高麗(918から1392)は仏教国家だった。
蒙古に攻め込まれると、王朝は江華島に逃げ込んで念仏を唱え続けた。
しかし、両班の教養はすでに儒教だった。
王朝と結んだ仏教界が腐敗を極める中で、李氏朝鮮(1392から1910)は、
高麗を軍事クーデターで倒して成立した。
儒教を信奉する人々が、その指導部の中枢だった。
だからといって、李王朝が儒教国家として発足したわけでもない。
初代王の李成佳も晩年は仏教に帰依した。
「李王朝の儒教政治」とは、極論になるが、①この世の中で、最も価値があるものは儒教だ、
②したがって、儒教の文献を読み、解釈できる人間が高い身分階層を構成するのは当然だと
国民に認めさせることだった。
文学(漢字)を読めるのは、高麗時代から貴族だった家柄の人間たちと、仏僧だけだった。
仏僧は、新王朝の権力により奴婢の身分に落とされたから、王を頂点とする貴族が支配階級になる。
試行錯誤はあったが、15世紀初頭には両班支配体制が確立された。
支配層になった両班は、儒教を材料にしてその地位を確立したのに、
儒教の理想とはおよそ無縁の強欲、暴力支配を繰り広げた。
強い武力を持つ集団が支配層として君臨するなら理解しやすい。
だが朝鮮半島では、科挙に合格するため机に向かうだけだった文弱人間が支配層になる。
それでも、「儒教の経典を解する人間が絶対に偉い」と言う統治のための信仰
(まさにイデオロギー)が国中隅々に行き渡れば、いかなる剛腕な奴婢も、
文弱の両班を「ご主人様」として奉り、その不当極まる命令に、どこまでも従う。
すなわち、文弱支配層の暴力装置の役割も担うのだ。
奴婢とは、いわば「人もどき」で、人権など全く認められず売買の対象にもなった。
奴婢の下に、さらに白丁と呼ばれる階層があった。
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