かくして、尖閣諸島に対する「中国の領有権を誇示する」巧妙かつ執拗な
侵出行動が始まりました。
例えば、1978年には150隻の漁船を魚釣島へ集結させ、
尖閣諸島が中国領土であると言う「海上デモ」を行っています。
翌年には、海上保安庁が魚釣島にヘリポートを建設しようとしたところ、
猛然と抗議し、日本は政治的配慮でこれを断念したんです。
もし、まだ中国の力が弱かったこの時点で、ヘリポートができていたら
現在の尖閣諸島問題が大きく違っていたでしょう。
この後、中国が行ってきたのが、前記した「法律戦」です。
すなわち中国は、1992年2月、「中華人民共和国領海及び接続水域法」を制定して、
尖閣諸島を中国領土とする規定し、同年9月、同法に基づいて魚釣島と
その付属島嶼の周辺領海に直線基線が適用されると表明したのです。
そして、2010年、島嶼に対する主権行使を強化するための「海島保護法」を制定しました。
このように、国内法による既成事実をどんどん積み上げてくる中国に対し、
2012年9月10日、民主党(当時)野田政権は、尖閣諸島を民間人から買い上げて
国有にしました。
当然ながら、中国は激怒しました。
日本政府のいわゆる「島購入」は完全に不法かつ無効だと言明したのです。
さらに、中国国務院新聞弁公室は、白書「釣魚島は中国固有の領土」を発表し、
改めて尖閣諸島に対する中国の領有根拠を、次のように主張したのです。
①尖閣諸島の主島である釣魚島をもっとも早く発見命名して利用したのは中国である。
②明朝初期に東南沿岸の倭寇からの防衛のために釣魚島防御地区に組み入れていた。
③釣魚島は台湾の付属島嶼として中国に変換されるべきである。
④米国が釣魚等の島嶼を琉球とともに日本に変化したのは不法である。
またも、同じ主張の繰り返しです。
ここまで主張するなら、なぜ、1970年代に入るまで1度たりとも尖閣諸島は
中国領だと主張をしなかったのでしょうか?ここに、中国の主張の最大の弱点と
ご都合主義があります。
日本人が尖閣問題を強く意識したのは尖閣諸島を政府が購入する以前の
衝撃的な出来事でしょう。
2010年9月に起こった中国漁船による、いわゆる「巡視船衝突事件」(体当たり)です。
この時、海上保安庁は、船長を公務執行妨害で逮捕して連行しました。
しかし、中国側の公共な抗議に怯えて、当時の民主党政権が今船長を釈放してしまいました。
この事件で明らかになったことが2つあります。
1つは、中国の漁船と言うのは単なる漁船ではなく、「海上民兵」を乗せた
中国の工作船であると言うことです。
海上民兵と言うのは、漁民や民間の船会社の船員などのうち、軍事的な訓練を施され、
必要にをして漁船などで軍の支援活動する者たちを言います。
彼らは業務繁忙期には漁に勤しみ、閑期には国に協力することで政府から
報酬を受け取っているのです。
簡単に言うと、パートタイム軍人です。
民兵が乗った漁船は、艦艇や海警局の巡視船と連絡をとりながら、
尖閣諸島押し寄せているのです。
もう一つ明らかになったことが、実に簡単な事実です。
それは、日本と言う国は、強行に抗議すれば、屈服して要求を飲むと言う実態を
さらけ出したことです。
尖閣諸島国有化から半年後、2013年4月、中国外務省の副報道局長は、
次のような声明を発表しました。
「釣魚島は中国の領土主権に関する問題であり、当然、中国の“革新的利益“に属する」
これは、中国が尖閣諸島を「革新的利益」と位置づけたはじめての出来事です。
中国が革新的利益と言うのは、主に台湾やチベット問題についてです。
つまり、ここは絶対譲らない。
戦争してでも守り抜くと言うことです。
ついに、尖閣諸島はそういう地域になってしまったのです。
おそらく、沖縄もじきに革新利益と言い出すでしょう。
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