最終更新日 2020年9月6日日曜日 15:36:46
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【米中もし戦わば】007-4、ベトナムとフィリピンから南沙諸島を奪い取る

1970年代、中国初めて海上で戦線を開き、それまで陸地中心の大陸国家から

脱却する重要な一歩を踏み出すことになる。

 1974年、中国は、当時弱体化していた南ベトナムから南シナ海の西沙諸島

(英語名パラセル諸島)を奪い取った。

 周恩来首相自らが計画したこの攻撃のために中国は小型砲艦と部隊を派遣し、

南ベトナムが領有権を主張していた島々を占領した。

小型船舶4隻で島々を奪還しようとするベトナム軍部隊に対して中国は、

ミサイル搭載軍艦の大艦隊と精密爆撃による中国版「衝撃と畏怖」作戦

(2003年のアメリカの対イラク作戦名)で応戦した。

 当時、ニクソン政権下のアメリカは中国との関係改善に首までどっぷりつかり、

ベトナム戦争の泥沼から抜け出そうと必死にもがいていた。

その結果、中国を怒らせることを恐れたアメリカは南ベトナムへの援助を拒んだ。

 兵士の数でも装備の点でも中国に劣る南ベトナムには、

撤退以外の選択肢は残されていなかった。

西沙諸島の戦いはアジア史の中ではほんの小さな出来事だが、

これは、アメリカの介入がなければ中国はその軍事力でアメリカの弱小同盟国を

圧倒することを明確に示した例だと言える。

 1979年、中国は数十万の大群と数百台の戦車によってベトナムに電撃的に進行し、

かつての同盟国に対する攻撃のハットトリックを完了した。

とは言え、これは実は十分に予想可能な事態だった。

歴史的に見れば中越は何世紀もの間敵対関係にあったのだし、

ベトナムは当時、今や中国の不倶戴天の敵となったソ連と強固な同盟関係を結んでいたからである。

 中越戦争は、期間は短かったが戦死者の数が非常に多かった。

 1ヶ月足らずの間に中国が失った兵士の数は、アメリカ10年以上にわたるベトナム戦争で

失った兵士の数よりも多かったかもしれない(6万人以上に上ったと言われている)。

 しかし、中国軍とベトナム軍の軍事衝突はこれが最後ではなかった。

 1988年、中国は今度は南沙諸島(英語名スプラトリー諸島)の領有権を主張したことから、

中国軍とベトナム軍が再び衝突することとなった(スプラトリー諸島海戦)。

 ブルネイからもフィリピンからもマレーシア領ボルネオからもベトナムからも

近い場所でも900キロ以上離れている、戦略上重要な海域に位置   

にする諸島は、中国本土からは、1番近い場所でも900キロ以上離れている。

 中国がファイアリークロス礁に監視所を建設し、

「歴史的に中国固有の領土」として南沙諸島の領有権を主張しようとしたのを受け、

ベトナムはその海域に武装船を発見して対抗した。

 近くのジョンソン南礁に上陸した軽武装のベトナム兵は、中国の侵略に抗議して

ベトナム国旗を掲揚した。

これに対して中国の軍艦はベトナム兵に大口径の高射砲を向け、60名以上を殺害した。

 この虐殺の後、中国はケナン礁とヒューズ礁を含む南沙諸島の6島を実行支配下に置いた。

 その後も中国は南沙諸島で領土拡大路線を取り続け、

1994年にはフィリピンからミスチール礁を奪取した。

フィリピン海軍が通常のパトロールを行えないモンスーンの時期を狙って、

中国海軍がみミスチーフ礁にこっそり入り込み、複数の構造物を建設してしまったのである。

フィリピンの政治指導者らは、この行為を「卑劣な侵略」だとして激しく非難した。

 この時点でフィリピンは軍事介入を行い、これを阻止しようとすることもできたはずである。

だが、1970余年の南沙諸島の戦いや1988年のスプラトリー諸島海戦で中国軍が

ベトナム軍に対して行った残虐行為を見てきたため、

装備の劣るフィリピン海軍は中国との戦いに後ろ向きだった。

 こうして、中国のミスチーフ礁実効支配は速やかに既成事実と化した。 

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【米中もし戦わば】007-3、核戦争寸前まで寸前にまでエスカレートした中ソ国境紛争

