韓国が、必要なまでに日本へ「謝罪」を求めるのは「復古主義」から1歩も出られない証拠である。
過去にこだわり未来を見ない。
この頑なな姿勢は、「ゼロット派」特有の動きである。
日本を過去のレベルに引き戻し、「謝罪」させて優越感に浸る。
劣等感を癒すのであろう。
韓国人の意識では、朝鮮李朝時代まで文化的に日本より勝っていた。
この意識から抜け出せないのだ。
「後発国」日本への恨みつらみが、それ以来ずっと堆積して消える事は無い。
日本に「謝罪」させる。
これが現在、どのような価値を生み出すのか。
日本は1965年の日韓基本条約で深い謝罪と賠償金を払っている。
一件落着のはずだが、韓国は劣等感から抜け出せずにいる。
だから、間欠泉のように「日本批判」が飛び出してくるのであろう。
日本は「ベロデ派」である。
絶えず未来に焦点を合わせている文化だ。
繰り返される「日本批判」と謝罪要求には「またか」といった感じが正直なところだ。
「韓国疲れ」している。
「過去が自覚的に現実と向き合わないこうした構造を丸山教授は「無責任の伝統」と呼んだ。
「過去を押しのけて新しいものにいち早く取り替える」日本精神史の病理的症状だ。
それで「過去の歴史を十分に謝罪した」とか「韓国、台湾、中国の発展に寄与した」と言う
没歴史的発言が可能になる。
このような特質がいかんなく発揮された安倍外交のワシントン決済式が
「大アジア主義」被害国には帝国侵略に対する一括的免罪符のように見える理由だ」
日本は「無責任の伝統」があると言う。
「過去を押しのけて新しいものにいち早く取り替える」のは、「ベロデ派」の証拠であろう。
これはなぜ、批判されるのか。
前述の通り、明治維新と戦後の戦争放棄は、「ベロデ派」だから可能であった。
韓国が、これを批判するのは劣等感の裏返しである。
朝鮮李朝は近代化を拒絶したのだ。
明治新政府が李朝に新政府を説明する公文書を届けたら、
日本が天皇を意味する「皇」と言う字を使ったとして、公文書受け取りを拒否した。
これこそ「復古主義」と言わずに何と表現するのか。
朝鮮自らの閉鎖主義を反省して当然である。
日本批判は全く当たらない。
太平洋戦争では、中国のほかに広くアジア諸国にも甚大な被害を及ぼしている。
だが、アジア諸国は日本の謝罪と賠償を受け入れ、その後1度も中韓のような
「謝罪のやり直し」を求められたケースは無い。
ODA (政府開発援助)による経済支援と日本企業の現地進出がもたらす経済開発を持って
「了」としたのだ。
現実に、日本のASEAN(東南アジア諸国連合)の直接投資では、対中国投資を上回っている。
互いに理解し合える関係を構築した結果であろう。
アジア諸国は、中韓のような儒教国家ではない。
したがって、「復古主義」にとらわれていないのだ。
日本の精神文化史は世界的な視野で見れば、「ペロデ派」である。
中韓の「ゼロット派」と齟齬が生まれるのは不可避である。
日本は、そう思ってあきらめるしかないであろう。
日本が中韓に対して誠意を持って話をし、その時は一応の納得が得られる。
時間が経てばまた、「日本批判」が生まれる。
そういう精神文化が中韓なのだ。
「万世一系の天皇秩序、皇宗皇祖の神聖的啓示によるすべての過ちは、
崩壊したファシズムとともに埋められた。
残酷な暴力統治を考案した張本人も無責任の空間で蒸発した後、
過去の歴史に責任を負うべき現代の日本は無い。
河野洋平元官房長官や村山富市元首相は「無責任の伝統」から外れた人だ。
米民主党のランゲル議員を始めとする25人の議員も例外的な米国人でないことを願う。
来年もワシントンDCに桜の花が降るとしても」このパラグラフを読んで、不思議な気持ちがした。
同コラムの筆者は、韓国への謝罪を認める人たちだけが、日本の「無責任の伝統」から放免される。
そういう論理を展開しているからだ。
日本が、明治維新以降の対外政策で犯した間違いは、全て謝罪と賠償をすましている。
戦後70年同じ過ちを犯さなかったから、現代の日本があるのだ。
それは広く、国際社会で承認されている。
この事実すら認めないと言うならば、筆者の学問的な良心に疑問符がつくであろう。
そこまで「日本憎し」であるならば、もはや、社会科学の看板を下ろさざるを得ない。
ファクト(事実)に基づいた論理の展開が、社会科学のレーゾンデートルである。
これについて、どう答えるのか。
単なる思いつきで相手に「右翼」のレッテル張りをして満足している。
これでは、科学的な論争は成り立たない。
問答無用の論争回避は、「ゼロット派」の特色でもあるのだ。
韓国は自らの主張に合わない意見を、すべて「右翼」呼ばわりしている。
論争を避けるための「口実」にしているのだ。
先に私は、韓国が「集団的うつ病」にかかっていると指摘した。
「うつ病」とは、抑うつ気分、悲哀、絶望感、不安、焦燥、苦悶感など
体調がすぐれない精神の病気とされる。
治療法では、精神科医による薬物投与が一般的となっている。
フロイトは、精神分析によって患者自身に心の病の本質を自覚させる。
それが根本的な治療法になると言う各説を打ち立てた。
こうしたフロイト流の学説を、韓国に適応したならばどうなるのか。
韓国はまず、異文明の挑戦方法に「ゼロット派」と「ペロデ派」の2つがあることを承認することだ。
自らが属する「ゼロット派」が、復古主義であることを自覚するならば、
日本(「ペロデ派」)の「世界主義」について理解が進むであろう。
日本は、決して「無責任の伝統」と言う評価でなく、逆の高評価になるはずだ。
天皇制についても、シニカルな見方をしている。
戦前の天皇制と戦後のそれは、180度もの違いがある。
戦後は「象徴天皇」に変わっており、政治との関わりはゼロとなった。
内閣の助言に基づいて公務が行われるシステムだ。
もはや、天皇制を隠れ蓑にして政治が野望を実現する余地はなくなっている。
こうした天皇制の変化も「ペロデ派」の日本であるから可能であった。
日本が「ゼロット派」であれば、元の天皇制に戻したであろう。
韓国は、慰安婦問題をどのようにして解決するのか。
日本側では、何の対応もないと見なければなるまい。
慰安婦の強制連行説が、朝日新聞の誤報、捏造であった以上、
日本政府が韓国側の要求を認める可能性は少ない。
こうなると、韓国自身が解決するしか道は無いのだ。
韓国憲法裁判所が、「慰安婦問題」を法的に認めたことが発端である。
もう一度、憲法裁判所で審議し直すべきであろう。
現在、韓国では売春の合法性が憲法裁判所で審議されている。
再び、売春が合法化されるならば、慰安婦問題だけを「違法」と言う事の場違いな印象を与えるのだ。
慰安婦に「強制」と言うイメージがなくなれば、韓国政府がとやかく言うべき事柄ではなくなる。
ましてや、戦前の日本には売春を政府公認とする「公娼制度」が存在した。
この歴史的事実と重ね合わせて、慰安婦問題を考えなければならないのだ。
米国の著名な歴史学者187人が2015年5月5日「日本の安倍晋三首相に宛てた声明で
従軍慰安婦問題の解決を求めた」とする記事が
「朝鮮日報」(2015年5月7日付)で大々的に報道された。
「原文」と一部分で違う内容だ。
韓国はジャーナリズムも含め、「集団的うつ病」である事は間違いない。
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