欧米と日本を比較すると、欧米のフィンテックは実装段階であり、
日本のそれは実証実験段階にとどまっているというのが現状です。
欧米、特に米国でのフィンテック普及には、特別の理由がありました。
米国のフィンテック企業は、2008年のリーマンショックに端を発した
金融危機で銀行リストラされ、銀行に反発を抱く人々が担っているケースが少なくありません。
米国社会にはリーマンショックの際、大手銀行が公的資金で救済されたことへの
強い反発が広まり、それが、フィンテック企業のサービスを歓迎する
素地となったことも、フィンテックの普及を後押しました。
こうした事情から、米国のフィンテック企業が当初は銀行と敵対関係にありました。
先に紹介したJ.P. モルガンのダイモンCEOの言葉は、そうした文脈で飛び出してきたものです。
敵対的なオリンピック企業に対抗するため、米国の銀行はフィンテックを
業務に取り込むことに力を注ぎました。
新興のフィンテック企業と伝統的な銀行の両者が熾烈な競争を繰り広げる中で、
フィンテックは発展していきました。
今日、米国のフィンテックは、フィンテック企業による旧システムの破壊の時期から、
フィンテック企業と銀行の競合の時期を経て、時に両者の協調も見られるステージへ
向かおうとしています。
日本と欧米を比較すると、フィンテックに対する金融機関経営者の意識の違いも際立ちます。
ウォール街を代表する投資銀行のゴールドマンサックスや
ドイツのトップバンクであるドイツ銀行は、自らをテクノロジー企業と呼んでいます。
ゴールドマンでは2000年には600人いた大口顧客向け株式トレーダーが、
2017年にはわずか2人まで減っています。
トレーダーの業務は、もとの3分の1の200人のエンジニアが管理する
自動トレーディングプログラムに代替されてしまったのです。
欧米の金融機関は、技術者の採用の面でもフィンティック企業と熾烈な人材獲得競争を
繰り広げる、戦略的投資を拡大しています。
同時に、外部技術を積極的に取り入れるオープンイノベーションの推進にも積極的です。
特に米国の銀行は、自らフィンテックを開発し使いこなすことで、
その次にも短期間で収益化することに成功しました。
そうした動きの背景には、銀行業務をどう捉えるかと言う意識の違いもあります。
日本では銀行の3大業務は預金、貸出、決済とされています。
特に、江戸時代の両替商から出発したと言う歴史的背景があるため、
決済業務を銀行の牙城とする意識が官民ともに強く、そうした考え方が
他業種から決済業参入を阻んできました。
一方、例えば米国では、銀行業務の中心は預金貸し出しと言う意識が強いようです。
米国のフィンテック企業は金融機関の決算業務に食い込むことで発展してきましたが、
それができたのは、米国の銀行に決済業務への強いこだわりがなかったことも
関係していると思われます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー