【嫌韓】韓国経済阿鼻叫喚 59 韓国社会学者の妄言

「中央日報」(2015年5月6日付)は、ソンホムグン、ソウル大教授(社会学)のコラム

「ワシントンに桜が咲く」を掲載した。

「4月末、安倍首相が戦後初めて米上下両院合同会議で演説をした日にも、

10万本の桜の花が一斉に降り、ワシントンDCを覆ったはずだ。

そのためか起立拍手を10回も受けた。

米議会があれほど薄情に思える事はなかった。

「不動の軍事同盟」を担保に日本右翼の念願だった「平和憲法改正」に目をつぶった

オバマ大統領もそうだった。

世界最強の軍事同盟になったと言うのに感激しないはずはない。

さらに「軍隊のない国」の70年の歳月に終止符を打ったのだから。

安倍首相は感慨に浸り、賛辞を惜しまなかった」美文調である。

感情移入が過多とも言える。

社会科学者が描くエッセイとしては悪い意味での「出色」である。

社会科学の視点から執筆するエッセイとしては、論理と根拠が不可欠である。

残念ながら、その2つを欠いているから散漫な美文調になるのだろう。

若干の「自己陶酔」も感じられる。

自らの心情と違う相手を「右翼」と分類して攻撃する。

これは、学問をする人間の立場を著しく逸脱するものだ。

なぜ「右翼」は悪く、「左翼」は良いのか。

この延長線に立てば、韓国や中国は「左翼」であろう。

こういった分類は非論理的である。

ソウル大学教授の肩書に傷がつくのだ。

米国上下両院の合同会議では、安倍演説に対して15回ものスタンディングオベーションがあった。

ただの拍手ではなく、席から立ち上がっての拍手喝采である。

韓国は国会議長まで米国へ送り込んで、安倍演説を阻止しようとしたのだから、

この光景は最も見たくなかったに違いない。

だからといって、「米議会があれほど薄情に思える事はなかった」と言う表現の中に、

韓国の「感情論」が明確に投影されている。

学者のエッセイとしては「合格」と言う烙印が押される。

オバマ大統領が、「不動の軍事同盟」を担保に日本右翼の念願だった「平和憲法改正」に

目をつぶったとして批判している。

なぜ、日米で「不動の軍事同盟」ができたのか。

それは、中国の軍拡と周辺地域での軍事的な示威行動が原因である。

こうした因果関係には目をつぶり、日米両国を批判している。

極めて偏った論旨である。

「圧巻」は、次のパラグラフだ。

「日本精神史の盲点をついた東京大の丸山真男教授(引用者注:当時)の痛恨の概念が思い浮かぶ。

日本の精神空間には過去の記憶の欠片と言う異質的要素が混在する。

それらの論理的緊張を管轄する中枢的論理がない。

すべての行為を正当化する源泉である天皇は、支配集団の「共同謀議」に対する責任回避の公用安全弁だ。

現実の擁護と未来の出口のためなら、過去の記憶を再配置し、

ときには忘却の倉庫に送る」丸山真男氏は戦後日本の論壇をリードした日本政治思想史の研究者である。

その「丸山論文」を足がかりにして、日本精神史を批判している。

「日本の精神空間には過去の記憶の欠片と異質的要素が混在する。

それらの論理的緊張感がする中枢的論理がない」と批判している。

要するに、日本は「過去の記憶を再配置し、ときには忘却の倉庫に送る。

過去が自覚的に現実と向き合わない」と言うのだ。

敷衍すれば、日本には過去を反省する中心的な論理が存在しない。

その背後には天皇制が存在して過去を美化する。

まさに、戦時中の亡霊が戦後に大手を振って徘徊している。

そういう論理を展開している。

戦後70年間、日本は1度も戦争していない。

この現実をどう解釈するのか。

戦前の「蛮行」を反省したから、平和憲法を守ってきたのである。

この一事を持って、戦前期の日本批判はがっかりするのだ。

日本人は、戦前の誤りを繰り返すほど愚かな存在だろうか。

丸山氏は、著書「日本の思想」(岩波新書1961年)において、戦前の日本を厳しく批判している。

その通りである。

天皇制=神道が日本の政治と思想を牛耳ってきた。

だが、次のように言っている。

「天皇制が戦後も戦前と連続性を保ち、今後再び権力と精神の統合体としての

旧姿にまで膨張する可能性をはらんでいると言う意味ではない」(39ページ)。

明らかに戦前と戦後を区別して論述している。

それにもかかわらず、意識的に混同して日本批判を行っている。

学者としてあるまじき行為である。

「丸山論文」でなく、20世紀後半で最大の歴史結果である

英国のアーノルド、ジェイ、トインビーの代表著作「歴史の研究」こそ、

日本社会の行動原理を明快に説明してくれる。

トインビーは、「試練に立つ文明」(1948年)で次のように指摘している。

1つの文明が他の文明と遭遇した時、2つの対応法がある。

1つは、「ゼロット派(狂信派)」。

もう一つは「ペロデ派」である。

前者(ゼロット派)は、未知の文明に遭遇することを嫌い、既知のものに逃げ込む人間である。

自分よりも優れた戦術を用いる相手には、自らの伝統的な戦法で戦う「復古主義」である。

相手の文明から学ぶと言う姿勢がなく、異文明との遭遇を回避して「安泰」な道を選ぶ習性がある。

後者(ペロデ派)は、未知の文明に遭遇すると逃げ出さず、

その未知のものの秘密を探り出して自家薬籠中に収めることのできる人間である。

強力な敵と対峙した時自らの伝統的な戦法を捨てて、敵方の戦術を学んで抵抗する

「世界主義」である。

異文明との遭遇において犠牲を負っても、ものともせずに前進する習性がある。

トインビーは、日本を「ペロデ派」としている。

明治維新は、徳川時代の行き詰まりの政策として開国を迫った「敵方」

(米国)の戦術である近代化路線に転じた。

太平洋戦争の敗戦では、再び「敵方」である米国の民主主義に転じて平和憲法を守ってきた。

トインビーは、中国や韓国については触れていない。

だが、文脈から言えば「ゼロット派」であることは疑いない。

儒教と言う「復古主義」の殻に閉じこもっているからだ。

中国は社会主義と言う看板を掲げている。

実態は専制政治への復古である。

韓国は民主政治体制であるが、内実は「近代化以前」である。

官僚制度は専制政治時代の「家産官僚制」を色濃く残している。

恣意的な行政を行い、その顔は財閥企業に向いている。

国民の側にはない。

相次ぐ事故の発生は、恣意的行政の一面を物語っている。

賄賂によって政治が歪められているからだ。

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