【月間成績】2019/09月の成績
紆余曲折ありましたが、今月の成績はパッとしないものでしたが、
あまり大損をせずに済んだのはちょっとマシだったなという気になりました。
自分の勝ちパターンはわかりませんが負けパターンはわかったなというところです。(^◇^;)
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紆余曲折ありましたが、今月の成績はパッとしないものでしたが、
あまり大損をせずに済んだのはちょっとマシだったなという気になりました。
自分の勝ちパターンはわかりませんが負けパターンはわかったなというところです。(^◇^;)
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反日韓国人撃退マニアル
【韓日友好のために韓国の言うことを聞け】 27
日本海の海洋資源は韓国のものだ
──────────妄言
東海は韓国の海だ!
海洋資源はすべて韓国のものである!
☑︎韓国近海は豊かな海洋資源に溢れている!
☑︎善良なる韓国漁民に襲いかかる日本海上保安庁!
☑︎韓国の尽力で東海は美しく保たれている!
韓国の海である東海(日本海)で平和に操業する韓国漁民に、血に飢えた日本海上保安庁が襲い掛かった。
誇らしき韓国海上警察は韓国漁民を守る義務を果たし、日本による嫌がらせの捜査を退けたのである。
韓国人は環境問題についても意識が高く、韓国近海は美しく保たれている。
大量のゴミが漂着している日本海沿岸とは比べものにならないのだ。
──────────真実
違法操業で魚を盗み
違法投棄で海を汚す
韓国は最低国家だ
☑︎深刻な海洋汚染で韓国近海の漁獲量が激減
☑︎日本側EEZで違法操業を繰り返す韓国漁民
☑︎日本海沿岸を埋め尽くす韓国からの漂着ゴミ
日本海を荒しまわる韓国の犯罪漁民
朝鮮半島近辺を撮った衛星写真を見れば、日本近海と韓国近海で海の色が違うことに気がつくだろう。
近年の韓国漁船による違法操業は、韓国近海の海洋汚染により漁獲高が年々減り続けていることによるものである。
韓国近海がここまで汚染されているのにはいくつかの理由がある。
その理由の1つがはげ山からの土砂流出である。
植林と言う概念がなかった李朝時代にはげ山になっていた朝鮮の山々は、
併合の後に朝鮮総督府の植林事業によって緑が戻った。
しかし日本が半島から引き上げると韓国人たちは乱伐を繰り返し、多くの山をハゲ山もしくはそれに近い状態にしてしまった。
そのため、山に保水力がなくなり雨が降ればそのまま山の土砂とともに川に流れ、
そしてその土砂がそのまま海へと運ばれているのだ。
さらに、環境保全と言う概念がいまだに浸透していない韓国では
下水汚泥や工場排水の海への垂れ流しが続いており、これもまた海洋汚染の要因となっている。
その下水汚泥の流出についての調査では日本の0.2% (
2007年から日本は下水汚泥の海洋投棄を禁止している)に対して、
韓国はなんと70%が海洋投棄されていたことを事実が判明している。
これでは韓国近海の汚染が進むのは当たり前と言えるだろう。
こうした深刻な海洋汚染によって韓国では年々漁獲量が減少しているのである。
その結果、韓国近海の海洋汚染が深刻化するのに比例して、
日本側EEZ【※1】内での韓国漁民による侵犯事件、違法操業が急増しているのである。
「自分たちが汚した海で魚が取れなくなったから、日本の海で魚をとってしまえ」と言う
泥棒的短絡思考そのもので、韓国の犯罪漁民たちは違法操業を承知の上で
日本側EEZ内に侵入して魚を根こそぎもっていくのである。
!!深刻な海洋汚染で韓国近海の漁獲量が激減
韓国の違法バイかごの量は富士山20個分
また、日本側EEZ内に韓国の漁民が違法業務を仕掛けているケースも多々あると言う。
2008年8月10日付の「日本海新聞」は山口県沖で韓国の漁民が仕掛けた
違法漁具の撤去に苦しむ日本の漁民たちの怒りの声を紹介している。
「日本海の水産資源保護のため、山口県沖で韓国の違法漁具の回収を行っていた
兵庫県但馬港漁協香住本所所属の漁船5隻が、9日香美町香住区若松の香住漁港西港に帰港した。
回収した大量の漁具を前に、漁船員らは「一向になくならない。
韓国漁船とのいたちごっこだ」と憤りをあらわにした」(同新聞記事より抜粋)
また、2000年から2007年までに日本側EEZ内に韓国の漁民たちが仕掛けて押収された
違法刺し網は東京から福岡の2.5往復分にあたる4535キロメートル、
違法バイかごは30万769個とない積み上げた高さは富士山の約20個分になると、
2008年に水産庁が発表している。
こうした中で韓国の犯罪漁民による日本側EEZ側の侵犯、違法操業問題が
