【変見自在】31太郎は逃げた

この文章が好きで週刊新潮を買っている。

同紙の文章を読んで音声変換で文字起こしをして少し手直しをしてからアップロード。

以前より実に簡単になったものと感心する。MacOSも捨てたものじゃない。

──────────週刊新潮変幻自在

太郎は逃げた。

津川雅彦氏から電話があった。産経新聞でコラムを書いていた頃の話で、面識はなかった。

俳優にならないかと言う誘いかと思ったら全く違った。

中東の話だったか、教えて欲しいと言う。場所は神楽坂。

小粋な店でひとときを持ったが、驚いたことに私は酒を一擲もやらない。下戸だった。

それで酒席を用意する。心配りに頭が下がる思いだった。

億劫を知らない人でもあった。

屋久島の杉の木立が体に良かったと別の席で話ししたら翌週にはもう屋久島を訪ねていた。

こちらがたどり着けなかった縄文杉にも触った、不調も治ったと報告があった。

そんな付き合いがあって最後の最後に、先だった夫人朝丘雪路との合同お別れ会の知らせがあった。

昨年11月のことだった。

会場には見たことのある男優や女優がそれぞれ綺羅星のように並んでいた。

水谷豊と反町隆史の「相棒」が最前列にいて隣に岩下志麻がいて、すこし後に上川隆也がいた。

安倍晋三が挨拶した。映画人は左でなくっちゃと言う風潮を嗤う個人との付き合いを語った。

それぞれが会場をさざめかせる別れの言葉を語ったが、

そのどれもが一人娘で喪主の加藤真由子の言葉にはかなわなかった。

彼女は生後5ヶ月の時に誘拐された。

当時、社会部の遊軍にいたから事件の事はよく覚えている。

犯人は千葉の男で第一勧銀の彼の口座に「身代金500万円を振り込め」と要求してきた。

当時、口座は偽名でも開設できた。

おまけに端末を特定するオンライン化はされていなかった。

犯人は好きに身代金を引き出せた。

しかし第一勧銀のシステムエンジニアは日本人だった。

端末を親コンピュータにつなぐ作業を徹夜でやってのけ、翌日の開店時間に間に合わせた。

犯人がどこで引き出そうが即座に場所を特定できた。

そして翌日正午、東京駅で金を引き出そうとした犯人は捕まり、彼女は無事保護された。

あの時の赤ちゃんが今マイクの前に立っている。

彼女はまず母の思い出を語った。

2人で三越の屋上に行った時に、母は自販機に向かって「朝丘です」と言った。

「ジュースを2本ください」と。

お金を入れた方がと6歳の娘が忠告しても「大丈夫よ」「朝丘です」を繰り返した。

「最後まで天然のままのかわいい母でした」この話はテレビでも流されたが、

続いて語った津川雅彦の話はなぜかどこも流さなかった。

あの3·11の混乱の中で、福島の原発1号機の爆発が報じられた。

東京に死の灰が降ってくる風のデマが飛び交う中で父から電話があった。

誘拐事件もあった。ずっと大事にされ、甘やかされてきた。

だからそんな危ない状況を心配してのことかと思って思ったら大間違いだった。

「みんな東京から逃げている。しかしお前は日本人だ。逃げようなんて思うな。

 そこにいて日本人らしく死ね」未曾有の惨事だ。

それでも、東電職員も消防署員も命を張って惨事の拡大を食い止めようとしている。

どんな天変地異にも日本人は見えなかった。

みんなで助け合い、支えやって生きてきた。

そういう日本人らしく「振る舞え」と父は言った。

あの時、いの一番に現場から逃げたのは当の欠陥原子炉を作った米GEの社員だった。

一目散に大阪に向かい、飛行機に飛び乗って米国にまで逃げ帰った。

日本人でも逃げたものがいた。山本太郎だ。

彼も大阪に逃げた。

それでも足りずに「フィリピンに逃げる算段をしている」とツイートしている。

騒ぎが収まると売れない俳優は反原発を叫んで政界に乗り出してきた。

今は消費税ゼロの良い日本を実現すると公約する。

でも彼はその日本はかつてあっさり見捨て逃げていったではないか。

言い忘れたが津川雅彦氏は我先に逃げる者を1番嫌っていた。

 

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