「マッカーサーの告白」という名前の文章や動画を見たことがあるかたもいると思います。
私も、その文章を引用して動画を作成したことがありますが、
どうもおかしいと思ったので削除しました。
複数のかたが論拠を上げて、「マッカーサーの告白」は間違いだと言うのです。
私は、この動画を作成するにあたって「マッカーサーの告白」が正しいものなのかどうかを
検証してみました。
結論は「正しい内容」であるが「本人が言ったこととは違う」というのが結論です。
誰でもが自信を持って主張できるよう、まとめます。
「マッカーサーの告白」は東京裁判のパール判事、ローガン弁護人、ブレークニー弁護人等の発言と
マッカーサーの証言が混ざっていると言う検証結果に至りました。
「内容は正しい」というのは、パール判事と両弁護人の主張をマッカーサーが認め
アメリカ乗員の軍事外交合同委員会で証言した体と言うのが合理的な判断です。
なぜなら、パール判事と両弁護人等の主張を引用したのがマッカーサーの証言だったからです。
因みに、この両弁護人はマッカーサー自身がアメリカから呼んだ弁護人ですし、
パール判事は判事団の中でただ一人国際法を理解していた人物です。
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ローガン弁護人の発言
投稿裁判でローガン弁護人は徹底してアメリカの戦争責任を追及した。
昭和23年(1948)3月10日の最終弁論において、連合国側、得にアメリカがいかに経済的•
軍事的に日本を追い込んだのかを論証した彼は、大東亜戦争が連合国の不当な挑発によって
引き起こされたのであるとし、以下のように法定で訴えた。
「日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは、実に歴史に一汚点を残すものである」
ローガンはまた、東京を去る時に日本の全被告に対して次のように挨拶した。
「私は最初日本に着いた時には、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、
後悔しないでもなかった。
しかるにその後、種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆で
あって、日本には20年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。
従って起訴事実は当然、全部無罪である。」
パール判事の判決文と発言
「ハル•ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも、
矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」
「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕まえて、自分達に対して戦争をしたことは犯罪であると称し、
彼らを処刑しようとするのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」
「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為である」
「ただ勝者であると言う理由だけで、敗者をさばくことはできない」
「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊と言うものが、未だに戦争において違法であるならば、
大東亜戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝
(無差別殺人の)指令、及び第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである」
「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面をはぎ取ったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを
要求するであろう。」
ウェーク島でのマッカーサー発言
1950年10月15日
1950年に勃発した朝鮮戦争で、一時は殆ど朝鮮半島から追い落とされる寸前まで追いつめられた国連軍は、
仁川に逆上陸して攻勢に転じ、満州の国境近くまで進んだ。
ダグラスマッカーサーにとっては一番気分のいいちょうどそのとき(1950年10月15日)、に、
ウェーキー島でハリー•トルーマンとマッカーサーの会談が行われた。
そこでマッカーサーは興味深い発言をした。
階段に同席したハリマンが朝鮮戦争の戦争犯罪にについて聞くと、マッカーサーは以下のように述べた。
「戦争犯罪人などに手を出しては行けない。うまくいくものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は、
戦争の抑止にはならなかった」
つまりマッカーサーは「東京裁判は誤りだった」との告白を行ったのだ。
マッカーサーは当初、「真珠湾に対する”騙し討ち”だけを裁く裁判を望んでいたのだが、ドイツで
ニュルンベルク裁判がはじまってしまったので、日本に対してもやむなく同様の裁判を
