変見自在 Archive

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【変見自在】928 スーチーは愛国者

スーチーの国で起きた軍事クーデターに市民がデモで応えている。

彼らの持つプラカードにはちょっと感慨を覚えた。

そこには英文で『我々の指導者と未来と希望を救って」と綴られ、

隣の1枚はもっと達者な英語で「恥を知れ独裁者」だった。

この国を訪ねた30年前は、乗り合いタクシーの運転手も役人も誰1人として英語を話せなかった。

なぜなら、この国は戦後、独立してすぐ車の左側通行とか英国の臭いのする全て捨て始めた。

公用語だった英語も捨て、学校での英語教育もやめてしまった。

ビルマ人の世界から英語が全て消え、人々は皆英語音痴になった。

悪名高いネ• ウィンの仕業だが、スーチーが戻って民主化とかの騒ぎがつづいている陰で、

人々はもう英語でインタビューに答えている。

あの頃を知る者としては結構な驚きだった。

ネ・ウインはなぜそこまで英国切りをやったのか。

オバマ政権の国務次官補ダニエル・ラッセルがミャンマーについて「多民族多宗教で構成され、

分断をはらむ発展途上国」とどこかの新聞に語っていた。

国務次官補の肩書は泣き出しそうだが、ビルマ人の国は実は1世紀半前までは

仏教を信じる単一宗教単一民族の国だった。

そこに英国が乗り込んで、インド人と支那人のをどやどや入れて、

金融と商売の下請けをやらせた。

周辺の山に棲むモン・カチンなど山岳民族人もキリスト教化し、山からおろして警察と軍隊を任せた。

首都ラングーンはよそ者が大きな顔で闊歩し荘厳なスーレーパゴタの周りには

モスクやキリスト教会や関羽廟が立ち並んだ。

ビルマ人の国はラッセルの言う「多民族多宗教国家」に作り変えられた。

譬えるならGHQが山ほどの支那人や朝鮮人を入れて、彼らに日本人を支配させるようなものだ。

日本人がそれに我慢できないようにビルマ人も我慢できなかった。

ネ・ウィンは国を破壊した英国を憎み、だから英語も徹底排除した。

英国が入れたよそ者も追い出しにかかった。

ただ暴力は使わず、代わりに自ら国を閉ざして貧しい自給自足国家に落とした。

経済が止まればインド人も支那人も旨みがなくなる。

彼らの多くは出て行ったが、カチンやカレン等の山岳民族は山に戻ろうとはしなかった。

彼らは「昔のビルマ人だけの国」を望む軍事政権と深刻に対立した。

それは英国にとって、反英を掲げる軍事政権を黙らせる良い機会に見えた。

英国がすごいのはこんな事態も想定していたことだ。

英国は暗殺処分した国父アウンサンの娘スーチーをオックスフォードに留学させ、

英国人の夫マイケル・アリスまで用意して囲い込んでいた。

かくて英国製の民主化の女王が祖国に送り返され、山岳民族や貧しさに飽きたビルマ人を束ねて軍部に立ち向かい、ついには政権を奪取した。

英国の願いは1つ、ビルマ人を黙らせてミャンマーをして「民族の掃き溜め」にすることだった。

彼女はよくやったが、そんな時にロヒンギャが雪崩れ込んだ。

掃き溜めの新たな住人だから、この時ふと彼女のビルマ人の血が騒いだ。

「よそ者はいらない。

追い出しておしまい」英国はびっくりし、彼女に与えたサハロフ賞とかの栄誉を皆ひっぺがして

「多民族化を受け入れろ」と怒鳴りつけた。

スーチーはそれで自分が操られてきたことをやっと認識し始めた。

一方、軍部はスーチーの孤立を見て「ビルマ人の国復活の最後の機会」と、

今回のクーデターを起こした。

英国は民族主義に燃えた軍事政権など望んでもいない。

下手をすれば支那がそこに付け込んで油揚げを攫いそうな気配もある。

ではスーチーの目覚めた祖国愛を許すのか。

国家の揉め事には必ず民族が絡む。

それを見落とすと見えるものも見えなくなる。

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【変見自在】917、他山の米国

ロサンゼルス特派員の特典はハリウッド映画の試写が見られることだ。

ただし事前に「映画芸術科学アカデミー」に登録して年間5本以上作品の論評を

掲載する義務がある。

ただ試写会に行っても字幕は無い。

 周りが大笑いしても何がおかしいのかさっぱりわからなかった。

 そんな時ハリウッドで日本の雑誌にコラムを書く日本女性と知り合い、

試写会を覗かせ、その解説を待って映画館に行き、論評を書いた。

 「フォレスト・ガンプ」もその頃の作品で、プレスリーが登場した場面では

周りと一緒に大笑いできた。

 帰国後も彼女からときおり便りがあった。

 最後となった手紙が興味深かった。

 病を得て初めて生活保護を申請したら「手続き書類は英語のほかスペイン語、支那語、

韓国語版だけ。

