中国については、何が変わり、何が変わらなかったのか。
天安門事件から30年が経った今、改めて振り返っておこう。
1989年6月4日、北京にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生、
一般市民のデモ隊を、中国人民解放軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した。
これが天安門事件だ。
西側諸国は厳しく非難し、各種の制裁措置を打ち出した。
日本も対中円借款の停止などを行った。
ただし欧米諸国と異なり、日本は中国の国際的な孤立を懸念して1990年4月、
体中円借款の再開と方向転換した。
そうした中、筆者は1994年に公務で北京を訪問した。
当時はまだ上海も開発が進んでいなかったが、日本の円借款により大きく発展する事は見受けられた。
この30年間で変わったのは、経済の規模だ。
国内総生産(GDP、名目ドルベース)を見ても30倍、年率12%の成長だ。
中国は1970年代末から、経済の改革開放路線として外資の導入を開始した。
そのおかげで、30年以上にわたり急速な経済成長を遂げてきた。
その結果、中国のGDPは2000年代後半に欧州主要国を、2010年には日本も抜き、
米国に次ぐ世界第二位の経済規模へと成長した。
一方で、30年間で変わらなかったのは政治だ。
中国共産党の一党独裁には全く変化がないため、民主化が進まないことも変わらない。
経済で外資を導入しても、中国企業との合弁企業だから、外資は単に資金提供するだけ。
中国国内の企業の支配権を握る事はありえない。
しかも、外資が参加する合弁企業にも中国共産党の指導方針は及ぶ。
何しろ中国では憲法より上位に共産党が存在するからだ。
政治的な自由、民主化がないと経済的な自由が確保されず、
長期的に経済成長ができないというのが社会科学の一般原理だ。
体制間競争の結果、共産主義の旧ソ連が崩壊し、資本主義が勝利したことが有力な事例だ。
逆に経済成長していけば、人々は民主化を志向していくものだと漠然と信じられていた。
ところが中国は成長しても一向に民主化の兆しが見られない。
天安門事件は同年11月のベルリンの壁崩壊と前後する時期だけに、天安門事件以降、
中国の民主化が進まなかった事は西側諸国にとっての失望でもあった。
もっとも中国は、外資導入や合弁企業による技術、知的財産権を
外国から得ることで経済成長してきたとも言える。
経済成長の最大のエンジンは投資だった。
中国人のGDPに占める総資本形成(設備投資、公共投資、住宅投資など)の割合は5割で、
世界でも突出して高い。
その背景には、一党独裁のもとに外国から技術、知的財産権を盗んできたことにあるというのが
筆者の推測だ。
一党独裁でも今までは成長できたが、決してフェアではないし、ほころびも見え始めてきた。
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