日英の最初の出会いは19世紀初めフェートン号が長崎港に殴り込みをかけた事件だった。
日本人はなんと乱暴な国があるものかと大いに驚いた。
で、対処の方法を考えるためまず英和辞典「諳厄利亜語林大成」を作った。
後に同じ言葉話し、もっと凶暴な米国人が来たときにそれは大いに役立った。
これは良い反面教師的だけれど英国は実際、いいこともしてくれた。
幕末、ロシア艦ポサドニックが対馬に来て村々を荒らした上、港の租借と遊女の差し出しを要求してきた。
幕府が下手に対応すれば対馬占領もありえた。
実際、明治8年、同じようにロシア艦が樺太にやってきて同じような脅しをかけてきた。
日本は独力では抗しきれずロシアは樺太を手に入れている。
対馬もあわやと言う時に英公使オールコックが軍艦二隻を派遣してロシア艦を追っ払ってくれた。
感謝してもしきれない良い結末だった。
そのロシアと挑戦を挟んで再び対決した時英国が軍事同盟を結んでくれた。
日本はロシアと戦うだけでよかった。
日本嫌いの独仏がもしロシアを助けたりすれば英国は直ちに参戦し独仏を倒す約束だった。
誰も世界最強の英国と戦いたくはなかった。
バルチック艦隊は日本海に入る前、仏印カムラン湾で休養取れるはずだった。
が、仏政府は日英同盟を恐れて艦隊の入港を認めなかった。
将兵は地球4分1周する長い航海の疲れも取れないまま聯合艦隊と対馬沖でぶつかった。
ロシア艦隊全滅と言う大勝利の2割位は英国のおかげだった。
その日英同盟は米国の狡猾と幣原喜重郎の間抜けのせいで消滅する。
それもあって先の戦争が起きて日本は負けた。
戦後の日本は米国の壟断に振り回されたが、そんな時も英国はごく普通の対応をしてくれた。
米国は日本が白人国家に二度と立ち向かえないよう航空機産業を徹底的につぶした。
航空機の運航も製造も航空力学の講義も禁じた。自動車工業も同じ。
製造も研究も禁じ、戦前までやっていたフォードやGMの現地生産もやめさせた。
重工業も同じく完全解体のはずだったが、南北挑戦が実に良いタイミングで戦争を始めてくれた。
日本は米軍の後方基地としてその工業力を生き残らせることができた。
こんな時英国が日本自動車産業の救世主になった。
オースチンが日産とヒルマンがいすゞとノックダウン契約を結んで戦後の空白を埋められた。
先の戦争は米国が石油を絶ったことで始まった。
戦後の日本のエネルギー事情もなんら改善はなかった。
政府は原発の導入を考えたが、米国は断固拒絶した。
日本が核を持てばいつか広島長崎の仇を取られると彼らは考えているからだ。
その時にまた英国が手を差し伸べた。
日本は英国製黒煙型減速型の原子炉を手に入れて稼働させた。燃料は安い天然ウランで良い。
これに驚いたのが米国だった。黒煙原子炉は燃やせば核爆弾になるプルトニウムが得られる。
日本はすぐにも核兵器を持てる。米国は慌てて方針を変えた。
黒煙原子炉を廃棄させる代わりに軽水炉を与えることにした。
この炉なら核兵器になるプルトニウムはできないからだ。
それで日本はエネルギー自給体制をある程度まで実現することができた。
原発についてもノウハウを身に付け、今や日立が英国に恩返しの軽水炉を輸出するところまで来ている。
EU離脱で苦しむ英国は大助かりだろう。
ただ輸出するには出資金が足りない、断念せざるをえないと日立は言う。
政府は反原発の旗を振る朝日新聞の嫌がらせを恐れて援助を躊躇う。
かつてあの挑戦如きに国家予算の2割を36年間も無駄に投入してきた。
その36分の1でも英国向けに回したらどうか。
歴史に刻まれた恩義の何分の1は返せる。
挑戦と違ってきっと意味あるものになるはずだ。
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