大きくクローズアップされたのが、2005年5月31日に起こったEEZ侵犯事件であった。
この事件はまず韓国の漁民が日本側EEZを侵犯し、違法操業をしていることを確認した
海上保安庁の巡視船が現場に急行した。
巡視船から漁船に保安官が乗り移って取り調べを行おうとしたところ、なんと韓国の
犯罪漁民は日本の保安官を漁船に乗せたまま逃走したのである。
その後、犯罪漁船に拉致された保安官は巡視船に戻ることができたが、
違法操業だけでなく、拉致監禁の大罪まで犯した犯罪漁船はその後も遁走を続けた。
対馬沖の公海上でようやく追いついたが、なんと「救援要請」を受けた韓国の海上警察が
海上保安庁の国際海洋法条約に基づく正当な捜査権を妨害し、
犯罪漁民を間に挟んで韓国側と日本側が睨み合うという異常事態が発生したのである。
結局、韓国海上警察の立ち会いのもと、日本の海上保安官たちが簡単な取り調べを行っただけで
彼らを解放し、犯罪の民たちは韓国海上警察の船とともに悠然と韓国へ立ち去ったのである。
これでは日本の漁民たちはたまったものではない。
本来なら自分たちが水揚げするはずの魚を韓国の犯罪漁民たちが底引き網で根こそぎもっていくのである。
せっかく海上保安庁が捕まえた韓国人犯罪漁民についても日本政府が毅然とした対応取れないために、
まともな取り調べも出できずに釈放せざるをえない有様である。
国家ぐるみでEEZ侵犯、違法操業を推奨している節がある韓国のやりたい放題がまかり通り、
日本の漁民たちは死活問題にまで追い込むれているのだ。
!!日本側EEZで違法操業を繰り返す韓国漁民
日本海沿岸を埋め尽くす韓国ゴミ
産業廃棄物などのゴミを日本海に不法投棄する韓国人が後を立たず、
そのゴミが日本海沿岸の各地に漂流し大問題になっている。
特に韓国に最も近い対馬では毎年大量のゴミは韓国から溶着している。
このため、対馬では独自の予算で階段の清掃作業を行っており、
韓国の不法投棄されたゴミを税金とボランティアの善意により処理しているのである。
東京海洋大学の調査では、対馬に漂着した外国からのものと思われるゴミのうち
85%が韓国からのものだった。
北西の季節風が強く吹く冬場に集中して対馬のみならず日本海沿岸各地でこうしたゴミが漂着するのである。
漂着ごみは日本全体では年間約10万トンに上り、約50億円の処理費用がかかっていると試算されている。
その大半が韓国からの漂着ごみであることを知っておく必要があるだろう。
最後に
2008年2月に飛び込んできた驚くべきニュースを紹介しよう。
韓国では700万トンから900万トンのゴミを国策として20年もの間日本海に投棄していたが、
なんとその登記場所の1部に日本側EEZ内が指定されていたと言う事実が明らかになった。
1972年に締結されたロンドン条約によってゴミの海洋投棄は厳しく制限されている。
1993年に韓国も同条約を批准しているにもかかわらず、平気で条約破りをしていたのである。
それも韓国沿岸だけならまだしも、わざわざ日本側EEZ内
までやってきてゴミを不法投棄していたと言うのだ。
現在、日本海を汚染し続けているのは間違いなく韓国である。
日本は彼らの不法行為に対してより一層の厳しい態度で臨まなければ、
いずれ日本海は韓国犯罪漁民の違法操業、乱獲によって水産資源を失い、
代わりに韓国からの下水汚泥と産業廃棄物で埋め尽くされてしまうだろう。
!!韓国政府はゴミの不法投棄場所に日本近海を指定
真実
韓国は密猟や違法投棄で日本海を汚すな
──────────注釈
【※1】
EEZ
排他的経済水行。
経済的な主権が及ぶ水域のこと。
沿岸国は国連海洋法条約に基づいて自国の沿岸から200カイリの範囲内の水産資源及び
鉱物資源等に関する権利を持つことができる。
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全くその通り。
中国人(ほとんどが漢人だけど)の身勝手さに呆れる。
ほんと長いスパンでしっぺ返しを食っている。自国理屈を他国に押し付けるなと言いたい。
変見自在36
地球の敵
湖南省の西はずれ、 ジュコウ(草冠に渋のつくりの旧字)にはかつてフライングタイガーの飛行基地があった。
フランクリン・ルーズベルト(FDR)は自身のニューディール政策が破綻し、
失業率が大恐慌時をしのぐに至った1930年代半ば、米国経済の復活は対日戦争しかないとないと判断した。
そのためにまず支那軍と日本軍を戦わせた。
アパッチにチェロキーを仕掛けたのと同じ手法だ。
これで日本を十分に消耗させる。
ただ日本には優勢な空軍がある。
それは支那人の手に負えないから米空軍力を投入した。
それがフライングタイガーだったと言うわけだ。
1936年1月、米軍需産業屋ウィリアム・ポーレーと米国に招かれた支那空軍幹部、毛邦初が相談して
