黒澤映画にみる脚本、シナリオ、筋立ての重要性

黒澤明監督作品この1本

連載8回目にして、ついに黒澤明監督作品である。

だが、誤解しないでいただきたい。

ホイチョイごときが世界の映画史に残る傑作に、論評を加えようとしているのではない。

ただ、普通のおっさんが休日の暇つぶしに黒澤監督の映画を見るとしたら何を見たら良いかを一緒に考える、

それだけのことだ。

黒澤明が障害で監督した映画は30本ある。

この巨大な山脈に登るのは、何か足がかりが必要だ。

かつて松竹に野村芳太郎と言う監督がいた。

山田洋二の上で、「張り込み」や「砂の器」といった数々の傑作をものにした大監督である。

同時に彼は、黒澤が松竹で撮った「スキャンダル」「白痴」で助監督を務め、黒澤明をして「日本一の助監督」

と言わしめた人でもある。

黒澤映画の脚本をを7本手がけた脚本家、橋本が、その著書「複眼の映像」の中で

野村芳太郎からこんなこと言われた、と言う話を書いている。

「黒沢さんにとって、橋本は会ってはいけない男だったんです。

そんな男に会い、「羅生門」なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから

…映画にとって無縁な、思想とか哲学社会性まで作品に持ち込むことになり、

どれもこれも妙に構え、思い、しんどいものになってしまったんです」

野村監督は1974年、「キネマ旬報」のインタビューでこうも語っている。

「黒澤さんは、何か言ってやろうと言う気持ちの強い時と、見せてやろうと言う気持ちの強い時では、

作品の種類が変わってくるんじゃないでしょうか」

世の中には黒澤作品は難解で面白くないと思い込んでる人がいるが、それは「影武者」「乱」のような、

野村芳太郎の言う「何かってやろう」と言う作品しか見てないからであって、

「何か見せてやろう」といった気持ちで作った作品のほうは、理屈抜きにめったやったら面白いのである。

一覧表にその区別を示したので、まずそれを参考にしていただきたい。

黒澤明は1910年東京生まれ。

8人兄弟の末っ子で、旧制中学を卒業した後、学科を目指して芸大を受験したが、

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黒澤明(1910から98)監督デビュー作の「姿三四郎)が内務省審査で審査官から難癖を付けられた際、

