神知る地が知る天が知る。
最近面白くなかったので書き起こし(読み起こしか、音声で変換しているので)してなかったけど
久々に面白い話。
変見自在
真の日本人
ビクトリア女王が出る少し前までの英国はそれはもう貧しい国で、
明るい家に住むなんて贅沢だと窓にまで税をかけていた。
それが植民地を広げ、資源を簒奪して、たちまち豊かな国になっていった。
フランスもしみったれオランダも右に倣ってヨーロッパ人が過去に味わったこともない
栄華に酔いしれた。
そうなると白人どもは自分たちこそ支配者にふさわしい優れたものと思い始める。
F・ゴルトンは白人が黄色や黒より知的に優れているとする優生学を世に出し、
クーベルタンは白人の肉体と躍動の美しさを愛でる近代五倫を提唱した。
折も折り、香港でペストが流行りだした。
ペストとは14世紀欧州で猖獗を極めその人口を半減させた黒死病のことだ。
優秀なはずの白人どもが病の原因を追求して様々な説を打ち出した。
その1つが罹患しないユダヤ人の陰謀説だった。
罹患率の低さは彼らが旧約聖書に従い食事の前に手を洗い、生ごみを穴に埋める習慣によるが、
優秀な白人はそれを見落とした。
そしてユダヤ人が井戸に毒を入れたと結論し、欧州各地で大虐殺が繰り広げられた。
みんな殺したのに黒死病は収まらず、ユダヤ人説は間違いとわかった。
黒死病はその後17世紀にミラノとロンドンで流行、18世紀にもマルセイユで大流行した。
この間、白人学者は懸命に研究を重ねたが、何の収穫も得られなかった。
それが今度は香港で起きた。
白人医師はそれが欧州でなくて良かったと思うだけで、多くが拱手傍観するだけだった。
ただ大事なことを彼らは失念していた。
北里柴三郎が留学先のドイツから日本に戻っていたことだ。
北里はそれまでの数年間、コッホ保研究所でまず破傷風菌の取り出しに成功する。
世界的な偉業だが、彼はさらに菌がだす毒素を発見。
それをもとに抗毒素を持った血清を作り出した。
世界初の血清療法だ。
彼はジフテリア菌でも血清療法を開発した。
白人が逆立ちしてもかなう相手ではなかった。
そんな俊英が1894年6月、ペスト禍の香港に入った。
白人が恐れていたことが起きた。
北里は到着2日後にペスト菌を見つけ、その2日後にはネズミが媒介するのを確認。
香港政庁は彼の言葉に従ってネズミを駆除した結果、黒死病はおさまった。
白人が五世紀間、追い続けた答えを一見の日本人が数日間で出してしまった。
ゴルトンの優生学は一瞬にして色あせていった。
これはまずいと誰もが思った。
香港近くにいたフランス人医学者アレクサンドル・イエルサンがその思いを代表して
私もペスト菌を発見したと言った。
北里の発見から1週間後のことだ。
欧米医学会はイエルサン証言を検証なしで認め、もう1人の発見者とした。
3年後の万国衛生会議は2人をペスト菌の共同発見者とし、学名をキタザトエルシニアぺスティスと決めた。
その4年後、北里の名が第一回ノーベル賞候補者として再び持ち上がった。
彼の血清療法の功績が評価されたが、結果を白人助手フォン、ベーリングのみが受賞した。
北里無視はまだ続く。
発見から70年後、国際微生物学会で密かにペスト菌の学名が変更され、
北里の名を削ってエルシニア、ぺステスとした。
これで白人を苦しめた黒死病は白人が自ら見つけ出し始末したことになった。
日本のお札の肖像は財務省が決める。
小役人だから世界を揺るがした明治天皇や昭和天皇、東郷平八郎等は絶対に出してこない。
選ばれてきたのは、検索すると貧乏しかヒットしない女性とか結婚詐欺の前科のある医者とか。
今回も小粒で無難を基準に選んだら、その意味で北里は大間違いだった。
彼は日本人の非凡さを象徴する。
栄誉にも恬淡とし、芸者遊びを好む。
彼の名を聞くと、白人どもは己の無能さと姑息さを思い知る。
やっと日本国紙幣にふさわしい人が出た。
──────────注釈
猖獗
(好ましくないものが)はびこって勢いが盛んであること。
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