1960年代、中国がベトナム戦争でも重要な役割を果たすことになる。

 戦況を変えるのに貢献したのは、中国が大量に送り込んだトラックや戦車や戦闘機や

迫撃砲だけではなかった。

 15万人の中国兵もハノイとハイフォンの空に非常に効果的な防衛の傘を提供した。

 中国では、従来型の高射砲と地対空ミサイルの両方を使って1000機以上もの

アメリカの航空機とそのパイロットを撃墜した。

しかし、究極的には、中国が北ベトナムに果たした最大の貢献は

アメリカ軍に対する抑止効果だった。

 アメリカにとって勝利への最短ルートは、地上軍が非武装地帯を越えて北ベトナムに

進軍してハノイを奪取し、北ベトナム政府を打倒することだった。

 だが、アメリカの政治指導者らは、「もしアメリカが非武装地帯を突破すれば、

朝鮮戦争の時のように何百万と言う中国兵が大挙して国境を越え、

ベトナムに侵入してくるだろう」と言う恐怖に取り付かれていた。

 結局、10万人以上のアメリカ兵がベトナム戦争で死亡または重傷を負い、

アメリカは撤退を余儀なくされた。

 その主な原因は、アメリカの勝利に不可決な戦略を中国が封じたことだった。

 中国から見れば、これは「上兵は謀を伐つ(最高の戦い方は、敵の策謀を見破って

それを封じることだ)と言う孫子の兵法をそのまま実行に移した教科書的事例だった。

激動の1960年代、国家主義的な色彩を強める中国は、

「帝政ロシアが屈辱の100年間に中国の領土を不当に併合した」と声高に言い募るようになった。

1960年、この国家主義の高まりから、中国はついに旧同盟国に、2度目の奇襲攻撃に突入した。

 その相手国はソビエト連邦だった。

 今回の領土問題の中心は、川の小さな中洲2つと「世界の屋根」パミール高原の

側面沿いのおよそ52,000平方キロメートルの領土だった。

 国境紛争は、その小さな島をめぐるささいな領土紛争が、

国家主義的熱狂によっていかにたやすく核戦争の瀬戸際までエスカレートし得るかを

示した好例である。

 実際、それはもう少しで中国に原爆を投下するところだった。

 現在中国が東シナ海南シナ海の島々に行っている領有権の主張がこれほど不気味なほど

よく似ていることを考えると、これは実に教訓的な意味合いを含んでいる。 

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【米中もし戦わば】007-2、チベット、心境、インドへの武力侵略

