【嫌韓】韓国経済阿鼻叫喚 57 日本援助のポスコ

「朝鮮日報」(2015年3月15日付)は、「ポスコ初代会長、パクテジュンが見た日本」

と題する回顧記事を掲載した。

「パクテジュン(1927から2011年)が後に浦項総合製鉄(現ポスコ)を興すにあたり、

「恩人」と呼んだ日本人が数人いる。

その1人は当代日本で最高の思想家と言われた陽明学者、安岡正篤だ。

総合製鉄プロジェクトが米国、ドイツ、英国、イタリアに断られた時、

韓国は日本に助けを求めるしかなかった。

全責任を負って東京に向かったパクテジュンが真っ先に会ったのが安岡だ。

日本政財界の「見えざる手」とされる大物だったからだ」今この時点で、

朝鮮日報はなぜこうした記事を掲載したのか。

深い意味が隠されていると思う。

日韓併合時代、日本から大変な差別を受けている。

この記事を引用するにあたり、この部分は割愛した。

だが、戦後は日本企業からの支援によって、韓国産業の基礎が固まった。

そのことへの感謝の念が表明された記事である。

恨みをいつまでも持ち続けることにより、その後に助けられた感謝の気持ちを持てば、

日韓関係がうまく機能する。

言外に、それを韓国社会に説いているのではないか。

私はそういう感情を強く持ったのだ。

ポスコは、日本の製鉄技術が全面支援して完成した。

当初、このプロジェクトは、米、英、独、伊の欧米諸国から拒否された曰く付きのものだった。

日本が、それをあえて支援したのは、日韓併合時代への謝罪の意味である。

決して、「鬼畜日本」ではなかったのだ。

今やこの事実は、忘却の彼方に消えたが、中国でも同様の支援を行っている。

中国も、その事実を忘れた顔して、日本を批判に余念がない。

日本からすれば、「この恩知らずめ」。こうつぶやきたくなるのだ。

「安岡は、「過去を反省して、韓国を助けることが日本の国益」と言う韓国観を持っていた。

安岡はまず、技術協力の鍵を握っていた稲山嘉寛日本鉄鋼連盟会長のところに

パクテジュンをいかせた。

そして岸信介元首相ら世界の大物とも次々と会えるように斡旋した。

パクテジュンの情熱に安岡の誠意が助けとなりまた、

曖昧だった日本政府や日本企業の態度は熱い支持にに変わった。

他の先進国と同様、日本が韓国を無視していたら今のポスコはなかっただろう」

韓国メディアが日常的に槍玉に挙げるのは安倍首相である。

その祖父、岸信介元首相がこのポスコプロジェクトを支援している。

人間どこで関わりがあるかわからないもの。

感情に任せた他人への非難は、慎むほうが無難なケースがここにある。

日本は韓国の産業基盤の強化に対して、真面目に対応したのだ。

それにもかかわらず、慰安婦と言う問題をめぐって、日本は「極悪非道」として

糾弾することの虚しさを知るべきだろう。

「強制連行」と言う間違った根拠で、日本が非難されることは承服しがたい。

日本は、こういう基本スタンスである。

韓国は、この事実を知るべきなのだ。

「1983年8月、サムスン電子の創業者イビョンチョル。

(1910から1987年)が後輩パクテジュンを日本の保養地に呼んだ。

「ブーメラン効果」を盾に日本の鉄鋼業界が光陽製鉄所建設への協力を拒んでいた時だった。

その保養地には、当時の日本政財界の大物、瀬島龍三や、

その10数年前に浦項製鉄所建設を支援した日本鉄鋼業界の父、稲山嘉寛が一緒にいた。

彼らから「協力する」との約束を取り付けたイビョンチョルは、他の言葉はいらない。

「感謝している」とだけ言いなさい」とパクテジュンに言った。

パクテジュンは、「胸のつかえが取れたようなすっとした気持ちだった」と述懐している」

日本の鉄鋼界は、ポスコを1度ならず2度まで支援したことがわかる。

この時は、サムスン電子の創業者、イジョンチョルが仲立ちをしている。

イは、早稲田大学の卒業生でもあり、日本に広く知己を得ていた。

その縁で日本財界とは広い交流があったのだろう。

イはパクに対してただ一言、「感謝している」と言えと教えている。

これは、日本人の心理を実に深く読んだものである。

パクは、なぜ「胸のつかえがとれたようなすっとした気持ちだった」と述懐したのか。

それは、日韓併合時代の日本から差別された屈辱感が、「ありがとう」と

言う言葉の中で氷解したからだろう。

恨みつらみを抱いて生きるよりも、ありがとうと一言発することが、自らを救うことになる。

私はそう理解したこれは、キリスト教精神でもある。

繰り返しになるが、韓国は日韓併合時代の良かった点も数え上げれば、

日韓関係はもっとスムーズに行くはずだ。

まさに、「ありがとう」の一言が、恩讐を乗り越えられるであろう。

日本は、原爆投下した米国を表立って非難していない。

その理由は何か。太平洋戦争を始めた負い目。

ポツダム宣言受託を要求されながら、回答を引き伸ばした時間稼ぎ。

こうした非が日本にあるものの、非戦闘員を大量殺戮した。

その人道に反する米国の犯罪事実は消えない。

日本はこの点について沈黙している。

その気持ちが、「永遠平和への祈り」になっている。

恨みを超えたのだ。

米国からは民主政治を教えられた。

二度と戦争をしまい。

そう決意した日本人にとって、米国への「ありがとう」は、恨みつらみを消した。

中韓には、この日本人の気持ちをぜひ理解してもらいたいのだ。

いつまでも、70年前の事件を持ち出して日本批判を繰り返す。

それは、恨みつらみで自らを縛っているのだ。

これが、日本との和解を拒んでいる理由であろう。

日本人は、人類最初の原爆被害国になった。

当然、非戦闘員の無差別な殺戮を理由にして、米国を永遠に非難し続けても許されるだろう。

韓国は今なお、日韓併合に対する批判を繰り広げているからだ。

考えるべきは、相手国を一方的に恨み続ける事は、決してプラスにならないと言う事実である。

日本が、米国に対しては「民主主義を教えてもらった」と謙虚な態度である。

そこから、「ありがとう」と言う言葉が出る。

日米が現代で同じ価値観に立って親密な関係にある。

その裏に、「ありがとう」の精神があるだろう。

韓国は、日本人の米国に対する気持ちが理解できないだろうか。

韓国が、日本に対して「ありがとう」と言うはずはない。

日韓併合時代に受けた屈辱もある。

一方で日本が朝鮮を近代国家へ成長させるべく行った諸施策について、正当な評価を下せないだろうか。

日本が、米国へ行った評価と同じ次元の話だ。

日本の統治行為を全否定する。

歴史的事実を捏造してまで、感情論を先行させる。

それが結局、韓国の発展にとっての負の作用を及ぼすのだ。

感情と理性のバランスを取るべき段階だと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ページトップに戻る↑                           ページ一番下へ↓

【嫌韓】韓国経済阿鼻叫喚 57 日本援助のポスコ


About kabumagariya