日本語版はなかった」と言う。

 異国に来て、異国の政府に世話をかける。

 「そんな恥ずかしい申請をする日本人は私が初めてかも」と便りは結んであった。

 見舞いを旧条住所で送ったが返事がなかった。

 気になる最後だが、その4カ国のサービスについて調べてみたらビル・クリントンに行き着いた。

 この大統領はホワイトハウスで研修に来た女子大生モニカ・ルインスキーと

不適切な関係を持ったことで知られる。

支那とも不適切な関係を持ち、チャイナマネーで随分と潤ったと聞いている。

 日本嫌いでも知られ、三菱重工など日本企業に軒並み難癖訴訟をふっかけて一方的に金をとった。

 国内政策では民主党の新しい党是、弱者救済に血道を上げた。

大学や企業にマイノリティー枠を強いるアファーマティブ・アクションを履行させ、

陸海軍にはタブーだった同性愛者を入隊させることに成功した。

 それが呼び水となって同性婚の公認、そしてLG BTQ容認への流れが出来上がっていった。

 ポリティカル・コレクトネスにも勢いをつけさせた。

コロンブスには偉大な冒険者ではなく先住民殺害した殺戮者だったと言う

マイノリティー向け歴史修正のことだ。

 この風潮はオバマ時代に先住民虐待から意図的に黒人奴隷批判にかわり、

南軍司令官ロバート・リー将軍の像が引き倒された。

さらに黒人ジョージ・フロイド殺害から始まったBLM運動では独立宣言起草の

ジェファーソンの像まで破壊の対象にされた。

 学術会が「古事記の話はインチキ」「聖徳太子はいなかった」を吹聴するのに似ている。

そのクリントンが最後に出したのは「大統領令13166」だった。

 福利厚生では多様な人種に対応した言語サービスをせよと言う内容だ。

 ハリウッドの彼女が見た四カ国後版はその鏑矢だったわけだ。

 オバマは、日本が縁のない在日朝鮮人に生活保護まで与えるのを見て

米国も500万密入国者を許し、医療保護(オバマ・ケア)の対象にする方向付けまでした。

 言語サービスも同じ。

 異邦人が日常生活に不便のないよう拡充させた。

サンフランシスコ市では支那人など「かなりの人口を持つ言語少数者」に対して

「すべての部局で」支那語訳の文書を用意し、かつ支那語を話す

「バイリンガル職員の配置」を義務づける条例ができた。

 手本は日本の地下鉄になるか。 

親切にも言語少数者のハングルや簡体字は溢れかえらせている。

おかげで米国は、もはや英語を知らなくても生活できる空間になりつつある。

 実は米市民はすでに強い危機感を持つ。

 その表れに50周のうち32週で「英語を公用語とする」州法を整理させた。

 残り18州は大方が民主党知事だと思っていい。

 民主党がもたらした「祖国喪失の危機感」がトランプでしばし断ち切られたものの、

その期間が再来する可能性は高い。

米民主党に変な範を垂れてきた日本もまた今変な先住民を創設したり、今様道鏡が出たり。

 結構危ない状況なのは知って欲しい。 

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【変幻自在】915、学術会議の役目

京都御所の御用を務める彫刻家、堀田瑞松は帝も感嘆するいい仕事をしたと

高等小学校読本にある。

 瑞松は明治後維新後もいい仕事をした。

 その時代、艦船は木造から鉄の船に変わっていったが、

ついでに艦底を蝕む錆という難題も生まれてきた。

 瑞松は漆が錆をよく抑えるのを知っていた。

 漆を素材に防錆を試して、明治18年、堀田式錆止め塗料を世に出し、

日本の特許第一号となった。

 その効能を最初に立証したのは露巡洋艦ドミトリードンスコイだった。

 新鋭艦なのに錆に泣かされ、たまたま寄稿した日本で瑞松の話を聞いた。

 藁にもすがる思いで塗ってみたら効果は抜群だった。

艦齢も伸び、17年後の日本海海戦にバルト艦隊の主要艦の一隻として臨めた。

 この海戦、露側の圧勝が囁かれていた。

なぜなら当時の戦艦は西欧が独占製造し、露側は仏から戦艦ツェザレノヴィッチを買い、

それをモデルにボロジノ、スワロフなどを建造した。

 日本も欧州製を買っていたから日露共に戦艦の性能はほとんど互角だった。

 ということは日本の三倍の戦艦数を持つロシアが圧倒的に有利だった。

 それをどう覆すか。

 下瀬雅弁は敵の砲弾の三倍の破壊力を持つピクリン酸炸薬を考えた。

 ただそれは鉄に触れた途端、爆発する。

 鉄の弾頭にどう封じ込めるか。

 下瀬はそこで瑞松の漆を思い出し、弾頭内部に漆を塗ってみた。

下瀬火薬の発明の瞬間だった。

 旗艦スワロフ以下の露艦隊は対馬沖で日本艦隊が放つ砲弾を始めてみた。

 「砲弾は艦体のどこかに触れただけで深紅の炎を噴き出し全てを焼き尽くした」(

プリボイ「ツシマ」)。

