「石ノ上にも3年」「愚直に」…私に限らず多くの日本人が好む言葉だと思う。
しかし韓国人は、こうした言葉で表される勤労の姿勢を好まない。
韓国人が好むのは「早く」であり、「要領よく」だ。
大相撲の力士を引退した後、親族を頼りソウルに来て、日本料理店の板長になった在日韓国人がいた。
彼が作る鶏肉団子のちゃんこ鍋は絶品で、私はソウル特派員時代、しょっちゅう飲みに行った。
ソウル五倫の取材弁当も、彼の店に頼んだ。
ある時、板前の白い上着が、彼のだけはつやつやで、
他の韓国人板前が来ているものは全く光沢がないことに気がついた。
「どうして」と尋ねると、彼はわざと大きな声出して説明した。
きっとフラストレーションが溜まっていたのだろう。
「みんな同じ時に買ったんです。
日本から取り寄せたんですよ。
私は説明書にあった通りに、ぬるま湯で手もみ洗いします。
こいつらは、韓国式に煮込んだり、洗濯機にぶち込んだり…で、1年ちょっとで、
この違いになるんです」韓国の伝統的洗濯方法は、棒で叩くか、鍋の中に洗濯物を入れて煮立てる。
多くの場合、洗濯洗濯専用の鍋があるわけではない。
次は料理用の鍋として使われる。
板長は続けた。
「こいつらは本当に、手抜きしか考えない。
必ず下茹でをしろ、潰すだけでなく必ず裏漉しをしろと教えてもヒムドゥロヨで手抜きをして、
似たよなものを作ってはケンチャナヨなんだから」
日本の板前がこんなことをまくし立てたなら、血の雨が降る(現に降ったことがあった)。
が、彼は漢民族であり、しかも巨漢だ。
板前たちは恥ずかしそうに下を向いているだけだった。
元力士の話は、あくまでも料理の手法がテーマだったが
韓国の産業文化の本質を見事についてると思った。
この話に前後して、韓国でものづくりの技術指導に当たって何人かの日本人に会う機会があった。
彼らが異口同音に語ったことがある。
「ここはこうして、仕上げはこういう風にする、といった事は熱心に学ぶ。
しかし、なぜこうするのかについては、全然興味を示さない」なぜ下茹でをするのか、
なぜ裏漉しをするのか…「手順」は覚えても、「なぜ」に関心がないのだ。
その状態で、、手抜きを重ね、似た料理ができれば満足する。
そして、「外国人のまして、日本人の先生なんてもう必要ない」となる。
誠実な技術マニアルも、手順だけ習得すれば、もう不要。
後は手抜きを重ねて、マニュアル通りにしたいよりも、「早く」できたがる劣化コピーの完成で
大満足する。
その製品が技術提供先との協約をすり抜けて第3国に輸出できたなら、
今度は「わが民族の偉大さ」を実感するのだ。
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