ジャック、ウェルチは、1981年アメリカのゼネラルエレクトリック(GE)
会長兼最高経営責任者(CEO)に就任、2001年までに20年間の在任中に
株式時価総額を30倍以上にし「20世紀最高の経営者」と絶賛された。
「選択と集中」を掲げて、世界で+1位か2位になれる事業に経営資源を集中した。
製造以外に、高い収益が見込めると判断して金融事業を強化する。
日本では90年代半ばから注目された。
「日本の経営者にインタビューすると必ず選択と集中という言葉が出てきた時期があった。
経営の神様と言えば以前はピータードラッカー氏でしたが、今度はウェルチ氏を手本にしようとした。
氏は利益が出ている事業でも、圧倒的な競争力がなければ長期的には困難に陥る恐れがあると、
売却や撤退をした。
伝統的な部門にも容赦ない。
日本ではその考えに納得しても簡単には実行できなかった」(ジャーナリストの小宮和行氏)
会長兼CEOに就任後、約5年間で社員の4分の一にあたる11万人2余りを事業売却や解雇で削減した。
社員をトップ20%、ミドル70%、ボトム20%に選別、ボトムを解雇していく。
他の仕事を早く探した方が良いと告げるのは残酷ではなくむしろ温情と考え、
優秀な人材は他社に引き抜かれないよう厚遇した。
「日本では人員整理は万策尽きた最後の手段で、社員に問題があれば
叱咤激励して引き上げようとする。
ウエルチ氏は、より強い企業になるため平時でも解雇を行い、
社内に競争意識や緊張感を持たせました」(財界主幹の村田博文氏)
35年、マサチューセッツ州生まれ。
アイルランド系移民の一家で、父親は鉄道の車掌。
マサチューセッツ大学に進み化学を専攻。
親族ではじめての大学進学だった。
成績優秀でイリノイ大学大学院で化学工学の博士号を取得、60年にGEに入社する。
プラスチック部門に配属、会社の官僚的な体質に異議を唱え、衝突も起こした。
それでも精進を重ね、81年に史上最年少の45歳で会長兼CEOに就任する。
「何を売りたいかではなく、顧客が何を求めるているかを1番重視した」(村田氏)
現場を抜き打ちで訪問し、具体的かつ率直に話す。
社員に手書きメモをファックスで送り、驚かせるなど、意欲を引き出すのもうまい。
せっかちで負けず嫌い。
競合他社を潰しにかかる獰猛さや、社員に過大な目標設定させ立ち向かわせて成長を促す
荒々しさがあった。
成功したらささやかでも祝って勝利の味を覚えることを勧めた。
人使いの達人との声がある。
「アメリカで大きな発言力、発信力があった経営者です。
節税に気を配る細やかさも持ち合わせていた」(共同通信のニューヨーク、ワシントン両支局で活躍した榛名幹男氏)
惜しまれつつ2001年に65歳で勇退。
直後に起きた同時多発テロの影響でGEは業績が悪化。
さらに0 8年のリーマンショックで金融事業が大打撃を受けた。
「ウェルチ氏が製造業から金融事業に傾倒、株価上昇こそ成功の指標だと経営が変質してしまった」
(経営評論家の高木敏行氏)経営が揺らぐ前に退任したウエルチ氏だったが、
引退後に取材に来た経営誌の編集長と恋仲に。
相手は24歳年下。
妻が起こした離婚訴訟で、タイミングも家賃や車、社有機の使用料等年間200万ドル以上を
会社に負担させていたことが明るみに出た。
違法ではないが行き過ぎと批判され、特別待遇ムを返上している。
3度目の結婚は、04年に成就。
経営に関する書籍を共著したりと仲睦まじく、講演も評判だった。
3月1日、腎不全のため、84歳で逝去。
仕事以外のことをしたい人がいるなんて、私の頭には思い浮かばなかった。
と著書で素直に振り返っている。