 鋼鉄の装甲を施したオスラビアが燃えて沈み、スアロフは鉄屑と化した。

 ドミトリードンスコイもまた深紅の猛火に包まれて鬱陵島沖で自沈した。

 日本人は強力で無慈悲な白人国家の侵略を自分たちの知恵と工夫で防いだ。

 日本はその後も世界が驚く知恵を次々に披露した。

原始構造について欧米は電子と陽子が、「まるで小豆ご飯のように入り乱れて存在する」

と思っていた。

長岡半太郎は日露戦争の頃「土星とその輪のように陽子を中止に周辺を電子が

回っている」とした。

 大正期八木秀次は超短波宏用指向製無線アンテナを考案した。

 昭和初期、高柳健次郎はブラウン管を使った映像受信に成功した。

 最初に受信した映像は「イ」だった。

 同じ頃武井武は非金属磁石フェライトを発明して特許を取った。

 鉄でない磁石は例えば録音テープを可能とした。

 白人たちは日本人の知恵をすぐに盗んだ。

 ラザフォードは長岡理論を追認することでノーベル賞を受賞した。

 八木の知恵は英米が即座に軍用レーダーにした。

 高柳のテレビは米軍が誘導ミサイルの目にした。

 フェライトは戦後のどさくさに戦勝国オランダのフィリップス社が横取りした。

 この技術で今のステルスが可能になった。

 民間の技術を軍事に転用するのをスピン・オンと言う。

 この一連の「盗んで軍事転用」

はさしずめスチール・オンになるか。

 そんなコソ泥米国が大戦前、核分裂についての発表を突然止めた。

 日本では1グラムのウラン235が臨界点を超すとTNT1万3500トンの

爆発力を持つのを知っていた。

 仁科芳雄、湯川秀樹らが研究を始め、濃縮用のフッ化ウランも作った。

 鴨緑江に70万キロワットの水豊ダムが完成したからその気なら核兵器はできた。

 しかしそんな悪魔の兵器をいかな米国でも使うとは思えなかった。

 開発は遅れて広島に原爆が落ちた。

 科学者が白人の心根を持っていいたら日本はとっくに核を持てた。

 そうなれば米国は報復を恐れ、広島には落さなかっただろう。 

米国は戦後、日本人のずば抜けた科学する心を学術会議によって封印させた。

 学術会議のいう平和は「白人の平和」なのだ。 

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【変幻自在】914、終った男が

ジョー・バイデンは良さそうな出のように朝日新聞が書いていた。

 それは嘘で、父は中古車セールスマン。

 米国の職業イメージでは詐欺師と連邦議員の間に来る。

 それでも息子ジョーは頑張った。

 「我が1族で初めて大学に行けた」と45歳で民主党大統領候補に押されたときに語っている。

 法科大学院にも済んだが、単位取得の要の論文で5ページ分が

まるまる他人様の論文の盗用だとばれた。

 普通は退学なのに、なぜかちゃんと修了できた。

 その時期、ベトナム戦争が始まっていた。

 フットボールでは知られた選手だったのに、これも「病弱につき」兵役を免れた。

 それも5回にわたって。

 世間を騙すもの、が彼の座右の銘と言う人もいる。

そのせいか上院議員にもなり、45歳の時民主党大統領候補に残った。

 順調ならケネディに次ぐ若い大統領になれるとこだったが、その遊説で冒頭の演説をぶった。

 「そこにいる妻ジルも一族で初めて大学で学んだ」と続く。

 ところがこのセリフは英労働党党首ニール・キノックの言葉そのままだった。

 盗用が再びばれて大統領候補の座を追われた。

 その後、何度か大統領戦に名乗り出たものの忌まわしい経歴が立ち塞がり候補から消えてった。

 オバマの副大統領になれたの日本で言えば古参議員が冥土の土産に衆議院議長になるようなものだ。

 本人もそれを承知で、それならと副大統領権限をフルに使った。

 ウクライナに恩を売り、息子ハンターを大手企業ブリスマの社外役員させたとか、

汚く金を稼いでいたと言う噂はずっと付きまとった。

 そんな男がなぜ30年ぶりに民主党大統領候補の指名を獲得できたのか。

 それは相手が米経済を盛り上げ、支那を叩きのめしたトランプで、

再選は100%確実だったからだ。

 いい玉を出しても負けるし、大体玉と呼べる人材もいない。

 それならどうせ負け試合、ボケのきたロートル(老頭児)でもいいかとなった。

 笑えたのはその受諾スピーチだ。

 「愛は憎しみより強く希望は恐怖より強い」とやったが、

それはカナダ新民主党党首J・レイトンのセリフのそっくり盗用だった。

 問題にならなかったのはどうせ負けは見えてるし代替え候補もいない。

つまり剽窃で下ろす意味もなかったからだ。

 ところがそこにまさかのコロナ禍だ。

 トランプ自慢の経済が失速し、情勢は一変した。

 おまけに全州で郵便投票までオーケーになった。

 反トランプのメディアが見ないふりをする中で妙な投票は確かにあった。

