古来、戦争が起こるのは大体のところ、隣国との間だ。
隣国との間には常に人と物の行き来が絶えない。
だから、戦争にはならなくても、摩擦がつきまとう。
したがって、隣の国の実情、その民の思考と行動パターンは常に冷厳な資格で捉え、
その動向を把握しておかなくてはならない。
これは、私のかねてからの主張だ。
では、隣国である韓国。
そこでは、どんな性格と思考方式を持った人間が、どんな営みを続けているのだろうか。
俗に言う韓流ブームを通じて、韓国に関する知識が増えたと思ってる日本人が多いようだが、
私は疑っている。
なぜなら、韓流ブームそのものが、韓国政府の補助金によりドラマを安価で輸出するシステムに基づく。
つまり、国営の対外PRの1手段なのだ。
何のために、そんなことをするのか。
彼らの好きな言葉で言えば、「韓国のブランド価値を高めるため」となる。
噛み砕いて言えば、「韓国とは、大変に素晴らしい国だ」「韓国人とは、とても優れた民族だ」
と言う彼らなりの事実を、世界中に認めさせるためだ。
韓国のブランド価値が高まれば、韓国製品は飛ぶように売れ、
韓国人はどこの国に行っても韓国人であると言う事だけで歓待され…と彼らの夢想が続く。
こうした意味でのブランド志向と夢想の底流での脈打つものは、漢民族優越思想だ。
そして、これと表裏一体をなすのが他民族に対する差別意識である。
韓国人は現に、外国人と外国人特に有色人種に対して、すさまじいばかりの差別意識を持ち、
差別行動している。
差別は外部にのみ向けられているわけではない。
在日韓国人、脱北者に対する差別も凄いが、韓国人同士の間でも明確な差別がある。
異常なまでの学歴崇拝と、職業に対する病的な貴賎意識が一体となって作り出している差別だ。
「法律に基づかない現代の身分制度」とでも呼ぶべきなのだろう。
こうしたニーズを、現代物の韓流ドラマは伝えているのだろうか。
巷間には依然として、何かにつけ「韓国を見習うべきだ」と言う浅はかな声が残っているが、
「とんでもない。
日本は、そんな国になってはいけない」と言う思いから真の韓国事情を伝えることが、
この本の一環したテーマだ。
国営PRの一環としてもたらされた薄っぺらな情報は、どれほど脳内に蓄積したところで、
隣国の動向を見定めるためのインテリジェンスにはなり得ない。
結論を言ってしまえば、現実の韓国とは、文明の終わりを思わせるような悪辣な思考と
行動、腐臭、風俗が闊歩する社会だ。
それなのにピカピカの国であるかのような虚言を重ね、ドラマや製品ばかりでなく、
悪辣な思考と行動、腐臭、風俗を内包する韓国型生活様式、
いわばコリアンウェイオブライフそのものを海外に輸出し、海外で増殖させようとしている。
これも漢民族優越思想、換言すれば小児病的な小中華思想に発する行動だ。
すでに頭から湯気を立て怒っている親韓派もいるだろうが、私が言っている事は、
決して偏見に基づくものでも独断でもない。
私は、1980年から85年まで、時事通信社の特派員として、ソウルで生活した。
自慢げに響くかもしれないが、ある地を旅行者として何十回も訪れて得られた知見も、
その地でその地の人間を相手に仕事をしながら生活している人間の半年の知見に
敵わないのではないだろうか。
かく言う私は、そもそも韓国にほとんど関心がなかった。
私の周囲には、韓国(のみ)に関心があり、それをマスコミのソウル特派員を目指して
新聞社に入ったような人物がいる。
韓国、朝鮮問題を専門とする大学教授にも、昔から「韓国、朝鮮(のみ)に関心があり…」の人が多いようだ。
1960年代、70年代に、「韓国、朝鮮問題を生涯の仕事にしよう」と思い立ち、
それを実践した日本男子とは、普通の日本人と感性、感覚が違うのではないだろうかと
私は疑っている。
彼らの心中には「日本人の対韓偏見を助長させてはならない」
といった使命感があるのではなかろうか、と思われる。
日韓両国政府主導で始まった日韓歴史共同研究委員会では、韓国側は意見が対立すると
「韓国に対する愛情は無いのか」と、日本側に食ってかかった。
こうしたやりとりを筑波大学大学院教授の古田博司氏が明らかにして以来、
韓国通の間では、前記のような使命感を「韓国に対する愛情」と揶揄するようになった。
もとより「私は普通の日本人の心を持っている」などと言う気持ちは無い。
ただ、社命により突如として韓国に行った私には、彼ら風に言えば
「日本人の対韓偏見を助長させてはならない」といった使命感、
すなわち「韓国に対する愛情」がなかった。
「事実は事実。
事実を書くのに遠慮してはいけない」政治評論家の屋山太郎氏(私が時事通信社で
政治部の野党担当になったときのキャップ)に叩き込まれた記者精神と、
「…助長させてはならない」といった使命感とは、全く入れなかったからだ。
この本も「事実は事実だ。
事実を書くのに遠慮してはいけない」と言うスタンスを貫いた。
付け加えるべきは、「私の独断ではない」ことを示すために、韓国の公式統計や韓国の
「権威ある」マスコミ報道を、主たる典拠に仕立た点だ。
88年ソウル五倫の前後の出張取材。
