スーチーの国で起きた軍事クーデターに市民がデモで応えている。
彼らの持つプラカードにはちょっと感慨を覚えた。
そこには英文で『我々の指導者と未来と希望を救って」と綴られ、
隣の1枚はもっと達者な英語で「恥を知れ独裁者」だった。
この国を訪ねた30年前は、乗り合いタクシーの運転手も役人も誰1人として英語を話せなかった。
なぜなら、この国は戦後、独立してすぐ車の左側通行とか英国の臭いのする全て捨て始めた。
公用語だった英語も捨て、学校での英語教育もやめてしまった。
ビルマ人の世界から英語が全て消え、人々は皆英語音痴になった。
悪名高いネ• ウィンの仕業だが、スーチーが戻って民主化とかの騒ぎがつづいている陰で、
人々はもう英語でインタビューに答えている。
あの頃を知る者としては結構な驚きだった。
ネ・ウインはなぜそこまで英国切りをやったのか。
オバマ政権の国務次官補ダニエル・ラッセルがミャンマーについて「多民族多宗教で構成され、
分断をはらむ発展途上国」とどこかの新聞に語っていた。
国務次官補の肩書は泣き出しそうだが、ビルマ人の国は実は1世紀半前までは
仏教を信じる単一宗教単一民族の国だった。
そこに英国が乗り込んで、インド人と支那人のをどやどや入れて、
金融と商売の下請けをやらせた。
周辺の山に棲むモン・カチンなど山岳民族人もキリスト教化し、山からおろして警察と軍隊を任せた。
首都ラングーンはよそ者が大きな顔で闊歩し荘厳なスーレーパゴタの周りには
モスクやキリスト教会や関羽廟が立ち並んだ。
ビルマ人の国はラッセルの言う「多民族多宗教国家」に作り変えられた。
譬えるならGHQが山ほどの支那人や朝鮮人を入れて、彼らに日本人を支配させるようなものだ。
日本人がそれに我慢できないようにビルマ人も我慢できなかった。
ネ・ウィンは国を破壊した英国を憎み、だから英語も徹底排除した。
英国が入れたよそ者も追い出しにかかった。
ただ暴力は使わず、代わりに自ら国を閉ざして貧しい自給自足国家に落とした。
経済が止まればインド人も支那人も旨みがなくなる。
彼らの多くは出て行ったが、カチンやカレン等の山岳民族は山に戻ろうとはしなかった。
彼らは「昔のビルマ人だけの国」を望む軍事政権と深刻に対立した。
それは英国にとって、反英を掲げる軍事政権を黙らせる良い機会に見えた。
英国がすごいのはこんな事態も想定していたことだ。
英国は暗殺処分した国父アウンサンの娘スーチーをオックスフォードに留学させ、
英国人の夫マイケル・アリスまで用意して囲い込んでいた。
かくて英国製の民主化の女王が祖国に送り返され、山岳民族や貧しさに飽きたビルマ人を束ねて軍部に立ち向かい、ついには政権を奪取した。
英国の願いは1つ、ビルマ人を黙らせてミャンマーをして「民族の掃き溜め」にすることだった。
彼女はよくやったが、そんな時にロヒンギャが雪崩れ込んだ。
掃き溜めの新たな住人だから、この時ふと彼女のビルマ人の血が騒いだ。
「よそ者はいらない。
追い出しておしまい」英国はびっくりし、彼女に与えたサハロフ賞とかの栄誉を皆ひっぺがして
「多民族化を受け入れろ」と怒鳴りつけた。
スーチーはそれで自分が操られてきたことをやっと認識し始めた。
一方、軍部はスーチーの孤立を見て「ビルマ人の国復活の最後の機会」と、
今回のクーデターを起こした。
英国は民族主義に燃えた軍事政権など望んでもいない。
下手をすれば支那がそこに付け込んで油揚げを攫いそうな気配もある。
ではスーチーの目覚めた祖国愛を許すのか。
国家の揉め事には必ず民族が絡む。
それを見落とすと見えるものも見えなくなる。
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