 トランプが怒るのもわかる。

 二昔前、アル・ゴアが同じような疑義を出して集計を2度もやっている。

 トランプにも心行くまでやらせれば良い。

 平等を貫く民主国家だろう。

 しかしあっちの新聞だけでなく日本のメディアもトランプに敗北を認めると騒いで、

もうバイデン一色なのには少々違和感がある。

朝日ならいざ知らず安部トランプの厚情を書いてきた産経まで

「トランプ引き際が悪い」とやっている。

バイデンが日本に何をしたのか忘れたのか。

彼は日本の軍事力についてトランプに「日本を強国にしないために

我々が日本国憲法を書いたのを忘れたのか」と言った。

 米民主党は戦後一貫して日本を封じ込め、日本弱体化を図ってきた。

 彼もその路線に乗っている。

 安部が靖国を参拝した時彼は「行くなと命じたのに。

 失望した」と詰った。

オバマの副大統領時代に尖閣上空に勝手に防空識別圏を敷いて立入禁止と言い出した。

習近平と会って支那の主張を承認した。

 支那が返礼に彼の息子ハンターの投資会社に15億ドルを出資した。

 尖閣も己の魂も支那に売った男がもしかしたら米大統領になる。

 冬のホラー話にしてはコワすぎないか。

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【変見自在】909、偽りの教科書

敵前逃亡を強いられたマッカーサーのマニラ奪回攻略戦は昭和20年2月5日に始まった。

 その前日、日本軍側から人道的申し入れがあった。

 マニラ市北部、古い歴史を持つサントーマス大の構内に英米民間3700人が収容されている。

 マニア占領時に適性市民として収容された人たちで、このまま市街戦が始まれば、

銃砲火の巻き添えを食う。

 両軍の話し合いがつき、日本側警備兵65人の後方退去と収容所の解放が粛々と行われた。

 市街が二個大隊ほどの日本軍と70万人の現地人だけになると、

米軍は翌日から凄まじい艦砲射撃を始めた。

 それに先立つペリリュー、サイパン攻略では7000トンの爆弾が降り注がれたが、

マニラ市にはそれをはるかに超える爆弾が降った。

 市街は瓦礫と化し、多くの市民が死に、日本軍の抵抗は2週間で終わった。

 マニラは制圧された。

 日本はその半年後の8月15日に降伏した。

 GHQは9月15日、「日本軍はマニラ攻略戦時に市民10万人を殺した」と日本の新聞に

書かせた。

 当時はまともだった朝日新聞は「生き証人も捕虜もいる。

その嘘を検証しようじゃないか」と書いたら直ちに廃刊を通告された。

 朝日は米国の犬になることで許され今日に至る。

 それにしてもGHQの言い分がひどい。

 米軍はその半世紀前に現地人40万人を殺して植民地にした。

 今回も艦砲撃をためらったと思えない。

 無辜の市民が死ぬと、それをそっくり日本軍のせいにしてきた。

 日本軍二個大隊は米軍と熾烈に戦いながら毎日10,000人の市民を犯し、

殺し回った計算になる。

嘘が丸見えで、最近は四割が米軍の攻撃で死んだことを認め、

残り「6万人を虐殺した」ところまで大幅値引きしている。

 戦後2代目の華人頃大統領キリノもこの値引きに反対だった。

彼の妻子は米軍の攻撃で死んだ。

 考えてみれば彼が家族も財産も失ったのは全て日本軍の侵攻のせいだ。

 恨みは深い。

 彼は「妻は日本軍狙撃兵が撃ち殺した」「次女は日本軍兵士が放り上げ

銃剣で刺しころした」と吹聴した。

 彼は昭和23年、大統領に就任するとその祝いにモンテンルパに繋がれた

BC級戦犯3人を処刑させた。

翌年キリノは日本政府に80億ドルと言う法外な賠償要求を突きつけた。

 日本が難色を示して交渉が長引くと昭和26年1月、彼は戦犯死刑囚14人を一晩で処刑させた。

日本側が渋れば残りの死刑囚も順次吊るしていくと言う脅しだった。

 いかにも華人系らしいやり方にさすがに米国も動き、ダレスを派遣して死刑恐喝をやめさせた。

 脅しがダメなら戦犯を囲っている理由がない。

 キリノは昭和28年、BC級戦犯全員を解き放った。

 この許しがたい大統領をNHKの中田整一が「妻子を殺した悪役の戦犯に

キリノ大統領が恩赦」の美談に仕立てて皆様のNHKで流した。

 NHKは戦後GHQ製の自虐番組「真相はこうだ」を流し続けた。

 キリノの話も流した。

今更真相も語れない。

 いついっそ騙し通せと思ったか。

 中田のウソから70年。

先日の朝日新聞が夕刊一面で「キリノの美談が帝国書院の中学生の教科書に載る」と

うれしそうに報じていた。

執筆は浪野新太。

記事につけたメモには「恩赦の前に17人の死刑が執行された」とある。

 執行を命じたのはキリノで、彼が対日交渉のカードとして処刑したとは書いていない。

 かけば美談にもならないからだろう。

