【ザビエルの正体】腹黒い侵略者がなぜか善人に

ユーチューブに面白い逸話がありましたので書き起こしします。

音声を書き起こすのは実に骨が折れるものですが、文字が流れていくのは助かります。

参照先:https://www.youtube.com/watch?v=P0x_m2Jf4eE

投稿者本人の言葉で書いておられると思いますが、各文節末に違和感があります。

ご自分でそれを補完しつつお読みください。

大航海時代15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた。

ヨーロッパ人によるアフリカ、アジア、アメリカ大陸への大規模な公開が行われた時代。

主にポルトガルとスペインにより行われた。

キリスト教も同時に世界に布教されていくのであった。

日本の教科書ではこのように教えられているのではないだろうか。

しかし本当はそんな表面的な理由で海外を目指したわけがなかった。

布教という名の世界侵略が始まりだった。

16世紀にキリスト教では、伝統的なカトリックに対してプロテスタント

(英語で反抗の意味)が出現した。

そしてカトリック系のイエズス会派が海外に対してキリスト教の布教をしていくのだった。

もちろんヨーロッパから遠く離れた極東の国日本にもやってきた。

■学校で教えない歴史

キリスト教の日本トライは1549年、フランシスコ・デ・ザビエルに始まります。

日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師として、日本人の多くがその名前を記憶していると思います。

ザビエルと聞けば、敬虔な顔つきで黒い修道士の服を着た肖像画が思い浮かぶ。

さぞかし信仰心篤い高貴なキリスト教徒だったろうと想像します。

カトリック系のイエズス会のザビエルは、日本ではかなり好意的に紹介されてると思います。

しかし、そうした彼のイメージは実際の顔とは真逆だったかもしれません。

ザビエルは日本にキリスト教を布教に来たと言われていますが、

そんな上辺だけを教えてもものの役に立ちません。

確かに彼らの目的は、表向きはキリスト教の伝導でした。

しかし、裏の本当の目的は黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の

領土にするために来日しました。

イエズス会は世界にキリスト教を広めることを目的とし、そのためには軍事力も利用した、

かなり戦闘的な修道会でした。

ザビエルはカトリック教会の主人・ローマ法王の僧兵の一人で、インドでは鳳凰の代理として、

全権が与えられていました。

ザビエルがインドでやったことは、インドの土民をキリスト教に改宗させるために、

宗教裁判を行い、改宗を強制し、キリスト教に改宗せず従わない土民は惨殺し、焚刑に処し

富裕者の財産を奪ってキリスト教の僧院や教会を建設したのです。

キリスト教は「異教は悪魔の教えである」として凄惨な殺し方をするほど神は悦ぶとされました。

当時、欧州、南米、東方でキリスト教によって虐殺されたのは一千万人を超すといわれています。

日本にはザビエルの後も各派各団の宣教師が渡来しました。

いずれも日本の富と国土を狙ってきた者たちです。

日本人を奴隷として売り渡し、一国の領主に金を渡して領地を担保に取り上げたりしたのです。

また、ザビエル以外の宣教師がこんな手紙を残しています。

1582年日本に三年ほど滞在したイエズス会の東インド巡察師、

アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、フィリッピン総督のフランシスコ・デ・サンデに

下記のような手紙を出しています。

「私は閣下に対し、霊魂の改宗については、日本布教は、神の教会の中で

最も重要な事業のひとつである旨、断言することができます。

なぜなら、国民は非常に高貴かつ有能にして、理性に良く従うからです。

もっとも日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きでしょう。

なぜなら日本は私がこれまで見てきた中でもっとも国土が不毛かつ貧しい故に、

求めるべき者は何もなく、また国民は非常に勇敢でしかも絶えず軍事訓練を積んでいる。

そのため制服が可能な国土ではないからです。

しかしながら支那において陛下が行いたいと思っていることのために、

日本は時とともに、非常に益することになるでしょう。

それゆえ、日本の地を極めて重視する必要があります。

ちなみに『支那において陛下が行いたいと思っていること』とは、

スペインによる中国の植民地化のことと思われます。

『つまり日本には資源が少なく、国民が強いので植民地にするには向いていないが、

その軍事力は支那の征服に利用できるから、日本へのキリスト教の布教を重視する必要がある』

ということでしょう。

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当時の覇権国スペインは、植民地フィリピンを足場として、

極東各地に対し積極的な貿易と布教を行っていました。

1587年豊臣秀吉は九州征伐の途中で当時のイエズス会の布教責任者であった

宣教師を呼び伴天連追放令を発布した。

人身売買と宣教師の関わりについて詰問しています。

1637年ついには島原の民・百姓を扇動して大乱を起こさせました。

このとき原城に立てこもって死んだ遺骸にはイエズス会士もバテレンの遺骸も

見つかりませんでした。

かれらは日本人を信者にして、煽るだけ煽り立てて自分たちはとっくに逃げたのです。

キリシタン・バテレンの子供達に墓を暴かせ、神社や仏閣を破壊し、

神具・仏像を薪にして燃やし、日本の公序良俗の美風を踏みにじったのです。

乱のきっかけは圧政・重税でしたが、乱勃発後にはキリスト教が一揆のよりどころとされました。

鎮圧の一年半後にはポルトガル人が日本から追放され、

いわゆる「鎖国」が始まりました。

豊富、徳川は不況を禁圧し、宣教師らを国外退去させました。

これをいまでは「キリシタン迫害」と言われますが、これは違います。

これは国を預かる者が、国を守るための当然の施作であったのです。

ザビエルはポルトガル国王に「軍備において日本はヨーロッパと同水準にあるため

軍隊による制服は難しいです。

それよりも心に訴えて納得させればこの上なく忠実なキリスト教の下僕となる民族です。」

かれらは、当初の武力占拠は断念し、諸藩を貿易の利益で誘い布教させて

日本を乗っ取ろうとしていくのです。

同じキリスト教国でも違いがありました。

オランダが江戸幕府と交易できた理由は、貿易に専念していたからです。

キリスト教の布教活動には熱心でなかったからです。

ポルトガルは貿易した上にカトリックを広めまくって領民に戦争をけしかけたのです。

なぜ、国の安全保障に関わる侵略の歴史が日本では行われていないのでしょうか。

もっと多くの方々が歴史に興味を持っていただければと思います。

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