【嫌韓】挑戦最大の政治結社さえ日本との合邦を求めた

李朝を滅ぼしたのは韓国人自身!

李朝最後の国王で、大韓帝国【※7】第二代の皇帝純宗は、1910年8月22日の御前会議後に詔勅を発して、

挑戦の統治権を日本国天皇陛下に譲与することを宣言して退位した。

しかし純宗自身は、併合条約第三条「日本国皇帝陛下は、韓国皇帝陛下、

皇太子殿下並びににその后妃及び後裔をして、各その地位に応じ相当たる尊称、

威厳及び名誉を享有せしめ、かつこれを保持するに充分なる歳費を供給することを約す」

という条文に基づき、大韓帝国の元皇帝として相応しい待遇を受け、

退位後は「李王」と呼ばれ昌徳宮(李朝の宮殿)にそのまま居住している。

国王を無理やり退位させ、辱めたような韓国側の主張は完全に間違っている。

2005年7月16日、李朝最後の末裔李玖(イグ)【※8】(享年76歳)が日本で亡くなった。

李朝26代高宗の王子、英親王と李方子妃の息子であった故人の死去により、李朝の嫡流が途絶え、

ここに李朝は完全にその幕を下ろした。韓国建国(1948年8月13日)後も李朝の末裔は存在し、

もし韓国民が望むならいつでも李朝は復活することができたのである。

李朝を滅ぼしたのは、他でもない韓国人自身ではないのだろうか。

──────────注記

【※7】1897〜1910年まで李氏朝鮮が名乗った国称。

日清戦争後に清が朝鮮の宗主権を放棄したため、朝鮮は属国の立場を脱して独立国家となった。

【※8】李玖(英親王)の子として、1931年に東京で生まれた。

戦後はアメリカ留学で建築学を学び、李朝最後の皇太子にして建築家、という肩書きをもつ。

のちにアメリカ人女性と結婚してアメリカに帰化。李承晩政権が帰国を許さなかったが、

朴正煕政権期の1963年、韓国に戻る。

しかし事業に失敗、妻とも別れた後は東京で生活。2005年、日本のホテルにて心臓麻痺で死去。

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