さて、中国が現状維持国家なのか現状変更国家なのかを

どのように判断したら良いのだろうか。

 過去が現在及び未来の序章だとすれば、1つの妥当な方法は、

中国共産党が政権を握った1949年以降の中国の振る舞いを注意深く分析することだろう。

実際、中華人民共和国の歴史をざっと振り返って、「平和的台頭」と言う

指導部のうたい文句と過去60年以上にわたる武力侵略の歴史と言う現実とのあいだの

矛盾は明らかである。

中国の武力侵略は、1950年、世界史上最大の帝国主義的併合というべき

チベット及び新疆ウィグル自治区の征服を持って始まった。

 ともに鉱物資源に富んでいるチベットと新疆ウィグル自治区合わせた面積は

260万平方キロメートル、中国の国土の30%を占めている。

これらの地域の侵略とその先住民に対する苛酷な扱いは、

中国と言う独裁国家の暗部を余すところなく明らかにしている。

 こうした侵略の根拠として中国が掲げる「固有の領土」と言う主張は、

そうした「失地回復主義的」論拠を容易に認めない現代国際法とは全く相容れないものである。

 同じく1950年、中国は、現代戦争史上最も効果的な奇襲攻撃によって朝鮮戦争に参戦した。

3個師団、10万人以上の兵士が夜陰に乗じて密かに鴨緑江を渡って北朝鮮に入り、

国連軍を不意打ちしたのである。

 その結果、数千名のアメリカ軍及び韓国兵士が犠牲になった。

 1950年代初め、中国はベトナムの独立運動を支援し、

フランスをインドシナ半島から駆逐することに力を貸した。

 中国の戦略家によって綿密に計画され、中国から大量の武器供与を受けて

遂行されたディエンビエンフーの戦いは独立派の大勝利に終わり、

フランス軍はナポレオンのワーテルローにおける敗北にも匹敵する惨敗を喫した。

1954年にフランス軍が撤退した後、ベトナムは南北に分断された。

 その数十年後、今度はアメリカが南ベトナムから不名誉な撤退を

余儀なくされることとなった。

1962年、中国はインドに侵攻する(これを含めて、中国がかつての友好国や同盟国への

奇襲攻撃を3度にわたって行うことになる)。

この中印戦争は、距離的に1600キロ隔たり、それぞれ独自の歴史的背景を持つ

2つの地域をめぐる国境紛争である。

 中国にとってこれは、12年前のチベット及び新疆ウィグル自治区占領の延長だった。

 最初(西側)の国境紛争の焦点は中国が占領したカシミール地方のアクサイチンだった。

 2度目(東側)の国境紛争の原因は、インドが実効支配するアルナーチャラム、

ブラディー州だった。

 中国は、現在でもこの地域を「南チベット」だと主張している。

 中印戦争は、まさにホッブズの言葉通り「汚らわしく、野蛮で、短い」もの

(トマスホッブズ「リヴァイアサン」からの引用。

もともとは、戦争状態における人生について述べた言葉)となった。

 それはインドにとって最も屈辱的な敗北でもあった。

 この敗北はインド人のこころに、中国に対する根深い不信感を植え付けた。 

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【米中もし戦わば】007-1第5章中国共産党の武力侵略問題

今後数十年間の中国の行動に当てはまると思われるケースを選べ。

 ①「現状維持」国家として、経済発展と平和的台頭、国際秩序の責任ある担い手になる機会のみを追求する

②「現場変更」国家として、経済成長と軍事力を領土拡大とアジアにおける影響拡大に利用する

本章の問題を持って、いよいよ、「米中戦争が起きるか」と言う問題の核心に迫ることになる。

 正解が1の場合、つまり、中国指導部が盛んに強調しているように中国は経済発展と

「平和的台頭」のみを望んでいるとすれば、衝突の可能性は極めて低くなる。

 一方、正解が2の場合、つまり、中国が力によってアジアで領土を拡大すると

ミアシャイマー教授が警告しているように「地域の覇権国家」になろうとしているとすれば、

その現状変更主義的かつ有害な意図は必ずや(全面戦争とはいかないまでも)

軍事衝突を招くだろう。 

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【米中もし戦わば】006-4 第一列島線に配備されている米海軍と大量の兵器