 信州大学教授の大串潤児にも「BC級戦犯は悪い罪人」と言わせる。

 現地の戦争裁判は華人系が仕切った。

 セブ島に行ってもいない日本軍将校に同島で住民を殺した罪で死刑を宣告している。

 どこが悪い罪びとか。

 死刑囚の「巨額の脅しに屈するな。 われわれは喜んで死んでいく」と言う言葉も残る。

70年経ってまだこんな教授や新聞が歴史を偽ろうとする。

 悲しい話だ。 

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【変見自在】907 次点は菅直人

マッカーサーに言わせると新憲法に戦力不保持を入れると言い出したのは幣原喜重郎だった。

 マックはそれを聞いたとき「腰が抜けるほど驚いた」が、幣原は諄諄と説く。

 日本が子々孫々まで戦争に無縁であるためには戦力を持たなければいい。

 今、そんな憲法を作れば「世界は我々を夢想家とあざけ笑う。

でも100年経てば我々は預言者と言われるだろう」と。

 「2人は感極まって手を握り泣いた」とマックの回想録にある。

 この100年のあらかたが過ぎたがだれもそんな戯けは言わない。

 だいたいこの2人は信用がない。

 マックは日本軍が攻めてきたとき部下を見捨てて1人敵前逃亡した。

 行きがけの駄賃にフィリピン傀儡政権のマソンから50万ドルを強請りとった。

 それが世間に知れた。

 ケチな元帥はトルーマンにクビにされるまでの10年、帰国もできなかった。

 だから彼は日本に居座った。

 彼が任されたGHQの任務はF・ルーズベルトの遺言「日本を4つの島に閉じ込めて

滅ぼせ」を実行することだった。

 それなら日本を丸腰にさせよう。

 そうすれば滅んだも当然ではないかとマックは考えた。

 うまくいけば彼の汚名も半分は消せる。

 ただ日本人が丸腰を受け入れるだろうか。

 共産党の野坂参三ですら「民族の独立を危うくする」とはっきり反対していた。

 で、マックは首相の幣原が自発的に言い出し、新憲法を作ったことにした、

と言うのがことの真相だ。

もっとも幣原がまともな日本人なら、そんな狂言を断固拒否するか、

首相を辞して抗議しただろう。

しかし彼は俗に言う英語屋だった。

 白人大好きで英語を習い、外交官になって白人国家に憧れ続けた。

 こんな話もある。

 彼は外務省の米人顧問ヘンリー・デニソンの日露講和メモを見つけた。

 「参考にしたい」と本人に断りに行ったら即座にストーブにくべられた。

 「つまらない話だから」と。

 日露講和は日本が1銭の賠償金も取れずに終わった。

 セオドア・ルーズベルトとデニソンが裏で結託した結果と言われる。

 馬鹿な英語屋のせいで日本は貴重な1次資料を失った。

 幣原は日本弱体化を狙う米国の意図も見抜けずにワシントン会議で日英同盟切りを

喜んで承諾した。

 米国と組んだ支那の日貨排斥、法人テロにも米国の機嫌をとって

ひたすら軟弱外交に徹した。

 中でも日本が持つ満州の権益を米国に認めさせた石井・ランシング協定まで

彼の独断でいとも簡単に放棄してしまった。

これに乗じて米国は日本が「支那領満州を不法に侵略した」とする

スティムソンドクトリンを持ち出して日本を孤立させ、国際連盟脱退、

日米開戦への流れを加速させていた。

そして戦後。

 米国がまた幣原を再登場させ、戦力放棄のマッカーサー憲法を受け入れさせた。

 それも「日本人が自ら言い出した」と装って。

 幣原の所業は万死に値するが、その2ヶ月前、彼はもう一つ、許されざる悪行をしていた。

 GHQ製の「人間宣言」を昭和天皇に無理強いしたのだ。

 趣旨は「日本人は特別の民族と盲信し、現人神の下に世界侵略に出た」と

認めさせることにあった。

 日本を侵略国家とする嘘に反発された陛下は冒頭に五箇条の御誓文をつけることを

希望された。

愚かな幣原もGHQも意味がわからないままOKを出した。

 五箇条の御誓文は明治天皇が民主国家・日本の形を謳ったものだ。

 万機公論に決し、上下心を1にして日本人はここまで来た。

 これからも誇り高くあれと。

 ユーミンに「早死にすべきだった」と言った朝日新聞「論座」メンバーの白井聡。

 彼はまた安倍政権についても「日本史上の汚点」と罵っている。

 朝日の論調に沿えば知識人だと思っているところが笑わせる。

 彼が少しでも勉強すれば日本史上の汚点は幣原喜重郎としただろう。

 ちなみに次点は菅直人になるか。 

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【変見自在888】コロナ効果

カーター政権の財務長官マイケルブルーメンソールは1926年、

ベルリンの北郊ブランデンブルグ市で生まれた。

