私が初めて韓国に赴任した1980年のことだ。
ある日、韓国の高齢者と昼食をとった。
「焼きそば」のようなものだった。
食事中、高齢者は「私は両班の出だ」と言った。
しかし、「両班の出」であることが事実としても、何の価値もない。
私の冷笑を見てとったのか。
私は「私は両班の出なもので、どうしても豚肉を食べられない」と言い始めた。
そして口に一度含んだ豚肉を「ペッ、ペッ」と店の床に吐き出した。
(ここら辺、旧宗主国である中国と同じ飲食マナーだ)
数ヵ月後、その人物と酒を飲んだ。
彼はかなり酔っていて、「家に来い」と言う。
彼の家に行くと、奥さんが「サムギョプサル(豚の三枚肉」)の焼き物を持ってきた。
へべれけの彼は、それを口に運びつつ「うまいよ、あんたも食いなさい」。
「両班の出」であることが、そもそも嘘なのか。
あるいは「どうしても豚肉を食べられない」だけが嘘だったのか。
嘘とはいちど吐いたら、吐き続けなければ破綻する。
しかし、長い付き合いになると、酔っ払って前に言った嘘を忘れて、矛盾する内容を口走ることがある。
嘘吐いた事項について、よく事情を知る第三者が一緒にいる場合もある。
私はソウルに5年いた。
だから、嘘が嘘を呼び、しまいに自縄自縛に陥ると、恥じるところが、
瞬間湯沸かし器のように興奮するか、怒りだす韓国人をたくさん見てきた。
ともかく決して嘘だったことを認めようとしない。
改めて、先の高齢者について考えてみよう。
仮に、私が「あの人は両班の出だ」と信じたとして、彼に何の利益があるのか。
おそらく精神的な満足感だけだろう。
しかし、私の体験的知見で言えば、何の力がなくても、
いや、それどころか損することになろうとも、自ら気をつ自らを着飾って見せ、
自己陶酔するのが韓国人だ。
着飾って見せるためなら、嘘を吐くことくらい、ほとんど躊躇しない。
これは、個人のレベルでも、企業のレベルでも、政府のレベルでも同じだ。
外華内貧とは、半島で創作された数少ないよ四字熟語の1つだ。
昔、水前寺清子が「ボロは着てても心は錦、どんな花より綺麗だぜ」と歌っていたが、
この歌詞に盛られたし心意気とは全く逆の心情だ。
中身はボロでも、とりあえず外観を飾り立てたい。
そのためなら嘘を吐くくらいなら構わない。
それが外華内貧のマインドだ。
私は、韓国人とは何者かを示す最も的確な言葉が外華内貧だと思っている。
韓国人とはどこまでも外華を誇示し、内貧を語ろうとしない。
外貨を輝かせてみせるために全力を尽くす。
学歴詐称位、当たり前のことに属する。
こうしたコリアンマインドは、現代韓国の国技と言える「美容整形」に直結している。
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