もちろん、太平洋地域にも、アメリカの陸海空軍基地及び海兵隊基地は、

サンディエゴからハワイ、グアムを経て、日本及び韓国の前身作戦基地に至るまで、

11,000キロにわたって点在している。

 日本や韓国のアメリカ軍基地はアメリカ本土からは遥か彼方にあり、

中国には、沿岸部に戦闘機が到達できるほど近い。

第二次大戦の激戦地グアム島(中国本土からの距離は3500キロ未満)は

最重要の戦略拠点であり、日本列島、グアム、インドネシアのパプア州、

パプアニューギニアを結んでアメリカの第二防衛ライン (第二列島線)の

ほぼ中央に位置している。

 全長わずか50キロのこの基地の島は、太平洋空母艦隊の重要な1時停泊所である。

グアムには、B-2ステルス爆撃機、第五代戦闘機F-22、攻撃型原子力潜水艦、

最新の無人機など、アメリカ軍の最新の兵器が軒並み配備されている。

アメリカの第一防衛ラインである「第一列島線」は、、当然のことながらさらに中国本土に近い。

 第一列島線は、千島列島から日本本土、沖縄、台湾を入れてフィリピン及び

ボルネオ島へと至るラインで、韓国もその中に含まれる。

 この第一列島線上にも、グアムと同様にアメリカ海軍とかなりの兵器がへ配備されている。

韓国だけでも15の基地があり、およそ30,000人の兵士が駐留している。

 佐世保と横須賀にアメリカ第7艦隊の司令部がある日本本土にも13の基地があり、

およそ40,000人の兵士が駐留している。

 さらに、沖縄県には14の基地が置かれ、沖縄本島の面積の20%近くを基地が占めている。

しかし、中国にとって懸念材料は日本と韓国のアメリカ軍基地だけではない。

 最近、フィリピンのスービック海軍基地にアメリカ海軍が戻ってきたからである。

 1992年に基地を返還して撤退していたアメリカ軍が戻ってきた主な理由は、

皮肉なことに、フィリピン政府が中国の軍事行動に不安を募らせたことだった。

だが、アメリカの戦略投射はこれで全てで はない。

 南シナ海の作戦区域には、アメリカ軍西太平洋兵站軍司令部を置かれている。

これは、第7艦隊のための戦闘即応能力を持つ兵站センターで、

比較的最近シンガポールに設置された。

 その目的は、「第7艦隊全体の戦闘用艦艇及び部隊に武器、燃料、食料を供給し、

支援すること」である。

また、アメリカが打ち出したアジア重視戦略の一環として、現在、アジア防衛網の周縁に

位置するオーストラリアに海兵隊が配備されている。

 このように世界中に展開するアメリカ軍は、中国側の目にどのように映るだろうか。

 それは確実に、中国経済の生命線と言うべき通商路に対する脅威と映るはずである。

 さらに、有事の際に中国を封鎖する意図があることをペンタゴンが頻繁に表明している

ことを考えれば、中国は純粋に防衛目的で軍事力、特に、世界的規模の海軍力を

増強するのは当然だと思われる(ペンタゴンの戦略については後述する)。

この意外な結論から当然のことながら、「アメリカはなぜ、最大の貿易相手国に

大打撃を与えるような禁輸措置を課そうとしているのか」と言う疑問が浮上してくる。

 これは、アジア全体とともにペンタゴンやホワイトハウスをもますますナーバスに

させている問題、つまり、「中国は領土的野心や有害な意図を抱いているか」と

言う問題に直結する疑問である。

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【米中もし戦わば】006-3中国経済の喉元を抑えているアメリカ