行わなければならなくなった」と語っていた。
朝鮮戦争を戦ってみると、がぜん、日本側の言い分が基本的に正しかったことが、
マッカーサーには痛いほどわかった。
東京裁判における日本側の主張の一番重要な部分は、共産主義の脅威である。
満州を守らなければ満州が共産化する。
それから支那も赤化する。支那事変であろうが、満州事変であろうが、その背後にはコミンテルンが
働いていたと東条英機は主張した。
日本の「A級戦犯」を処刑して二年後、まさにそのとおりになった。。
支那全土は満州も含めて共産主義になってしまったのである。
そのときはじめて、アメリカは事態の重大さに気づいた。それで東京裁判宣言の舌の根も乾かないうちに、
日本との講和条約を結ぶべく動く事になる。
翌年マッカーサーは日本の戦争が侵略でなく、自衛戦争であったことを認める。
1951年4月11日、びっくりするようなニュースが流れました。
アメリカ大統領•トルーマンがマッカーサーを解任したのです。
まだ朝鮮戦争が途中だと言うのに。
ところがマッカーサーはすぐにこの解任を受け入れ、わずか5日後に日本を離れて、
家族とともにアメリカに帰りました。日本千両連合国最高司令官の後任には、
リッジウエイ中将が任命され、大将に昇任しました。
マッカーサー解任の理由は、公に報道されませんでした。
元々マッカーサーは、アメリカの民主党の方針とそりが合わなかったようです。
しかしマッカーサーは対日戦争でアメリカに勝利をもたらした英雄とされ、
トルーマンもよほどの理由が無ければマッカーサーを更迭することが出来ないのだ、
と言われていました。
それをあえて解任したのは、マッカーサーが中華人民共和国の領土となった旧満州を爆撃し、
場合によっては核攻撃も辞さない、との構えを見せたからだと言われます。
(中華人民共和国は1949年10月1日建国)
「旧満州には日本が建設した工業施設•軍事施設や武器弾薬が多く残されていて、
それらが中国軍利用されている、それをたたき潰さなければ」
というのがマッカーサーの意見でした。しかし、その作戦は、中国との全面戦争に発展しかねない、
とトルーマンは危惧(きぐ)したようです。
マッカーサーはアメリカに帰国後すぐ、4月19日にワシントン上下両院合同会議で、
有名な退任演説をしました。そのなかの、
「Old solders never die , they just fade away(老兵は死なずただ消え去るのみ)」
がよく知られています。
ただ、これはマッカーサーの造語ではなく、アメリカ陸軍の古い兵隊ソングからの引用でした。
自分の解任に対しての、痛烈な皮肉も込めていたのでしょう。
マッカーサーは、戦時中と敗戦直後は、日本人から見て「憎っくき敵軍の総大将」でしたが、
戦後六年に渡る占領中に、次第に日本人の信頼を得て、離日の時には、
沿道に20万人の群衆が詰めかけて、別れを惜しみました。
敗戦後の六年間、彼は事実上の日本の統治者でした。
アメリカ合衆国議会上院軍事外交委員会での証言
1951年5月3日
米上院軍事外交委員会におけるマッカーサ証言
<ヒッケンルーパー上院議員>
では五番目の質問です。
中共(原語は赤化支那)に対し海と空から封鎖してしまえと言う貴官の提案は、
アメリカが太平洋戦争において日本に対する勝利を収めた際の
それと同じ戦略なのではありませんか。
<マッカーサー>
そのとおりです。
太平洋において我々は彼らを迂回しました。
我々は包囲したのです。日本は八千万に近い厖大な人口を抱え、それが四つの島の中ににひしめいている
のだということを理解していただかなければなりません。
その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上どの時点においてか、日本の労働者は、人間が怠けている時よりも、働き、
生産している時のほうが幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。
これほど巨大な労働能力を持っていると言うことは、彼らには何か働くための材料が必要だと言うことを意味します。
彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、
石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。
そのほか実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを
彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。
安全保障と自衛は私は同じだと考えます。一応英文科卒です。
セキュリティーソフトを自衛ソフトと訳すか安全保障ソフトと訳すか=アホらしい!でしょ?
日本語と英語は違うのですよ。どっちの意味もあるのがセキュリティーです。
日本語より英語のほうが語彙が少ないのです。
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なぜ、日本人がマッカーサーを好きになったのか現在の人はあまり理解できないでしょう?
この方を処刑しないどころか、敬愛の対象としたからに決まっているでしょう