に騙されて慰安婦になった女性はいた

☑︎日本と韓国の嘘つきが事実を歪めた

韓国の嘘を認めてしまった「河野談話」

いわゆる「従軍慰安婦」問題に関して、日本が反省するようなことは何もない。

これまで述べてきたように「従軍慰安婦」とは単なる「売春婦」であって、

金を受け取りセックス産業に従事することを自ら選んだ女性たちである

(親に売り飛ばされた例も多々あるが)日本は謝罪も賠償もする必要は無いのだ。

ところが「従軍慰安婦」問題に関して1993年8月、官房長官であった河野洋平【※1】が談話を発表している。

その内容は「従軍慰安婦」の強制性を認め、政府として謝罪すると言うものだった。

しかし1997年3月12日の参議院予算委員会で、平林博内閣外政審議室長(当時)は

「政府の発見した資料の中には、強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」と答弁している。

後に河野は新聞の取材で、「政府が法律的な手続きを踏み、

暴力的に女性を借り出したと書かれた文書があったかと言えば、そういうことを示す文書はなかった。

けれども、本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、

強制性のケースが数多くあった事は明らかだ」(「朝日新聞」1997年3月31日付)と発言している。

つまり、河野は自身が出した談話が客観的証拠によるものではなく、

個人の主観に基づいてなされたものであることを認めているのだ。

この河野談話が出された後、太平洋戦争犠牲者遺族会【※2】

元「従軍慰安婦」を自称する挑戦人の元売春婦等を担ぎ上げて、

日本政府に賠償を求めて裁判を起こした。

しかし、2004年11月29日の最高裁判決で原告敗訴が確定し、

日本政府に賠償の義務が存在しないことが確認されたのである。

→!!強制連行の存在を示す証拠はどこにもなかった。

──────────注釈

【※1】河野洋平

自民党議員、衆議院議長。

1992年、宮沢喜一改造内閣の官房長官に就任。

その任期中に上掲の発言を行った。

その後、宮沢喜一の後を受けて自民党総裁になるが、直後の衆院選で過半数割れ。

自民党が野党に転落したため、総理大臣になれなかった(日本新党の細川護煕が首相就任)。

【※2】太平洋戦争犠牲者遺族会

もともとは、戦争犠牲者とその遺族の情報を収集したり、遺骨調査をしたりといった活動を行う組織だった

(1972年発足)。

しかし徐々に日本に謝罪と賠償を要求する団体へと変貌。

1997年には韓国で社団法人として認可された。

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【嫌韓】陸軍大将よりも高収入な「性奴隷」

陸軍大将よりも高収入な「性奴隷」

慰安婦たちは本当に性奴隷のような存在だったのか、参考となる事例がある。

文玉珠【※3】という自称元「従軍慰安婦」が起こした貯金の返還請求裁判だ。

戦時中にビルマ(ミャンマー)で慰安婦として働いていた時(1943 ~1945年)、

売春行で貯めた26,145円を郵便貯金にしていたが、戦後の混乱期に通帳を紛失してしまったと言う。

その変換を求めて1992年に裁判を起こしたのである。

ここで注目すべきはその3年足らずでため込んだ「26,140円」と言う金額である。

これを現在のレートに換算すると、なんと一億円近くにもなるのだ。

ちなみに当時の陸軍大将の年収は約6600円である。

「日本軍に強制連行された性奴隷」とやらは、その日本軍のトップよりも年収が上だったのである。

終戦直後の戦地売春婦たちの姿を知る資料として、

北ビルマのミチナ慰安所を調査した米軍のレポートがある。

それを見ると、「ブローカー(及び経営主)は= 300 ~ 1000円の前借金を親に支払い、

女性たちはその債務を慰安所での収入で返還している。

経営者との収入配分比率は40 ~60%、女性たちの稼ぎは月に1,000 ~2000円、

兵士の月給は15円~25円。

慰安婦たちは通常、個室のある2階建ての大規模家屋に宿泊して営業を行った」とある。

慰安婦たちはかなりの高収入であり、文玉珠だけが特別稼ぎが良かったわけではないことがわかる。

さらに「彼女たちの暮らしぶりは、他の場所と比べれば贅沢とも言えるほどであった。

慰安婦は接客を断る権利を認められていた」

「負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は挑戦に帰ることを許された」といった記述も見られる。