1991年のソ連崩壊以来、アメリカ海軍に世界規模で対抗できる限り力を持つ国家は

存在しなくなった。

実際、ロシア連邦海軍の規模は、ピーク時のソ連海軍のおよそ4分の1程度しかない。

 それにソ連潜水艦隊は、1985年にほぼ400隻を保有していたが、

現在、ロシアの潜水艦保有数は100隻以下である。

 アメリカ海軍に対抗できる海軍力を持つ国が存在しなくなった事は、

世界経済に大きな恩恵をもたらした。

海のパックスアメリカーナによって事実上すべての国や国際通商路を

自由に往来できるようになり、その結果、国際貿易量は劇的に増大し、

ほぼ世界中の経済が着実に成長した。

そこで、ところで指摘しておかなければならないのは、アメリカ海軍による

通商の保護の恩恵はどこでも受けたのは世界最大の輸出国中国だと言う事実である。

 とは言え、世界中に展開するアメリカ軍の配置を地図上でざっと見ただけでも、

中国に対してアメリカの輸出入禁止措置を取った場合、それは極めて効果的に

実行されるだろうと言う事は明らかである。

ペルシャ湾を例に考えてみよう。

 中国が輸入している石油ここから運び出されている。

 ペルシャ湾とホルムズ海峡のホルムズ海峡の監視にあったている

アメリカ海軍第5艦隊の司令部は、ペルシア湾のマナマ(バーレーンの首都)に置かれている。

また、第5艦隊ははるか南のケニア沖まで出向いてパトロールを行っているが、

ケニアを始めとするアフリカの多くの国々からも中国は石油を輸入している。

 第5艦隊は、地中海と紅海を結ぶスエズ運河の南端の警備にも当たっている。

 そして、中国行きの貨物線は、幅わずか30キロのチョークポイントを通過することになる。

アラビア半島のイエメンとアフリカの角に位置するジブチ及びエリトリアに挟まれた、

このバブエルマンデブ(アラビア語で「悲しみの門」の意)はインド洋と地中海をつなぐ

戦略上重要な交通の要衝である。

 地中海を管轄しているアメリカ第6艦隊は、スエズ運河の端から大西洋への

玄関口ジブラルタル海峡までをパトロールしている。

 地中海会を横断するこの航路は中国にとって、ヨーロッパ、イギリス、

スカンジナビア向けの製品を輸出するためにも、原料や農産物を輸入するためにも

特に重要な通商路である。

 一方、インド洋の中央部にディエゴガルシア島と言う、足跡のような形をした

広さ44平方キロメートルの珊瑚礁環礁がある。

赤道直下に位置するこの島は、アメリカの最も重要な戦略拠点の1つである。

 アメリカ軍のグローバルポジショニングシステム(GPS)の地上局がある。

 長距離爆撃機の重要な発着場でもあり、アフガニスタン戦争やイラク戦争の際に

使用された。

 この基地からB-2ステルス爆撃機が出撃すれば、中国の主要都市すべてに

容易に到達することができる。 

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【米中もし戦わば】006-2禁輸措置はアメリカの歴史的お家芸

しかし、中国共産党指導部の集合意識に深く刻み込まれているアメリカの禁輸措置は、

この対日政策だけではない。

1950年、中国が北朝鮮側に立って朝鮮戦争に参加した時、

ハリートルーマン大統領が中国に対して全面的に禁輸措置をとった。

 この制裁措置は、1971年にリチャードニクソン大統領の「ピンポン外交」によって

解除されるまで20年以上にわたって続き、中国にかなりのダメージを与えた。

 その後も、アメリカは、ならず者国家と認定した国(キューバ、イラン、リビア、

ミャンマー、北朝鮮、シリア、スーダンなど。

 いずれも、中国を友好国ないし同盟国とみなしている国々)に対して

躊躇なく経済制裁を行ってきた。

クリミア半島併合やウクライナへの信仰を理由とする、

様々な対露制裁措置も忘れてはならないつまり、禁輸や経済制裁は

アメリカの歴史的お家芸だと言うことである。

 現在もアメリカから輸出禁止措置を課されている中国は、この歴史と、

アメリカのやり方を充分に承知している。

 中国を不安にさせているものは、アメリカが過去にやってきたことだけではない。

 アメリカの手強い海軍力も、中国にとっては心配の種である

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【米中もし戦わば】006-1第4章禁輸措置大国アメリカ

問題

中国がアメリカやその同盟諸国による石油金融措置を恐れる必要は本当にあるか?