その隊長にシエンノートを選んだことがFDRの意図をよく表している。
それでジュコウにB25爆撃機も飛び立てる大型飛行場が作られた。
すわ真珠湾の折にはここから日本本土爆撃を考えたが、シエンノートはただのクズの集まり。
何もできずに終わった。
今、ジュコウには事実とは無関係な挿話で彩られたフライングタイガー記念館があって、
ウォルト・ディズニー描く虎のマークをつけたP40が展示されている。
そんなのを見て宿に戻ったらロビーが騒がしい。
客の大男がフロント係の女に怒鳴っている。
後で通訳してもらった話では男が部屋でシャワーを浴びて出てきたらベッドの上に置いた財布がない。
部屋のドアも開いていた。
男はフロントに行きなんとかしろと言い、受付の女は「ドアロックを忘れたあんたが悪い」と指摘した。
で、激昂した男が傍の1人掛けソファーをつかんで頭の上まで持ち上げた。
こちらが戻ってきたのはその時だった。
ソファーはどう見ても80キロありそうだ。
男はそれを女めがけて投げつけた。
ソファーはフロントの上に落ち、片足がもげ、電話機を弾き飛ばして向こう側に転げ落ちた。
女は逃げて無事だった。
支那のホテルの部屋にはA4サイズの不思議な表が置かれている。
茶碗は40元、灰皿は5円、テレビは2000元とかある。
客がそれらを失敬したしたときの罰金かと思った。
表には「バスタブ」もある。
あんなものまで盗んでいく。
さすがは支那人だと妙に感心したものだ。
しかしこの騒ぎを見て、あの表は盗みの罰金ではなくて損壊したときの弁償代だとやっとわかった。
表にはロビーのソファーは無い。
次の改定版には乗るのだろうが、それにしても支那人は何でも壊す。
壊しにかけては他の民族の追随を許さないだろう。
先日、この男を思わせる漁民の群れが「支那のものと言う南沙に出て凄まじい破壊をしている」と
ブルームバーグ通信が伝えた。
ちなみに南沙が革新的支那領と言う根拠は後漢時代の書物に「そう読める一節がある」と言うだけ。
嘘を承知で言い張るのは尖閣と同じにそこに膨大な石油と天然ガスが眠るからだ。
で、彼らは何をしたのか。
南沙、西沙にある浅海に出かけては片っ端から珊瑚礁を壊している。
目的は珊瑚礁の割れ目に棲むシャコガイだ。
紫色の大きな口を開けて、足を挟まれると逃げられず溺れ死ぬとか言う。
あの貝を支那人は富の象徴として好む。
1メートルの大物なら市場で数万ドルの値がつく。
彼らは重機を入れて浅海を掘り回る。
サンゴ礁が一瞬にして魚も寄り付かない死の海と化してしまう。
朝日新聞はかつて「100年育った珊瑚を傷つけたと日本人を腐した。
支那人は「幾万年かけて育ったリーフを墓場にした。
彼らが破壊したリーフは100万平方キロ」(同通信)にもなる。
世田谷区の2倍の面積に相当する。
彼らはサンゴ礁だけでなく秋刀魚も鰻も食い尽そうとしている。
象牙も犀の角も漁り、ために黒犀は絶滅した。
支那人の破壊力は地球に有害この上ない。
朝日も何とか言え。
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気がつくと週刊新潮を買う。この文を読みたいため。
朝鮮通信使の話は対馬の話題とセットになっているので多少は知っていましたが、
これほどの歴史があったとは。
いつになっても挑戦は酷い地域。
地理的に抑える必要があると言っても国民というか人が(・Д・)ヒドイ
やはり非韓三原則と、日本国内にいる人間の排除が必要なのではないかと思う。
変見自在35
たかるだけの国
儒学者、雨森芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」となるか。
若宮とは朝日新聞の主筆だった人。
北京のホテルで変死したことと「いっそ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたこと
で人々の記憶に残っているかもしれない。
とにかくあの国が好きだった。
そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだった。
社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。
その後はもう韓国贔屓のネタばかりを書いた。
1995年には、日本開催が決まっていたサッカーワールドカップを「韓国と共同解開催にせよ」と社説に書いた。
朝日に盲従する宮沢喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。
しかし韓国にワールドカップをやる体力はなかった。
決まってすぐのアジア通貨危機では国全体がデフォルトに陥ってしまった。
若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。
それだけじゃない。
開催直前に9.1テロが起きてそれに伴う不況のさざなみで競技場を建てる鐘も無くなった。
やっぱり開催は無理となったところで、若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。
かくて開催されたものの韓国人のラフプレーと審判買収で「最も汚いワールドカップ」の汚名だけが残った。
若宮は韓国と同じ位女にも入れあげた。
そのスキャンダルを手土産に退社後、念願の韓国の大学の先生に納まった。
変死するまでは良い人生だった。
雨森芳洲は男色系の一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人生の軌跡が似ている。
彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳の時釜山の倭館に派遣されて生の朝鮮を見た。
若宮が金日成にあったのと同じ年頃で、同じようにのめり込んでいった。
その頃の李氏朝鮮は貧困の極みにあった。
だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。
彼らは丸一年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸までかっぱらって行った。
老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減するよう命じた。
ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするよう朝鮮側に求めた。
幇間並みに扱った。
このとき通信使の接待役が芳洲だった。
朝鮮人に生まれたかった、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処置に怒りまくった。
2人の話は本当に厳しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。
最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝えた。
世に言う易地聘礼だ。
二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での質素な供応を最後に二度と来なくなった。
先日の天声人語はこの雨森芳洲を取り上げていた。
今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟みになった」
芳洲が半白なるほど苦労したと書き出す。
いや日本は体面などどうでもいい。
大所帯で押しかけて、接遇に100万両もかかるたかりをやめてくれといっているだけだ。
コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と冗談も理解できない。
ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気になっている。
それに通信使側は集っておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄えるは嘆くべし恨むべし」
(金仁謙「日東壮遊歌」)と感謝の気持ちもない。
デフォルトを救ってやった時と同じだ。
ここは誰もが白石の対応を褒めるだろう。
コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実を持って交わること」という芳洲の言葉で結ぶ。
それは日本が100歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、
金だけ失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。
日本人の読む新聞に載せるのは失礼ってものだ。
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月間成績を久しぶりに更新。
誰しもそうだけど負けているときは更新したくならない。
自分も御多分に洩れず。
このインジケーターは自分が最も信用できる。と思ったのがこけた。
世間ではよくあること。
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久しぶりに週刊文春を買ったので転用。
面白いのはここだけ。
この人の発言は的を得ていると思うので、週刊文春を買った時は楽しみにしている。
──────────飯島勲内閣参与の激辛インテリジェンス287
飯島勲が山本太郎に合流?
政界は小泉進次郎自民党厚生労働部会長の結婚話以外はすっかり夏枯れの状況だな。
そこへ飛び出したのが、野党の立憲民主党と国民民主党の衆参両院での統一会派結成の動きだよ。
参院選もしっかり勝利した「安倍一強」政権に揺さぶりをかけるっていうのが大義名分らしいけどさ。
ほんとなの?と言いたくなるようなピントはずれの話だぜ。
だって統一会派だって、別に野党の総儀席数が増えるわけでも何でもないんだから。
旧民主党が割れたのが、またくっつくみたいな話でしかないじゃん。
どういうメリットがあるのか、さっぱりわからないんだな。
いや、自民党と公明党の連立には意味があるよ。
選挙になれば候補者調整もするし、がっちり選挙協力もしてるしさ。
もちろん、政策には違いあるけど、消費税増税はこうしようとか、
憲法改正はまだ早いんじゃないかとか、
丁々発止の連立与党協議を国民にも見ていただいているよね。
だけど、野党で統一会派と言ったってさ。
そもそも民主党が割れた時に、安全保障政策が違うからといって希望の、
今の国民民主党の連中から「排除」されたのが枝野幸男代表率いる立憲民主党だっただろう。
さっきの参院選でも静岡みたいな2人区で、自民党が1抜け確実なのに、
立憲と国民が共に候補者立てて、骨肉のに争いやってたんだからね。
選挙終わったら仲良く統一会派なんて、共通政策はどうなってるの?どう見たってうまくいくとは思えないな。
衆参両院の副議長は立憲から出てるけど、これだってどうするのかな。
議員への公用車の割り当てとか、常任委員長の配分、各委員会の委員の割り振りとかも
全部変わってきちゃうんじゃないの?
首討論だって、統一会派なら1人しか出て来れないよ。
最初は枝野氏、次は玉木雄一郎国民代表ってローテーションで出てくるなんておかしいよね。
両党が別々の会派に分かれている方が、与党もそれぞれに気を遣って委員長ポスト回したりするものだからさ。
統一会派l組んじゃったら、かえってポスト的にもそんなんじゃないかな。
──────────人寄せパンダは
結局のところ、次の衆院選に向けて定数1の小選挙区が中心だから、
野党としてまとまっていくしかないって行き詰まりの表れだろう。
だったらさっさと元の鞘に収まって政党合併で民主党に戻ればいいんだけど、
実は政策に隔たりがあるってバレちゃってるから、なかなかそうもいかないよ。
要するに既存の野党があまりにもだらしないもんだからさ。
参院選で山本太郎代表が率いるれいわ新選組などが急浮上しちゃったわけよ。
これ、与党から見ても無視できない存在感だよな。
知的障害を持つ兄弟が3人いる俺だってさ。
これが44年前、小泉純一郎議員の秘書になる前だったら、
心意気に感じてれいわに馳せ参じてたかもしれないぜ。
薬害エイズ訴訟の原告で、今は立憲に所属している川田龍平参院議員なども、
れいわへの合流とか考えているんじゃない?
立憲国民もれいわを統一会派に参加させる位の仕掛けがあるなら別だけど、
ただただ山本太郎氏に振り回されて、慌てて統一会派なんて全くの無駄よ。
だって、衆院選なんかしばらくないんだからさ。
次の解散は来年夏の東京5輪、パラリンピックの前か後か、と言う選択肢になるけど、
安倍晋三首相は今急いでいないからね。
本気で国民のための政治を進める覚悟よ。
9月の末内閣改造も、選挙向けの人寄せパンダとか、人気取りの目玉閣僚なんていらないぜ。
──────────飯島勲スペース特命担当内閣参与。
5年後ヶ月続いた小泉政権を政務担当首相秘書官として支える。
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この文章が好きで週刊新潮を買っている。
同紙の文章を読んで音声変換で文字起こしをして少し手直しをしてからアップロード。
以前より実に簡単になったものと感心する。MacOSも捨てたものじゃない。
──────────週刊新潮変幻自在
太郎は逃げた。
津川雅彦氏から電話があった。産経新聞でコラムを書いていた頃の話で、面識はなかった。
俳優にならないかと言う誘いかと思ったら全く違った。
中東の話だったか、教えて欲しいと言う。場所は神楽坂。
小粋な店でひとときを持ったが、驚いたことに私は酒を一擲もやらない。下戸だった。
それで酒席を用意する。心配りに頭が下がる思いだった。
億劫を知らない人でもあった。
屋久島の杉の木立が体に良かったと別の席で話ししたら翌週にはもう屋久島を訪ねていた。
こちらがたどり着けなかった縄文杉にも触った、不調も治ったと報告があった。
そんな付き合いがあって最後の最後に、先だった夫人朝丘雪路との合同お別れ会の知らせがあった。
昨年11月のことだった。
会場には見たことのある男優や女優がそれぞれ綺羅星のように並んでいた。
水谷豊と反町隆史の「相棒」が最前列にいて隣に岩下志麻がいて、すこし後に上川隆也がいた。
安倍晋三が挨拶した。映画人は左でなくっちゃと言う風潮を嗤う個人との付き合いを語った。
それぞれが会場をさざめかせる別れの言葉を語ったが、
そのどれもが一人娘で喪主の加藤真由子の言葉にはかなわなかった。
彼女は生後5ヶ月の時に誘拐された。
当時、社会部の遊軍にいたから事件の事はよく覚えている。
犯人は千葉の男で第一勧銀の彼の口座に「身代金500万円を振り込め」と要求してきた。
当時、口座は偽名でも開設できた。
おまけに端末を特定するオンライン化はされていなかった。
犯人は好きに身代金を引き出せた。
しかし第一勧銀のシステムエンジニアは日本人だった。
端末を親コンピュータにつなぐ作業を徹夜でやってのけ、翌日の開店時間に間に合わせた。
犯人がどこで引き出そうが即座に場所を特定できた。
そして翌日正午、東京駅で金を引き出そうとした犯人は捕まり、彼女は無事保護された。
あの時の赤ちゃんが今マイクの前に立っている。
彼女はまず母の思い出を語った。
2人で三越の屋上に行った時に、母は自販機に向かって「朝丘です」と言った。
「ジュースを2本ください」と。
お金を入れた方がと6歳の娘が忠告しても「大丈夫よ」「朝丘です」を繰り返した。
「最後まで天然のままのかわいい母でした」この話はテレビでも流されたが、
続いて語った津川雅彦の話はなぜかどこも流さなかった。
あの3·11の混乱の中で、福島の原発1号機の爆発が報じられた。
東京に死の灰が降ってくる風のデマが飛び交う中で父から電話があった。
誘拐事件もあった。ずっと大事にされ、甘やかされてきた。
だからそんな危ない状況を心配してのことかと思って思ったら大間違いだった。
「みんな東京から逃げている。しかしお前は日本人だ。逃げようなんて思うな。
そこにいて日本人らしく死ね」未曾有の惨事だ。
それでも、東電職員も消防署員も命を張って惨事の拡大を食い止めようとしている。
どんな天変地異にも日本人は見えなかった。
みんなで助け合い、支えやって生きてきた。
そういう日本人らしく「振る舞え」と父は言った。
あの時、いの一番に現場から逃げたのは当の欠陥原子炉を作った米GEの社員だった。
一目散に大阪に向かい、飛行機に飛び乗って米国にまで逃げ帰った。
日本人でも逃げたものがいた。山本太郎だ。
彼も大阪に逃げた。
