本来、隣国の批判は慎むべきことであろう。
ましてや、民主主義政治体制の国に対して、タイトルのような「集団的うつ病」と言う
レッテル張りが、いかに礼を失しているか。
私は、それを十分に心がけているつもりだ。
こうした人間的「規範」を飛び越えて、このテーマで書こうと決意した背景には、
後掲のソウル大学社会学部教授の日本批判が、「中央日報」に掲載されたからだ。
ならば、私もその批判に応えて、韓国の「社会病理」を書いて、韓国に反省を求めたい。
そういう気持ちに傾いたのである。
小難しい議論をしようとは思わない。
ただ、社会学の教授が執筆したエッセイは反論する題材として好適である。
これを使って、韓国社会がいかに「病んでいるか」を明確にしたいと思う。
70年前の問題を引っ張り出して、戦後日本が相変わらず蛮行を継続している。
そんな前提での「日本批判」に対して、いちどは歴史学的な見地からまっとうに答えておきたいのだ。
一回限りの「謝罪」では、韓国を満足させられない。
永遠に謝罪し続けろ。
間欠泉のごとく、定期的に吹き出す「日本批判」は、そういう意味であろう。
こうなると日本自体に問題があるのではなく、韓国社会が抱える「集団的うつ病」が原因である。
韓国自身が、その病理を治癒すべき内省することが先決であろう。
私は強くそう思う。
一般的な「うつ病」(克服と同じ治療法の採用を進めたい。
医学的な手法を施しても、「うつ病」は完治しない。
本人がその原因を自覚し、自らが内政して克服するそれが最善の治療法であるからだ。
韓国も同じである。
過去1000年以上、中国の属国として生きてきた。
その間の鬱積した不満が、形を変えて「日本批判」になっている。
韓国自身がそれに気づいていないのだ。
人間にたとえれば、幼児期に受けた精神的なダメージが、成人になって「うつ病」として
発症すると同じ理屈である。
今こそ、韓国の「精神分析」が必要である。
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