①ある

②ない

驚くかもしれないが、この問題の正解は、はっきりと「ある」である。

アメリカの過去に行ってきた禁輸措置の歴史、アメリカ海軍現在の能力を、

「中国有事」の際に実行すると表明しているアメリカの戦略的意図を冷静に分析すれば、

そういう判断になる。

歴史的に見ると、現代史上最初に石油禁輸を実行した国は、

大方のアメリカ人の予想に反して、アラブ諸国の対米原油金融措置(1973 ~74年)の

音頭を取ったサウジアラビアではなく、1941年に大日本帝国への禁輸措置を取った

アメリカである。

 (少なくとも本書の文脈上)と言うことに、この禁輸措置の目的は、

ほかならぬ中国から日本軍を撤退させることだった。

 石油、ガソリン及びその他の重要な資源の対日禁輸措置は、

石油需要の80%をアメリカに依存していた日本に大打撃を与えた

(併せて、日本の船舶に対するパナマ運河の閉鎖及びアメリカにおける

日本の資産の凍結も行われた)。

 この禁輸措置は、それが世界史上最も悪名高い先制攻撃につながっただけに

歴史的な教訓を含んでいる。

 日本軍による真珠湾奇襲攻撃は、禁輸措置開始からわずか4ヶ月後のことだったのである。 

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【米中もし戦わば】005-3封鎖されれば中国経済は壊滅

しかし、中国の抱える海上交通路のジレンマは、交通量が多く、

しかも容易に封鎖され得るマラッカ海峡だけではなく、

世界一の原料消費国である中国は、石油の他にも、アフリカや南米など遠方の大陸から

アルミナ、セメント、土、木材、ニッケル、鉄鉱石など膨大な量の資源を輸入している。

 中国がチリから輸入する年間何百万トンもの銅を例に考えてみよう。

 中国は、世界の年間生産量のほぼ半分にあたる銅を消費している。

 この重要な工業用金属を15,000海里(約28,000キロ)を66日間かけて航海する間に、

まず南米のホーン岬を回り、それからアフリカの喜望峰を通過してインド洋に入り、

最後にインドネシアの南岸を回らなければならない。

もちろん、輸出に大きく依存した経済を成長させるためには、

中国は年間2兆ドル以上の製品をヨーロッパやアメリカ等の大市場や、

ラテンアメリカ、アジア諸国など比較的小規模な市場へ輸出しなければならない

(中国のGDPの50%以上を貿易関連が占めている)。

 こうした「メイドインチャイナ」製品の80%以上が海上輸送されている。

輸出品を積んだコンテナ船は、マラッカ海峡ジブラルタル海峡といった

チョークポイントを通過しなければならない。

 貿易の途絶による深刻なダメージへの懸念から、「敵対的な外国に封鎖され、経済的、

政治的、軍事的な圧力をかけられるのでは」と言う根深い恐怖心が生まれる。

 そうした海上封鎖を行う恐れがあるとして中国が懸念している外国とは、

世界規模の軍事能力を持つ国、つまりアメリカ合衆国ただ1つである。

 次章で、中国のこの深い根深い恐怖心が正当なものなのか、

あるいは独裁国家が被害妄想に過ぎないのかを検証する。

これはわれわれ推理作業にとって重大な問題である。

 なぜなら、「中国に対して封鎖戦略を取る意思とその能力を持った国が存在する」と

中国共産党指導部が本当に信じているとすれば、彼らがそのような封鎖を、

ひいてはアメリカ海軍そのものを打ち破るだけの軍事力を構築しようとするのも、

(少なくとも彼の側から見れば)至極もっともだと言うことになるからである。 

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【米中もし戦わば】005-2中国が輸入する石油の70%はマラッカ海峡を通る

重商主義的国家資本主義への大躍進の結果、中国は驚くべき経済成長を遂げた。

 30年間、中国の経済成長は毎年10%に迫る勢いだった。

 それは、歴史上最も印象的な経済発展だった。

 数十年にわたるこの経済成長によって、中国は世界の工場へと変貌を遂げ、

2014年にはアメリカを抜いて世界一の経済大国になった。

急速な工業化と輸出依存経営によって、中国は海上輸送に大きく依存することにもなった。

世界最大の工業生産国となった中国は、世界最大の石油輸入国にもなった。

 現在、中国は輸入する石油の70% (中国のエネルギー需要の半分近く)は、

アフリカまたはペルシャ湾から、世界で最も悪名を高い海のチョークポイント、

マラッカ海峡を通って中国に運ばれている。

 マレー半島とインドネシアのスマトラ島の間に位置するマラッカ海峡は、

インド洋と南シナ海を結ぶ全長800キロの海峡である。

 幅は非常に狭く、水深は比較的浅い。

 海賊の跋扈する、アジアへのこの狭くて危険な入り口を、年間6万隻以上の船舶が

中国向け(および日本、韓国向け)の石油だけではなく世界貿易で流通するおよそ3分の1の

物資を積んで通過している。

 通行量はパナマ運河の3倍近く、スエズ運河の2倍以上に上る。

 もちろん、中国は「マラッカジレンマ」を痛感している。

実際、2003年11月、胡錦濤国家首席は「特定の大国」が中国に不利益をもたらそうとして、

海峡をコントロールしようとしていると非難し、中国を外国の支配から守るための

新戦略を策定するよう人民解放軍に要請した。

米中関係の専門家やイアンストーレイによれば、「それ以来、中国の新聞は「

マラッカジレンマ」にかなりの注意を払っている。

 ある新聞は、「どこの国であれ、マラッカ海峡をコントロールする国は

中国のエネルギー供給の喉元を抑えているのと同じだ、と言うのは決して誇張ではない」

と強い調子で述べている」。 

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