立会人の小津安二郎監督が立ち上がり「100点満点として120点」と言った。

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失敗。 

それでも、18歳で二科展入選したため、画家としての活動を続ける。

明のすぐ上の兄、丙午は、映画の弁士だったが、映画がトーキーに移りつつあった1933年、

ストライキの委員長に担がれ、板挟みになって自殺。

その兄の影響で、10代の頃から映画を見まくっていた明は、1936年、26歳の時PCL (写真科学研究所の略。

今の東宝の前身)の入社試験を受けて合格。

学歴のない黒澤を強くおしたのが、彼の生涯の師だった。

黒沢の「蝦蟇の油」にこんな話が出てくる。

黒澤明の初めて描いた映画のシナリオは、江戸時代の不良グループを描いた藤森成吉原作の

「水野十郎左衛門」だったが、その中に、主人公の水野が江戸城の表に建てられた法令の立て札を見て、

仲間に法令を伝える場面があった。

黒澤が原作の頭に書いたところ、山本は「小説ならいいが、シナリオはこれでは弱すぎる」と言い、

水野が立て札そのものを引っこ抜いて、担いで仲間のところに持っていき、彼らの前にほっぽり出す、

と言う場面に書き換えて見せた。

黒澤はそれを見て山本を生涯の師と定めたと言う。

 ──────────この例えを使って

設計の基本、CADを使うといっても基本は手書きで、その手書きを書くときには

全体像をイメージしながら線を引いていく。

そういう考えがCADにも生かされると思う。

CADの場合は伸長収縮が自在にできるからいきなり書き始めても何ら差し支えないが

全体像をイメージする事はあまり少ない。

だから全体像をイメージしないで書くので仕上がりがとんでもないものになる場合がある。

だからCADを使うといっても最初は手書きで練習をしておかなければならないと思う。

例えば、うまく説明できるかどうかわからないが、客先ですぐにイラスト、

簡単な略図を書く場合にCADを普段使っている人はすぐには書けない。

手書きで簡単に書く練習をしておかないと実践には生かされない。

普段の練習も大事だけど、構想も大事だと言う話。 

──────────続き

山本監督のこの映画表現(漫画もそうだが)の本質を示すものだと思う。

話はそれるが、僕にもサラリーマン時代、H先輩と言う師匠がいた。

H先輩は既婚者だったが、後に女子大生と浮気でエッチをして、深夜に帰宅した。

着替えようとしてパンツを見ると、浮気相手の生理の血がついている。

H先輩は、妻に浮気がバレないよう、こっそり風呂場に行き、パンツを風呂の残り湯で洗った。

だが、血は冷水でないと落ちない。

落ちない、落ちないと一笑懸命一心不乱に洗っているうちに、「この光景、どこかで見たことがあるぞ」

と気づいた。

考えてみたらそれは、「蜘蛛の巣城」で山田五十鈴が「落ちない落ちない」と一心不乱に手を洗う場面であった。

そこで我が師匠は黒澤映画の奥の深さを知り、僕にも見るように勧めた。

山本のような高潔な師匠の下には黒澤明が生まれ、H先輩のようなふざけた師匠の下には、ホイチョイが生まれる。

残念とは思わないが、その違いはあまりにも大きい。

黒澤映画の娯楽映画の特徴は、それまで日本映画ではあり得なかった超ハッタリ。

「姿三四郎」1943では投げ飛ばされた相手が空中を飛行し

「蜘蛛の巣城」では三船敏郎が数え切れないほどの量の矢で射かけられ、

「椿三十郎」(1962年)の最後の決闘場面ではありえない量の血が噴出する。

黒澤明が「何か見せてやろう」と意気込んで作った作品は、

山本の教え通り、簡潔でスピーディーで視覚的な導入が際立っている。

例えば、監督第1作の「姿三四郎」は主人公の柔道家、三四郎が、

後に仇となる修道館の家の正五郎ではなく、闇討ちを企むライバルの門馬三郎の下に入門するところから始まる。

三四郎はその闇討ちに参加し、門馬一味を片っ端から投げ飛ばす矢野の強さを目のあたりにして、

矢野に弟子入りを申し出るのだ。

映画は、開巻わずか数分で、三四郎の心を見極める目のない若さ、矢野の強さ、

矢野と周りの柔術家の対立関係を、観客にわからせてしまう。

「用心棒」は、三船敏郎扮する素浪人が訪れた村が、ヤクザ同士の血で血を洗う抗争の最中にあることを、

犬が人間の手をくわえて歩いてくるワンカットだけでわからせてしまうし、

「生きる」は、ファーストカットで胃のレントゲン写真を見せ、

主人公が癌で余命がいくばくない状況を説明してしまう。

 こうしたスピーディーな導入の決定盤が「椿三十郎」だ。

「椿三十郎」は、加山雄三扮する若侍が、夜、村はずれの社殿の中で、

仲間の侍たちと密談している場面から始まる。

 加山雄三は、藩の汚職を告発する意見書を城代家老の叔父のところに持っていったが、

「危ない危ない」と言われて目の前で意見書を破られた。

次に大目付のところに行ったら、「君たちと一緒に立とう、ついてはみんな集めて話を聞かせてくれ」

と言われた、と言う話をする。

 若侍たちが「大目付の話がわかる」と喜んでいると、社殿の奥で寝ていた素浪人の三船敏郎が起きてきて「

その話、城代家老が善玉で、大目付が悪人じゃないか」と言う。

で気がつくと、

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三船敏郎(1920から97)16本黒沢映画に出演。

黒澤「表現力のスピードが抜群で、他の俳優が10尺かかる芝居を3尺で表現した」と表した。

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黒澤明が生んだパターン。

例えば「姿三四郎」はスポーツ根性物、「7人の侍」はチーム物の走り。

また、「天国と地獄」の捜査官や誘拐電話の逆探知場面は、後の刑事ドラマのスタンダードになった。

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社殿は大目付の手勢に囲まれている。

この出だしは、必ずしも視覚的ではないが、物語のあらすじをわずか5分で説明した上に

いきなりアクションの見せ場になると言う素晴らしい導入だった。

忘れてならないのが脚本作りのシステムだ。

黒澤映画は、30冊中21本が共同脚本による作品である。

脚本家、橋本は、著書の中でそのシステムについて詳しく書いている。

それによると、黒澤映画は、誰か1人が書いた台本ができると、複数の脚本家が旅館に集まって、

台本をもとに同じ場面をヨーイドンで書くのだそうだ。

そして何人かが書いた脚本の中から、最も優れたものを場面ごとにチョイスして1つにつなげるのだ。

司令塔の役割を果たしたのは、黒澤よりも6つ年上で日本一脚本料が高い脚本家と言われた小国で、

この人はみんなが四苦八苦していても自分は一切かかず、のんびり洋書を読んでいたと言う。

だが例えば、黒澤が書いた「生きる」の脚本を一読して、出来事が時系列で語られるのは退屈だから、

主人公をとっとと死なせて途中から通夜での回想にしようと言ったのは彼である。

 黒澤は怒って原稿用紙を40枚位その場で破ったそうだが、結局彼の指示通りに直し、

おかげで「生きる」は傑作になる。

 こうした、常に客観性を持った共同作業で脚本が仕上げられているからこそ、

黒澤映画は世界に通用する作品になっているのだ。

黒澤映画を先輩から勧められた小学館の若い編集者が「7人の侍」を見ようとして、

役者が何を言ってるかわからず、挫折したと言う話を聞いたことがある。

確かに、今見られる黒澤映画は、デジタルで修復されていても、音声は劣悪のままで、

セリフが聞き取れない作品が多い。

録音が格段に良くなるのは、画面もシネススコープ化された1958年の「隠し砦の3悪人」からで、

それ以前の作品は、字幕を出さないと話がわからない。

したがって、ここでもお勧めするのは1958年以降の作品になる。

 かつてリリー、フランキーは、「どですかでん」(1970年)が1番好き、と書いていたが

(黒澤映画これ以前は白黒で、これが初のカラー作品だ。色が素晴らしい)

この作品をベストと言うのはよほどセンスのいい人なので、参考にならない。

我々が見るなら、「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」が60年代初期の3本に尽きる。

中でも初心者が最もとっつきやすいのは、話題の要素が強い「椿三十郎」だ。

三船敏郎のかっこよさも。

 この映画の三船敏郎に来れない人は、映画の面白さとは無縁の人だ。

映画以外に時間を使ったほうがいいと思う。

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今流行のYouTubeの動画であっても、ちゃんと脚本を書いてから動画の編集をしないと

見ていても画像の上手い下手きれいまずい話あったとしてもストーリーが面白くないと見ていてもつまらない。

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