ユダヤ系の父母は高級服飾店を営んでいたが、彼が10歳の時に一家の環境は大きく反転した。

台頭したナチスはユダヤ人排斥を強め、38年11月の月の明るい夜、

ゲッペルスの突撃隊が267カ所のシナゴーグを打ちこわし、

7500軒のユダヤ人商店を襲って略奪した。 

両親の店も破壊され、彼自身もヒトラーユーゲントの少年に暴行された。 

一家は故郷を捨てて命からがらナポリ発の貨客船に逃げ込んだ。

船はスエズを超え、英領のボンベイ、コロンボ、シンガポールに寄港した。

その都度、下船を望んだが、どこもユダヤ人の上陸は認めなかった。 

一家がナポリを出たの出たのと同じ頃、ハンブルグから2000人のユダヤ人を乗せた

セントルイス号が出港した。

しかし目的地の米保護領キューバは上陸を拒み、ニューヨークでは接岸すら許されなかった。

1ヵ月の漂流のあげく、船は欧州に戻り、何人かはベルギーで下船できたものの、

まもなくナチがそこを占領して、乗客のほとんどは強制収容所に送られた。

しかしブルメンソールの船は幸運だった。 

航路の終点、上海でユダヤ人は下船することができた。

日本人租界、虹口はビザを持たない彼らの居住も認めてくれた。 

虹口からガーデンブリッジを渡った先のバンドにはアヘン貿易で儲けた

サッスーンやジャーディンマセソンなどユダヤ財閥のビルが立ち並ぶ。

彼らは中東のセム系ユダヤ人(セファルディ)で、白人系ユダヤ人(アシュケナージ)には冷たかった。

実際、パレスチナに逃れてきたアシュケナージは上陸を断られ、ときには射殺された。

彼らを受け入れたのは関東軍が率いる満州国か上海の日本人租界だけだった。

そこに身を寄せたのは約3万人。

ブルメンソールはそれほどの僥倖を噛み締めて虹口の主要施設となった旧日本人学校に入った。

やがて戦争が終わり、一家は上海を出られることになったが、ユダヤ人はどこでもダメ。 

2年待ってやっと米国が入国OKを出した。

驚いたことに民主党政権下の米国では、親切だった日本人が支那人より悪い侵略者とされていた。

日本人の世話で生き延びた。 

などと言える環境ではなかった。

賢しいブルメンソールは素早く良い日本を自分の記憶から切って捨てた。

実際、米民主党は戦後も日本を敵視し、戦前と同じように、

それが共産党政権になろうとも、支那人を使って日本の抑え込みを続けた。 

中共は米国がこしらえた南京大虐殺の嘘話に乗っかって日本人に贖罪を迫り、

ODAと技術援助を引き出して半分近代化に成功した。 

それは米国には格好の奴隷工場に見え、企業は続々と支那に進出し、

米支の結びつきは蒋介石時代ほどに強まった。

その一翼を担い、名をあげたブルメンソールはつい先年、中共の招きで久しぶりに上海訪れた。

今は「上海ユダヤ難民記念館」の名を改めた虹口の日本人学校で彼は

「日本は残忍だった」「親切だった支那の友人の恩を忘れない」とあいさつした。 

恥を知らない男だった。 

武漢ウィルスが流行って、イスラエルは米国と並ぶ支那との往来を断ち切った。

そしたら戴玉明駐イスラエル代理大使が「私は悲しい。

ホロコーストの中でユダヤ人を受け入れてやった支那にこんな冷たい扱いをするのか」

(隔月誌「みるとす」)と記者会見でその薄情を非難した。

イスラエルはそれまでグルメンソール的発言を特に否定してこなかったが、

今回は違った。

「何を言う。 ユダヤ人を助けたのは日本人だ」「上海は日本が管理していた。

歴史を捏造するな」(同)代理大使は公式ホームページで捏造の部分を削除した。

コレラは時に歴史歪曲を正す働きもする。

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変幻自在883フリーは記者か

半世紀前、新聞記者を志して何社か受けた。

倍率は3桁近かった。

奇跡的に産経新聞の補欠に引っかかったが、そこからが大変だった。

入社後も選り分けがあって記者への第一歩となる地方支社に出られたのは5人に1人。

あとは整理部とか総務とかに回された。

それは「ダメならいつでも差し替える」と言う脅しでもあった。

だから不満など一言も言えない。

朝から晩までサツや県警、裁判所を回った。

回りながら原稿の書き方を覚える。

最初の半年は休みも取れなかった。

新聞は毎日出る。

毎日が言わば試験で他社の記者と比較され、下手を書くと1日惨めだった。

それに疲れ切る記者もいた。

水戸支局時代には読売の記者が自殺し、本社に上がってからは同期と先輩が縊死した。

死人が多い職場だった。

なまじの仕事では目が出ない。

支局管内に誰も行かない東海村があった。

通って原子力を勉強した。

3年通って遠心分離方式によるウラン濃縮実験に出くわした。

米オークリッジで広島型原爆を作ったのと同じ洗濯槽みたいな筒が並んでいた。

