韓国の「併合条約不法論」は国際的に通用しない
【侵略・植民地支配を謝罪しろ】 03
日本はハングルを禁止した。
──────────妄言
☑︎日帝はハングルを弾圧して民族の言葉を奪った。
☑︎民族の誇りであるハングルを弾圧した!
☑︎日帝は朝鮮の教育制度を破壊した!
☑︎愚民化政策を進め、朝鮮から教育を奪った!
世宗大王によって制定された偉大な文字「ハングル」を日帝は弾圧し、我々朝鮮人から文字を奪った。
さらに朝鮮の教育制度を解体し、愚民化政策を推し進めた。
わずかに残された学校でもハングルは禁止され日本語が強制された。
朝鮮民族を愚民化・奴隷化しようとしたのだ。
このような世界史上最悪の暴政について、日本人は永遠に謝罪しろ!
──────────真実
ハングルを朝鮮の民衆に広めたのは日本!
☑︎ハングルを愚民文字と蔑んだ朝鮮人
☑︎日本が初めて民衆に学校教育を行った
☑︎愚民化を推し進めた中華礼賛の李朝
ハングルを愚民文字と蔑んだ朝鮮人たち
ハングルとは、15世紀に李朝4代世宗王によって制定された「訓民正音」【※1】で公布された
朝鮮独自の文字である。
しかしながら「訓民正音」の序文に書かれているように
「漢語、漢文が使えない「愚民」のために作られた文字」とされ、「無職の文字」「婦女子の文字」と蔑まれ、
李朝末期に至るまではほとんど普及しなかった。
当時の知識人からも「漢字以外の文字を使うのは蛮族の証」と猛反発を受け、
「諺文」と言う蔑称で呼ばれた。
李朝でのハングルの扱いはひどく、李朝10代燕山君は「諺文教授学習禁止令」を出し、
11代中宗王は「諺文庁」を閉鎖している。
本来「愚民」の識字率を上げるための文字であったが、このような「ハングル弾圧」によってか、
李朝の識字率は著しく低かった。
ハングルは民衆に向けた1部の公布文以外には公文書で使われた事はなく、
科挙【※2】でもハングルは使われることがなかった。
また李朝期の文学作品を見ても、大衆娯楽小説の趣の強い「春香伝」などの1部を除いて、
現在に伝わる古典のほとんどが漢文で書かれている。
日帝が奪ったどころか、もともと朝鮮人自身がハングルを国語として否定してきたのだ。
しかし福沢諭吉提案の挑戦初の漢字交じりハングル新聞「漢城週報」(1886年)の発刊をきっかけに、
朝鮮人の間にハングルの重要性が認識され始めた。
そして併合後、日本は朝鮮で初等教育の普及を行い、全国の学校でハングルが教えられることになった。
世宗によるハングル制定から460年以上を経て、
日本によって初めてハングルは全国に普及することになったのだ。
1911年、朝鮮総督府は「諺文綴字法研究会」を発足させ、「普通学校用諺文綴法」を決定し、
これを教科書として採用している。
併合当時の朝鮮学校で使われていたハングル教科書も残っており、
朝鮮併合期を通じて広く朝鮮人にハングルを広めたのは、日本、朝鮮総督府であることがわかる。
1938年から朝鮮総督府は、学校教育で朝鮮語と日本語の選択を各学校で自由に行えるようにした。
これをもって「日本はハングルを弾圧した」と主張する韓国人は多いが、それは間違っている。
あくまで自由に選択できるようになっただけであり、その選択は各学校長(校長)の判断に委ねられていた。
むしろ朝鮮人校長が日本に事大してなのか、率先して日本語を選択し、
日本人校長の学校では朝鮮語が選択されることが多かったと言う。
日本人校長の方が朝鮮人校長より圧倒的に人数が多く、つまり実態としては、
多くの学校でハングル教育がそのまま続けられたと考えられている。
また、1939年まで朝鮮語の学習を奨励する「挑戦語奨励費」が支出されており、
併合から30年間日本が率先して朝鮮語学習を日本人にも奨励していたのだ。
日本が朝鮮からハングルを奪ったと言うのは明らかな間違いなのである。
──────────注釈
【※1】「訓民正音」
世宗がハングルを公布した書物。
ハングルの当時の呼び名でもある。
漢字の読めない民衆でも読み書きできるように考案した、という趣旨の序文が書かれているが、
この書自体は漢文で書かれている。
【※2】科挙
中国で行われていた官僚登用試験のこと。
儒教的な教養を問うもので、中華帝国の属国であった、儒教国家の李朝でも、
この試験が行われていた。
ただし中国の科挙と違い、受験資格が貴族階級(両班)にしか与えられていなかった。