その後も何度かの旅行、長期の韓国赴任から戻った日本人ビジネスマンや、
来日する韓国人の知り合いとの懇談といった機会に得た知見も、
もちもちろん本書の内容に反映させている。
各章の見出しに「〇〇大国」「〇〇強国」といった表現が多くなったのは、
韓国の報道機関の見出しの付け方を大いに学んだ結果だ。
本書を読めば、私のような1個人の意見ではなく、韓国の報道機関が伝える韓国そのものの事実、
実態からしても、韓国とはやはり、日本にとって(おそらく大多数の国々にとっても)
「悪なる国」なのだと結論せざるを得ないくなると思う。
「悪韓論」と言うタイトルは、自然に頭に浮かんだ。
「悪しき韓国について論じた書」と言う素直な気持ちで。
本書では、韓国の荒廃した産業文化を律する要因を探り、続いて韓国社会全体の病巣を分析した。
本論に入る前に、私が多くの天慶とした新聞、放送など韓国の報道機関の特徴と、
それに対する私の姿勢についても簡単に説明しておこう。
朝鮮日報、東亜日報、中央日報これが最大新聞であり、いずれも「保守系紙」と呼ばれている。
ここで言う「保守系」とはアンチ北朝鮮の意味だ。
朝鮮日報が韓国最大の発行部数で、230万部程度。
同紙は最も「保守的」とされ、しばしば親北、左翼の標的になっている。
その反面、貧富の格差、汚職、外国人差別、性犯罪、売買春など、
いわば「悪辣な思考と行動、腐臭、風俗」の追求に最も厳しい。
私が引用した記事件数も朝鮮日報が飛び抜けて多い。
東亜日報は、落ち着いた記事が多い。
社内外の論客が執筆する「オピニオン」欄には、時として鋭い視点が光る。
しかし、その社説は無事安逸形、つまり綺麗事が目立つ。
中央日報は、サムスン財閥の総帥李健熙の義弟1族が支配していて、
「サムスンの機関紙」と揶揄されて当然の記事が載る。
「きのうはあっち、今日はこっち」の論調激変を厭わない。
「左翼系」の人は、ハンギョレ新聞だ。
独自ネタが多いが、「労働者のため」の立場を強調したいが為なのか、
針小棒大の記事が少なくない感じがする。
韓国版の「しんぶん赤旗」のような存在だ「しんぶん赤旗」で思い出した。
のっけから脇道にそれてしまうが、時事通信社が1960年4月から毎月実施している
「時事月齢世論調査」の詳細クロス分析を見ると、近年の傾向として指摘できる事は、
「好きな国」として「韓国」を挙げる日本人と「共産党支持者」「公明党支持者」との
相関が極めて高い事実だ。
これは、政治心理学の面白い研究テーマだ。
首都ソウルにはこのほかに、京郷新聞、韓国日報、ソウル新聞、文化日報、
さらには毎日経済新聞、韓国経済新聞などが本社を構えている。
1つの道(日本の県に該当)には、
複数の地方紙があるが、部数が少ない。
地方紙だけでなく、ソウルに本社を置く新聞も含めて、ほとんどの新聞が、
通信社である聯合ニュースが配信する記事を掲載する比率が高い。
聯合ニュースは株式構成からすれば事実上の国営と言えるが、
旧共産圏の国営通信のような「大本営発表の垂れ流し機関」ではない。
むしろ斜に構えたところがある通信社だ。
地上波テレビ3局のうち、国営のKBSと反国営のNBCは盧武鉉大統領時代には、
左翼政権に隷属する攻撃的な紅衛兵のような役割を担った。
世論調査を見れば、日本のNHKと同様に、韓国民の国営KBSの信頼度は高い。
しかし、紅衛兵時代と報道、制作スタッフが変わったのだろうか。
スタッフは変わっていないのに、報道姿勢が全然違うとしたら…
強気に思える国民性を象徴するマスコミなのかもしれない。
私には、KBS、NBCともに信頼できない。
では、韓国の新聞、通信社が伝えるところは信じられるのか。
日常の一般記事、特に発表主体を明示した経済関連記事に、
ここで指摘したような各紙の性格が露骨に反映されるわけではない。
「しんぶん赤旗」が、日本政府発表の統計数値を意図的にねじ曲げて伝える事は無いのと同じだ
(その数字の解釈は、新聞社によって違って当然だが)。
そのため、数値情報は引用し、その新聞ならではの解釈は伝えても、
その報道に引きずり回される事は無いとのスタンスを貫くことで、
不信になる部分を最大限に除染したと思っている。
ハンギョレ新聞は、朝鮮日報を「親日新聞」と攻撃するが、私から見れば朝鮮日報の「反日」も、
かなり重度の病気だ。
新聞、放送、通信とも、いずれも「反日」であり、事あればブレーキが効かない
「反日紙面作り競争」を展開する。
おおまかなところになるが、韓国紙の「自国自賛」の記事には、
嘘と言ったほうがいいような未確認情報がベースになっていることがある。
しかし自国についてネガティブなほどは、政府や他紙のチェックもあるから、
あくまでも「それなりに」だが、信じられる部分が多いと私はこれまでの経験から感じている。
韓国のマスコミのうち、朝鮮、東亜、中央、ハンギョレ、聯合、KBSは日本語サイトも解説している。
(ときには誤訳、しばしば変換ミス、誤字があるが)。
本書の内容に異議があると言う方には、私の典拠より高い水準のソースを基にして
「良韓論」あるいは「善韓論」を執筆されるよう、お勧めする。