また、小野田寛郎【※4】が「正論」 (サンケイ新聞社) 2005年1月号で発表した手記

「私が見た従軍慰安婦の正体」でも、「当時、漢口周辺には約33万人と言う兵力が駐屯していたが、

ある理由で全軍の兵士の金銭出納帳を調べた。

3分の1が飲食費、3分の1が郵便貯金、3分の1が「慰安所」への支出だった。

(中略)ちなみに当時の給料は兵士は1ヵ月平均13円程で、その3分の1を約4円として計算すると

33万人で総額約132万円になる。」と、米軍のレポートとほぼ同じ内容が書かれている。

秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によれば、玉割り(売春宿と売春婦の収入配分率)が、

内地では高くても40%だった時期に、戦地では50%が当たり前だった。

沖縄などでは70%にまで跳ね上がっていたと言う。

ハイリスク、ハイリターンをとって、戦地での売春を選んだ慰安婦が数多くいたのである。

日本軍に対して厳しい目を向けていた米のレポートや、

実際に慰安婦たちを見てきた小野田寛郎の証言、秦郁彦のような研究者たちの調査を読む限り、

性奴隷とされた慰安婦の姿などどこにも存在した様子はなく、

プロ意識を備えた「売春婦」の姿がそこには見えてくるのである。

!!「従軍慰安婦」の実態は、単なる売春婦に他ならない

真実挑戦人慰安婦の「200,000人」も「性奴隷」も嘘

──────────注釈

【※3】文玉珠

金学順に続いて名乗り出たふたりめの公式「従軍慰安婦」。

陸軍大将より稼いだ売れっ子売春婦として有名。

従軍慰安婦としても名乗り出た時点では「挑戦人ブローカーに売り飛ばされた」と証言したいたが、

その後の裁判で「軍服を着た男に無理矢理慰安所へ連れていかれた」と証言を変更。

貯金返還請求裁判では「すでに口座は失効している」として敗訴した。

1997年に死去。

【※4】小野田寛郎

戦後も南方でゲリラ戦を続けた、いわゆる「日本兵の生き残り」の1人、

陸軍中野学校で訓練を受けた後、1944年にフィリピンのルバング島へ派遣される。

1974年までの30年間、終戦を知らずジャングルの奥地に潜伏していた。

帰国後、ブラジルに移住して牧場を経営。

日本では「小野田自然塾」も主宰する。

2005年11月藍綬褒章を受賞した。

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【嫌韓】労働者の斡旋までも「強制連行」に追加

労働者の斡旋までも「強制連行」に追加

すでに述べたように、挑戦半島で徴用が実施された期間は実質7ヶ月である。

しかし韓国人は、「強制連行被害者」の数を少しでも多くするため、

「民斡旋」と「官斡旋」も強制連行の1種だと主張しているのである。

1939年日本国内で国民徴用令が発令された頃、

挑戦半島では日本の民間業者による労働者のあっせん事業(いわゆる「明斡旋」)が始まっていた。

これに応募した約 147,000人の挑戦人たちは、日本に渡航して炭鉱や工場などで労働に従事している。

戦局が悪化するにつれて日本国内の労働者不足はさらに深刻化したため、

それまで民間業者がバラバラに行っていた斡旋事業を効果的に行うべく、

挑戦総督府が窓口となり日本の各民間企業への終了を斡旋就労を

斡旋(いわゆる「官斡旋」)することになった。

この官斡旋が始まった1942年から、挑戦半島で徴用令が適用される1940余年までの間に、

約30万人の挑戦人が日本に渡航している。

ここで注意すべきは、民斡旋、官斡旋が強制力を伴わないものであったことである。

現在の状況に例えるなら、民斡旋のアルバイトニュース、官斡旋はハローワークのようなものである。

韓国で言われてるような「ある日突然日本軍兵士がやってきて、

軍用トラックに挑戦人を次々放り込み無理矢理連れ去った」などと言う事は断じてなかったのである。

!!間斡旋(=ハローワーク)は、「強制連行」とは関係ない

──────────真実

韓国が主張する強制連行神話は大ウソだった!

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【侵略、植民地支配を謝罪しろ】 09

──────────妄言

20万人もの挑戦人女性を性奴隷にした

☑︎挑戦人女性20万人を従軍慰安婦とした!

☑︎「挺身隊」とは、従軍慰安婦の別名だ!

☑︎慰安婦は「性奴隷」として扱われた!

人面獣心の日帝軍人たちは、自らの獣慾を満たすため、

20万人もの挑戦の可憐な乙女たちを次々と連れ去っていった!

彼女たちは従軍慰安婦(挺身隊)として戦場に強制連行され、日本軍兵士たちの「性奴隷」にされたのである!

