労働者の斡旋までも「強制連行」に追加
すでに述べたように、挑戦半島で徴用が実施された期間は実質7ヶ月である。
しかし韓国人は、「強制連行被害者」の数を少しでも多くするため、
「民斡旋」と「官斡旋」も強制連行の1種だと主張しているのである。
1939年日本国内で国民徴用令が発令された頃、
挑戦半島では日本の民間業者による労働者のあっせん事業(いわゆる「明斡旋」)が始まっていた。
これに応募した約 147,000人の挑戦人たちは、日本に渡航して炭鉱や工場などで労働に従事している。
戦局が悪化するにつれて日本国内の労働者不足はさらに深刻化したため、
それまで民間業者がバラバラに行っていた斡旋事業を効果的に行うべく、
挑戦総督府が窓口となり日本の各民間企業への終了を斡旋就労を
斡旋(いわゆる「官斡旋」)することになった。
この官斡旋が始まった1942年から、挑戦半島で徴用令が適用される1940余年までの間に、
約30万人の挑戦人が日本に渡航している。
ここで注意すべきは、民斡旋、官斡旋が強制力を伴わないものであったことである。
現在の状況に例えるなら、民斡旋のアルバイトニュース、官斡旋はハローワークのようなものである。
韓国で言われてるような「ある日突然日本軍兵士がやってきて、
軍用トラックに挑戦人を次々放り込み無理矢理連れ去った」などと言う事は断じてなかったのである。
↓
!!間斡旋(=ハローワーク)は、「強制連行」とは関係ない
──────────真実
韓国が主張する強制連行神話は大ウソだった!
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【侵略、植民地支配を謝罪しろ】 09
──────────妄言
20万人もの挑戦人女性を性奴隷にした
☑︎挑戦人女性20万人を従軍慰安婦とした!
☑︎「挺身隊」とは、従軍慰安婦の別名だ!
☑︎慰安婦は「性奴隷」として扱われた!
人面獣心の日帝軍人たちは、自らの獣慾を満たすため、
20万人もの挑戦の可憐な乙女たちを次々と連れ去っていった!
彼女たちは従軍慰安婦(挺身隊)として戦場に強制連行され、日本軍兵士たちの「性奴隷」にされたのである!
このような「国家による性犯罪」など、前代未聞であり、
日本人は未来永劫、韓国人に謝罪し続けなければならない!
──────────真実
「従軍慰安婦」は単なる売春婦に過ぎない
☑︎挑戦人慰安婦は4000人程度
☑︎「挺身隊」と「慰安婦」は無関係
☑︎慰安婦は陸軍大将より高収入の職業
「挺身隊」と「慰安婦」を混同する韓国
韓国は「日本軍は20万人もの挑戦人女性を強制連行し、
「従軍慰安婦と言う性奴隷にした」などと主張している。
そもそも「従軍慰安婦」とは、戦後に作られた言葉(初出は「従軍慰安婦」【※1】で、
戦前は単に「慰安婦」と呼ばれていた。
その実態は、軍人相手に商売をしていた単なる売春婦である。
この「慰安婦」に「従軍」と言う言葉を加えることで
「日本軍に強制連行された性奴隷」と誤解させることを狙った、反日プロパガンダのための造語なのだ。
韓国は「挺身隊」【※2】と「慰安婦」を混同させて「20万人の挑戦人女性が従軍慰安婦にされた!」と主張している。
しかし挺身隊とは、1944年8月の勅令第519号(「女子挺身勤労令」に基づいて工場などで働いていた女子工員のことであり、慰安婦とは全く関係ない。
実際には当時の慰安婦の総数は約20,000人。
その多くが日本人女性で、挑戦人慰安婦は4000人程度だったと言われる。
そもそも外地にいた日本軍約300万人に対し、挑戦人慰安婦20万人という数は、
いくらなんでも多すぎると韓国人は気づかないだろうか?
このような供給過剰な状態で経営が成り立っているとしたら、
日本人軍人は戦争もせずに毎日売春宿(慰安所)に通っていたことになってしまう。
「挑戦人慰安婦20万人説」がいかに荒唐無稽かわかるだろう。
↓!!「従軍慰安婦20万人説」はデタラメ
【※1】従軍慰安婦
著者は千田夏光。1973年に双葉社から出版された。
初めて「従軍慰安婦」という造語を使用したことで知られる。
翌年には続編も出版されている。
【※2】挺身隊
太平洋戦争時の労働力不足をカバーするため、軍需工場などでの労働に徴用された女性たちを指す。
当然のことながら、徴用対象は挑戦人女性だけでなく、ほとんどの日本人女性が含まれる。
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