いま北朝鮮が懸命に回している。

歩き回った成果だった。

それを重ねてやっと本社に上がれた。

上がって良い事は専門性の高い記者クラブに出られることだ。

こちらは飛行機のクラブに出た。

すぐロッキード社から新型機披露の招待があって、ロスに飛んだ。

ロ社での会見で驚いた。

各社記者は通訳なしで新型機について社側に突っ込んだ質問をしていた。

そういう手練になって初めて航空機事故を取材でき、解説をかける。

記者クラブは遊んで務まる場ではなかった。

航空機のイロハから管制まで勉強しなければ会見に出ても意味もわからなかった。

当時の日航全日空には戦前派の操縦士もいて、生きた航空史を聞けた。

その中で「米軍に雇われてソ連、中共の奥地に侵入しスパイを落下傘降下させた」秘話を聞いた。

スパイ機を飛ばした1人は当時の羽田空港長、中尾純利だった。

震える特ダネだった。

経済部、政治部を含めて記者クラブとは研鑽を積んだ猛者が集い、

会見は静かな戦場と言ってよかった。

いま新聞協会登録の記者は129社2万人。

1線に出て記事を書く記者は約5000人。

東京にある中枢の記者クラブ詰めになれるのはその10分の1ほど。

国会議員の数よりも少ない。

平成の御代、その記者クラブが閉鎖的だ、解放しろと言う声が出た。

声の出所は嘘しか書かない反日の外人記者会。

それにフリーの記者も乗って騒いだ。

彼らはクラブに入って1線の記者と切磋琢磨する気はなく、

ただ記者クラブ主催の形をとる記者会見に出るのが目的だった。

戦場に新兵訓練もしていない素人が来るまで冗談かと当時思った。

ただ朝日新聞は記者会見開放派に回った。

なぜなら朝日の記者は取材や研鑽はしない。

思いつきと浅はかな知恵で記事を書く。

「中国の旅」の本田勝一や従軍慰安婦の植村隆がいい例だ。

たまに事実を書く。

政治家のオフレコ話だ。

あとは政治家の失言待ち。

その意味でフリー記者とレベルは似ている。

今村復興省にくどくど無知な質問を繰り返したフリー記者がいた。

あれが朝日の記者だったとしても何の違和感もない。

それで朝日の尽力もあって今は外人記者とフリーの記者が記者会見に出て記者もどきを演じている。

「もんじゅ」事故の会見では彼らが騒いで関係者2人が自殺した。

東電福島事故では「次は誰が自殺するんだ」と質問が飛んだ。

記者が自殺する時代から記者が人を死に追いやる時代に変わった。

先日コロナ禍の首相会見があった。

小1時間もやって終わろうとしたらフリー記者記者が騒ぎ、

12人が立って辻元清美より意味のない質問を延々ぶつけていた。

怒らせるか、自殺させるか。

記者会見も随分と様変わりした。

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【嫌中】変見自在 886 支那人の悪い癖

支那軍の精強6万上海の外国人租界を襲った。

1937年夏。いわゆる第二次上海事件のことだが、

ただ標的は日本租界のみで隣の仏租界には銃弾一発飛んでこなかった。

日本租界を守るのはわずかな海軍陸戦隊のみ。

フランス人はその一方的な戦いをビル屋上から見物していた。

米独にけしかけられた蒋介石の日本人殺戮のことを知っていたからだ。

いい気味と言ってはなんだが、米が教えた支那軍はあまりにへたくそで、

なんとその仏租界に爆弾を落とし、450人が死んだ。

別の二機もキャセイホテルや大世界娯楽センターを誤爆し、死者は計1500人に上った。

中に反日を煽ってきた米宣教師や後の駐日大使、ライシャワーの兄ロバートも含まれていた。

殺戮戦はしかし予想に反して仕掛けた蒋介石軍が敗れて退却を始めた。

彼らはこの戦いの前にも日本人220人をなぶり殺しにする通州事件を起こしていた。

度重なる暴戻は黙過できない。

日本軍は追討を決め、1軍は長江を遡って逃げる支那軍を追った。

支那軍は質が悪い。

九江の街では糧食を略奪した上井戸にペスト菌を撒いてから要衝武漢に向かった。

「日本軍は九江の惨状を見捨ててはいかない。

逃げる時間が稼げる」と言う読みだった。

実際、追求する第五師団は「井戸の浄化と市民への糧食補給に一週間以上かかった」

(中島慎三郎「元兵隊の日記」)日本軍は黄河側からも武漢を目指した。

徐州では、その緒戦で、3倍の兵力を持つ支那軍を包囲粉砕して蘭封に迫った。

日本軍の進撃に戦慄する蒋介石は幅300メートルもある黄河の堤防数箇所を決壊させた。

「これで日本軍の足を止められると信じた」と後に郭沫若が自白している。

「折から雨季、増水せる大黄河の濁流は奔然、白波を立てて華南の大沃野を泥沼と化せ李り」

と仲小路彰「世界戦争論」にある。

日本で言えば関東から関西まで水没させ、ために「百万人が溺死し、数十万人が逃げ惑い、

阿鼻叫喚の巷と化せり」(同)

