【侵略、植民地支配を謝罪しろ】 05
挑戦人たちから土地を奪った
──────────妄言
挑戦農民の土地を強奪し、収奪の限りを尽くした!
☑︎日帝は挑戦民衆から土地を奪い去った!
☑︎農民を小作農にして、収奪の限りを尽くした!
☑︎挑戦各地鉄杭を打ち、龍脈を断とうとした。!
底無しの欲望を持つ日帝は、それまで豊かな土地で平和に暮らしていた挑戦農民から土地を強奪し、
農民たちを小作人として収奪の限りを尽くした。
さらに韓民族の精気を断ち切るために、風水による呪いの鉄杭を大地に打ち込み、半島の龍脈を断とうとするなど言語道断の悪事を働き、挑戦半島を絶望のどん底にたたき落としたのだ。
──────────真実
日本は両班による土地収奪を止めさせ挑戦農民を救った
☑︎挑戦民衆の土地を奪ったのは両班
☑︎日本は挑戦農民を奴隷状態から救った
☑︎李朝ではまともに土地測量ができなかった
挑戦民衆の土地を奪ったのは日本ではなく両班
韓国人が主張する日帝の「土地強奪神話」は完全な虚偽である。
この「土地強奪神話」の多くは、李朝時代の両班が民衆から土地を奪うなどした
暴虐非道がが、後世の韓国人たちの捏造によって「日帝の暴虐」にすり替えられたものである。
李氏挑戦末期の記録、ダレ神父の「挑戦事情」【※1】 (1874年)の中で、
両班による土地強奪の様子が次のように書かれている。
「両班は、世界中で最も強力にして、傲慢な階級である。
彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしで済ましてしまう。
しかも、この強奪行為を阻止できる守令 (現在の知事に相当)は1人もいない。」
そもそも挑戦の土地は日本が進出する前に、すでに欧米に侵食されていた。
第26代国王の高宗自身が周囲の反対を押し切り、列強各国に国土を売っていたのだ。
挑戦半島南部の馬山浦地域もロシアに売り払われており、
ロシアはこの馬山浦に不凍港を建設することによって対馬海峡から日本海、
オホーツク海に抜ける極東シーレーンの完成と日本への軍事的圧迫を加えることを画策したのである。
さらに1903年には鴨緑江河口にある龍石浦が軍港建設を目的にロシアに売却され、
日露の対立がさらに強まっていった。
高宗による土地の乱売は、日露戦争の直接的な回線要因となったのだ。
↓
!!国王が率先して外国に国土を売り渡していた
──────────注釈
【※1】挑戦事情
平凡社(東洋文庫367)。
正式書名は、「挑戦事情挑戦教会史序論 その歴史、制度、言語、風俗及び習慣について」。
現在は絶版となっている
【写真】
転載しない。
李氏挑戦時代の両班が奴隷に乗り物を引かせている。
当時の挑戦の技術では二輪車を作ることができなかった。
この乗り物が一輪車になっていて猫車と言われる。
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