このような「国家による性犯罪」など、前代未聞であり、

日本人は未来永劫、韓国人に謝罪し続けなければならない!

──────────真実

「従軍慰安婦」は単なる売春婦に過ぎない

☑︎挑戦人慰安婦は4000人程度

☑︎「挺身隊」と「慰安婦」は無関係

☑︎慰安婦は陸軍大将より高収入の職業

「挺身隊」と「慰安婦」を混同する韓国

韓国は「日本軍は20万人もの挑戦人女性を強制連行し、

「従軍慰安婦と言う性奴隷にした」などと主張している。

そもそも「従軍慰安婦」とは、戦後に作られた言葉(初出は「従軍慰安婦」【※1】で、

戦前は単に「慰安婦」と呼ばれていた。

その実態は、軍人相手に商売をしていた単なる売春婦である。

この「慰安婦」に「従軍」と言う言葉を加えることで

「日本軍に強制連行された性奴隷」と誤解させることを狙った、反日プロパガンダのための造語なのだ。

韓国は「挺身隊」【※2】と「慰安婦」を混同させて「20万人の挑戦人女性が従軍慰安婦にされた!」と主張している。
しかし挺身隊とは、1944年8月の勅令第519号(「女子挺身勤労令」に基づいて

工場などで働いていた女子工員のことであり、慰安婦とは全く関係ない。

実際には当時の慰安婦の総数は約20,000人。

その多くが日本人女性で、挑戦人慰安婦は4000人程度だったと言われる。

そもそも外地にいた日本軍約300万人に対し、挑戦人慰安婦20万人という数は、

いくらなんでも多すぎると韓国人は気づかないだろうか?