惨状を見て開封駐屯地の日本が大小舟艇を出して被災者の救出に当たった。

それを支那軍は狙い撃ちにし、多くの日本兵が死んだ。

蒋介石はあくどい。

この無慈悲な蛮行を「日本軍が空爆して黄河を決壊させた」と真顔で世界に発信した。

己の悪行を他人のせいにして声高に非難する。

日本は否定したが、「やっていません」はいかにも弱々しく、説得力がない。

蒋介石だけが高笑いした。

この追求作戦中、河北省正定の教会に支那人が徒党を組んで押し入り、

オランダ人神父ら7人を生きたまま焼き殺す事件が起きた。

いかにも支那人らしい手口だが、江沢民はそれを「日本軍の犯行」に作り替えた。

日本嫌いのオランダの新聞は嘘と知りつつ大喜びしてかき立てた。

武漢発の新型コロナウィルスの元は菊頭蝙蝠と言う。

日本や欧州にも生息するけれど支那人だけが食べてきた。

それで支那人に感染し、それを支那人が世界に出かけてばらまいた。

日本では武漢でかかった支那人が成田の検疫を解熱剤でごまかして持ち込んだのが第一号になる。

ダイアモンドプリンセス号に「香港人」を装って乗った支那人がそれに続いて以下、

札幌雪祭りや和歌山の醤油問屋に来た観光客が拡散を手伝った。

支那が生み、支那人が媒介したことがこれほど明らかなのに、習近平はそう思わないところがすごい。

まず支那が政治経済を握ったソロモンなど太平洋の島嶼国に

「日本人の入国禁止」を声高に宣言させた。

次にWHOテドロスに「支那は収束へ」と語らせる一方で日本を「最大懸念国」の1つと言わせた。

これを受けて北京市は日本人入国者に14日間の足止めを申し渡し、

外交文書には「新型日本肺炎」とか、紛らわしい表記をする。

そうやっていれば黄河決壊と同じ、日本のせいにできると思っている。

無理して付き合う国じゃない。

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【嫌中】変見自在 877 グアンタナモだらけ

陸上自衛隊が富士山麓での実弾演習を時々一般に公開する。

アホな憲法の制約で戦力とは言えないから火力演習と言う。

毎回90万人が応募し、3万人が見ることができる。

大分前に行った時、防衛大学校長の五百旗頭真が来ていた。

まるっきり知らなくもない。

元新聞記者の癖で「やあ」と声をかけた。

彼はこっちを見た途端にすごく嫌な顔をしてそっぽを向いた。

失礼なと思ったが、同行の人から「あれだけ悪口書いていい顔しろと言う方が無理だ」とたしなめられた。

確かにこの欄だったかで取り上げた。

ルーズベルトが日本を嵌めた真珠湾。

それを「証拠はない」と彼は否定した。

どこのペテン師が「自分が騙しました」と文書で残すか。

彼は「正義は米国にあって悪い日本をやっつけた」と思い込んでいる。

「そんな男はなぜ防衛大学校長なのか」と確かに書いた。

刃傷沙汰にならないだけよかったかもしれない。

実はこの火力演習ではもう1人、興味ある海軍士官にあった。

名をスタックポールと言った。

もしかして少し前の沖縄海兵隊司令官、スタックポール少将の親戚かと聞いたら

「甥だ」と胸を張った。

で叔父の語った「ビンの蓋」の意味を尋ねたら黙ってしまった。

少将の発言は1990年3月のワシントン・ポスト紙に載った。

「米軍が撤退すれば日本はすぐ軍事強国に戻り、核も即座に持つ」

「在日米軍は日本がそうならないようにするための瓶の蓋なのだ」と。

もっと平たく言えばキューバと同じなのだと。

米国の脇腹にあるキューバを勝手にさせたらすぐソ連を引き込んで、あのキューバ危機が起きた。

そうさせないよう、米国は19世紀末、キューバを軍事占拠した上で外交権も軍事行動権も放棄させた憲法を押し付けた。

さらに反米一揆が起きたら即座に制圧できるようグアンタナモに強大な米軍基地を置いた。

それでカストロが出る前までは抑え込めた。

日本も同じ、マッカーサー憲法で軍事力も交戦権も奪った。

さらに「日米安保の中で日本中にグアンタナモを置いた」とスタックポールは言ってしまった。

親日ぶって日本を誑かしてきたジョセフナイやアーミテージが驚いて否定に走り回ったのは笑えた。

でも冷静に見るとソ連中共への備えなら北海道が最適なのにそこには1つもない。

ほとんどが東京を包むように置かれる。

沖縄の海兵隊基地も変だ。

海兵隊が出張るのに必要な揚陸艦は配備されていない。

代わりに高速輸送機が配備される。

一朝事あるときはそこから横田に飛び、東京を制圧する。

揚陸艦では間に合わないからだ。

その時は横須賀の第7艦隊もペリーよろしく東京湾から首都を砲撃する。

支那はそれを知っていて太平洋を米国と分割しようと言った時「何ならビンの蓋も我々がかわるあるよ」と提案している。

変な憲法で日本を丸腰にした上、日米安保の名で日本監視基地を山と置いた。

それはおかしいだろうと岸信介が言った。

「お前らに丸腰にした責任がある。

最低でも支那朝鮮が攻めてきた時くらいは日本を守れ」との安保改定をやった。

何もわかってない唐牛や西部が安保改定反対で気勢をあげてから今年はちょうど60年になる。

その節目に五百旗頭が「日米安保は国防力のない日本と、極東に自由に使える基地を持ちたい米国の

双方にメリットがあった」とまだ何もわかってないコメントを朝日に載せていた。

なんで国防力がないのかに疑問もない。

支那の暴走についても「安倍は今の良き日中関係を生かして習近平を説得せよ」と言う。

説得を聞く相手か。

それにまだ南京大虐殺の嘘を撒き散らし、邦人を好きに捕まえ、尖閣に奸計を巡らす。

そのどの辺が「良い日中関係」なのか。

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