【嫌中】変見自在 886 支那人の悪い癖

支那軍の精強6万上海の外国人租界を襲った。

1937年夏。いわゆる第二次上海事件のことだが、

ただ標的は日本租界のみで隣の仏租界には銃弾一発飛んでこなかった。

日本租界を守るのはわずかな海軍陸戦隊のみ。

フランス人はその一方的な戦いをビル屋上から見物していた。

米独にけしかけられた蒋介石の日本人殺戮のことを知っていたからだ。

いい気味と言ってはなんだが、米が教えた支那軍はあまりにへたくそで、

なんとその仏租界に爆弾を落とし、450人が死んだ。

別の二機もキャセイホテルや大世界娯楽センターを誤爆し、死者は計1500人に上った。

中に反日を煽ってきた米宣教師や後の駐日大使、ライシャワーの兄ロバートも含まれていた。

殺戮戦はしかし予想に反して仕掛けた蒋介石軍が敗れて退却を始めた。

彼らはこの戦いの前にも日本人220人をなぶり殺しにする通州事件を起こしていた。

度重なる暴戻は黙過できない。

日本軍は追討を決め、1軍は長江を遡って逃げる支那軍を追った。

支那軍は質が悪い。

九江の街では糧食を略奪した上井戸にペスト菌を撒いてから要衝武漢に向かった。

「日本軍は九江の惨状を見捨ててはいかない。

逃げる時間が稼げる」と言う読みだった。

実際、追求する第五師団は「井戸の浄化と市民への糧食補給に一週間以上かかった」

(中島慎三郎「元兵隊の日記」)日本軍は黄河側からも武漢を目指した。

徐州では、その緒戦で、3倍の兵力を持つ支那軍を包囲粉砕して蘭封に迫った。

日本軍の進撃に戦慄する蒋介石は幅300メートルもある黄河の堤防数箇所を決壊させた。

「これで日本軍の足を止められると信じた」と後に郭沫若が自白している。

「折から雨季、増水せる大黄河の濁流は奔然、白波を立てて華南の大沃野を泥沼と化せ李り」

と仲小路彰「世界戦争論」にある。

日本で言えば関東から関西まで水没させ、ために「百万人が溺死し、数十万人が逃げ惑い、

阿鼻叫喚の巷と化せり」(同)

惨状を見て開封駐屯地の日本が大小舟艇を出して被災者の救出に当たった。

それを支那軍は狙い撃ちにし、多くの日本兵が死んだ。

蒋介石はあくどい。

この無慈悲な蛮行を「日本軍が空爆して黄河を決壊させた」と真顔で世界に発信した。

己の悪行を他人のせいにして声高に非難する。

日本は否定したが、「やっていません」はいかにも弱々しく、説得力がない。

蒋介石だけが高笑いした。

この追求作戦中、河北省正定の教会に支那人が徒党を組んで押し入り、

オランダ人神父ら7人を生きたまま焼き殺す事件が起きた。

いかにも支那人らしい手口だが、江沢民はそれを「日本軍の犯行」に作り替えた。

日本嫌いのオランダの新聞は嘘と知りつつ大喜びしてかき立てた。

武漢発の新型コロナウィルスの元は菊頭蝙蝠と言う。

日本や欧州にも生息するけれど支那人だけが食べてきた。

それで支那人に感染し、それを支那人が世界に出かけてばらまいた。

日本では武漢でかかった支那人が成田の検疫を解熱剤でごまかして持ち込んだのが第一号になる。

ダイアモンドプリンセス号に「香港人」を装って乗った支那人がそれに続いて以下、

札幌雪祭りや和歌山の醤油問屋に来た観光客が拡散を手伝った。

支那が生み、支那人が媒介したことがこれほど明らかなのに、習近平はそう思わないところがすごい。

まず支那が政治経済を握ったソロモンなど太平洋の島嶼国に

「日本人の入国禁止」を声高に宣言させた。

次にWHOテドロスに「支那は収束へ」と語らせる一方で日本を「最大懸念国」の1つと言わせた。

これを受けて北京市は日本人入国者に14日間の足止めを申し渡し、

外交文書には「新型日本肺炎」とか、紛らわしい表記をする。

そうやっていれば黄河決壊と同じ、日本のせいにできると思っている。

無理して付き合う国じゃない。

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