このような供給過剰な状態で経営が成り立っているとしたら、

日本人軍人は戦争もせずに毎日売春宿(慰安所)に通っていたことになってしまう。

「挑戦人慰安婦20万人説」がいかに荒唐無稽かわかるだろう。

!!「従軍慰安婦20万人説」はデタラメ

【※1】従軍慰安婦

著者は千田夏光。1973年に双葉社から出版された。

初めて「従軍慰安婦」という造語を使用したことで知られる。

翌年には続編も出版されている。

【※2】挺身隊

太平洋戦争時の労働力不足をカバーするため、軍需工場などでの労働に徴用された女性たちを指す。

当然のことながら、徴用対象は挑戦人女性だけでなく、ほとんどの日本人女性が含まれる。

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【嫌韓】渡航制限を設けて挑戦人の流入を拒んだ日本

渡航制限を設けて挑戦人の流入を拒んだ日本

実は韓国人の「強制連行被害者は数百万人!」【※3】と言う主張は徴用が適用される前に

日本に渡った挑戦人の数を数えて加えて強引に水増ししたものなのだ。

日韓併合後、多くの挑戦人が豊かな生活を夢見て日本に渡航してくるようになった。

1910年から1945年の35年間に来日した挑戦人の総数は、2,695,000人に及んでいる。

しかし、あまりにも多くの挑戦人が日本に流入したため、挑戦人による治安の悪化や、

日本人の失業率増加などが社会問題となったのである。

たまりかねた日本政府の指示で、挑戦総督府は1921年に挑戦人の日本への渡航制限を設けた。

しかし、この規制に対する挑戦人の反発は猛烈だった。

例えば「東和日報」(1921年9月9日付)などは、社説で

「渡航制限は挑戦人全体を無視し侮辱する悪法である」と主張し、

撤廃キャンペーンまで張って抗議しているのである。

こうした猛反発を受け、総督府は翌年12月の府令第153号で渡航制限を解除している。

しかし、その後も挑戦人の日本への流入が止まらず、1924年に再び渡航制限が実施された。

このときの挑戦人の反発は前回にも増して凄まじく、同年5月17日に挑戦労働総連盟、

挑戦青年総同盟の2団体が釜山港で主催した抗議集会には50,000人の挑戦人が集結し、

内務省と総督府を相手取って連日にわたって渡航制限撤廃の抗議運動を繰り広げたのである。

日本政府は「強制連行」どころか、日本に来ないようにと渡航制限まで出して、

挑戦人の流入を食い止めようとしていたのが歴史的事実なのである。

!!日本はどこを挑戦人の流入に悩まされていた

──────────注釈

【※3】

2006年6月15日付けの「挑戦新報」で

北挑戦外務省は「日本は840余万人の挑戦人を強制連行」したと主張している。

挑戦総連の見解もこの数字であると思われる。

民団が編集した「歴史教科書 在日コリアンの歴史」(明石書店)には、

強制連行被害者は「述べ72万人」と記載されている。

この数字は民団の公式見解と言っていいだろう。

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「炭鉱、高山に強制連行」は、韓国人の妄想

韓国人とっての強制連行は、「軍隊や警察によって強制的に挑発されて、

炭鉱や高山で過酷な労働」と言うイメージだそうだが、実態は韓国人の妄想とは全く異なっている。

1939年の内務省次官通牒「挑戦人労務者内地移住に関する件」には、

85,000人の挑戦人の移住が認められた際、炭鉱の募集係のところで

挑戦人が押し寄せて夜中から列を作っていた、と言う記述がある。

炭鉱での仕事は今の言葉で言えば「ハイリスク、ハイリターン」であり、

危険ではあるが高収入を得られる職として、日本中から労働者が集まっていた。

日本人だけではなく挑戦人の中にも「過酷だが高賃金の職」を望むものがいたとしても

何も不思議ではないだろう。

その他にも1939年に北海道の三菱手稲工業所が挑戦半島で千人の坑夫を募集したところ、

7000人もの挑戦人が応募し、応募者多数のため9月5日と翌年3月5日に、

それぞれ第一次、第二次選考が行われた。

一体これのどこが「強制的な徴発」なのだろうか?このような労働者も含めて

韓国人は「強制連行」の被害者にカウントし、日本に謝罪と賠償と反省を要求しているのだ。

!!強制連行どころか、炭鉱、鉱山の募集に挑戦人が殺到した

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【嫌韓】【侵略・植民地支配を謝罪しろ】 08

【侵略・植民地支配を謝罪しろ】 08

──────────妄言

挑戦人を日本本土へ強制連行した

多くの挑戦人を強制連行し、奴隷として酷使した!

☑︎日帝は何百万もの挑戦人を強制連行した!

☑︎挑戦人をかり集め、強制的に日本へ送った!

☑︎挑戦人は炭鉱や鉱山で奴隷として酷使された!

日帝は軍隊の力で何百万人もの挑戦の民衆を狩り集めて日本へ強制連行し、強制労働に従事させた。

奴隷として極限まで酷使され、働けなくなった挑戦人たちを待っていたのは、日帝軍隊による大虐殺だった!

強制連行と言うアウシュビッツに匹敵する国家犯罪について、日本人は永遠に我ら韓国人に謝罪し続けなければならないのだ!

———————————真実

日本への渡航、就労を望んだのは挑戦人自身だ!

☑︎徴用(=強制連行)は日本国民の義務

☑︎日本は渡航制限を設けて挑戦人の流入に対処

☑︎炭鉱、鉱山の求人に挑戦人応募者が殺到

徴用は日本国民の義務であった

韓国人が「アウシュビッツに匹敵する国家犯罪)として非難して止まない「強制連行」だが、

これは正しくは「徴用」【※1】のことである。

「強制連行」とは、悪いイメージを植え付けるために、戦後になって挑戦人が作った造語である。

徴用は1938年に成立した国家総動員法【※2】に基づき1939年に発令されたものであり、

戦時下の日本国民に課せられた義務であった。

これによって多くの国民が軍需工場などに動員されたのだった。

挑戦半島は日本の1部であり、挑戦人は日本国民だったので、

挑戦に徴用が適用されることに何の問題もなかったが、

当初は日本本土や台湾などでしか適用されなかった。

しかし戦局の悪化により労働力が不足し、戦争末期にはついに挑戦でも徴用が行われるようになった。

挑戦半島に徴用が適用されたのは1944年9月から、

下関と釜山を結ぶ関釜連絡船の運行が停止した1945年3月までの7カ月間だけであり、

この間に日本へ渡った挑戦人は約22万人であった。

確かにこの22万人は国家の強制力の下で動員されたが、

徴用は当時の日本国民すべてに課せられた義務である。

しかし先に述べたように、挑戦半島で徴用が行われるようになったのは、

日本本土などより五年も遅かったのだ。

むしろ挑戦人は「優遇」されていたと言って良いのではないだろうか

!!日本や台湾より優遇されていた挑戦

──────────注釈

【※1】徴用

国家が国民に労働を課すること。

国家総動員法第四条を受け、1969年に国民徴用令が制定された。

徴兵時の赤紙招集と異なり、徴用者には白い紙が渡されていた。

【※2】国家総動員法

1939年の日中戦争勃発を受け、戦争継続のために労働力、

資源を国家が統制すべく、1938年に公布された。

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