それでも足りずに「フィリピンに逃げる算段をしている」とツイートしている。
騒ぎが収まると売れない俳優は反原発を叫んで政界に乗り出してきた。
今は消費税ゼロの良い日本を実現すると公約する。
でも彼はその日本はかつてあっさり見捨て逃げていったではないか。
言い忘れたが津川雅彦氏は我先に逃げる者を1番嫌っていた。
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黒澤明監督作品この1本
連載8回目にして、ついに黒澤明監督作品である。
だが、誤解しないでいただきたい。
ホイチョイごときが世界の映画史に残る傑作に、論評を加えようとしているのではない。
ただ、普通のおっさんが休日の暇つぶしに黒澤監督の映画を見るとしたら何を見たら良いかを一緒に考える、
それだけのことだ。
黒澤明が障害で監督した映画は30本ある。
この巨大な山脈に登るのは、何か足がかりが必要だ。
かつて松竹に野村芳太郎と言う監督がいた。
山田洋二の上で、「張り込み」や「砂の器」といった数々の傑作をものにした大監督である。
同時に彼は、黒澤が松竹で撮った「スキャンダル」「白痴」で助監督を務め、黒澤明をして「日本一の助監督」
と言わしめた人でもある。
黒澤映画の脚本をを7本手がけた脚本家、橋本が、その著書「複眼の映像」の中で
野村芳太郎からこんなこと言われた、と言う話を書いている。
「黒沢さんにとって、橋本は会ってはいけない男だったんです。
そんな男に会い、「羅生門」なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから
…映画にとって無縁な、思想とか哲学社会性まで作品に持ち込むことになり、
どれもこれも妙に構え、思い、しんどいものになってしまったんです」
野村監督は1974年、「キネマ旬報」のインタビューでこうも語っている。
「黒澤さんは、何か言ってやろうと言う気持ちの強い時と、見せてやろうと言う気持ちの強い時では、
作品の種類が変わってくるんじゃないでしょうか」
世の中には黒澤作品は難解で面白くないと思い込んでる人がいるが、それは「影武者」「乱」のような、
野村芳太郎の言う「何かってやろう」と言う作品しか見てないからであって、
「何か見せてやろう」といった気持ちで作った作品のほうは、理屈抜きにめったやったら面白いのである。
一覧表にその区別を示したので、まずそれを参考にしていただきたい。
黒澤明は1910年東京生まれ。
8人兄弟の末っ子で、旧制中学を卒業した後、学科を目指して芸大を受験したが、
──────────
黒澤明(1910から98)監督デビュー作の「姿三四郎)が内務省審査で審査官から難癖を付けられた際、
立会人の小津安二郎監督が立ち上がり「100点満点として120点」と言った。
──────────
失敗。
それでも、18歳で二科展入選したため、画家としての活動を続ける。
明のすぐ上の兄、丙午は、映画の弁士だったが、映画がトーキーに移りつつあった1933年、
ストライキの委員長に担がれ、板挟みになって自殺。
その兄の影響で、10代の頃から映画を見まくっていた明は、1936年、26歳の時PCL (写真科学研究所の略。
今の東宝の前身)の入社試験を受けて合格。
学歴のない黒澤を強くおしたのが、彼の生涯の師だった。
黒沢の「蝦蟇の油」にこんな話が出てくる。
黒澤明の初めて描いた映画のシナリオは、江戸時代の不良グループを描いた藤森成吉原作の
「水野十郎左衛門」だったが、その中に、主人公の水野が江戸城の表に建てられた法令の立て札を見て、
仲間に法令を伝える場面があった。
黒澤が原作の頭に書いたところ、山本は「小説ならいいが、シナリオはこれでは弱すぎる」と言い、
水野が立て札そのものを引っこ抜いて、担いで仲間のところに持っていき、彼らの前にほっぽり出す、
と言う場面に書き換えて見せた。
黒澤はそれを見て山本を生涯の師と定めたと言う。
──────────この例えを使って
設計の基本、CADを使うといっても基本は手書きで、その手書きを書くときには
全体像をイメージしながら線を引いていく。
そういう考えがCADにも生かされると思う。
CADの場合は伸長収縮が自在にできるからいきなり書き始めても何ら差し支えないが
全体像をイメージする事はあまり少ない。
だから全体像をイメージしないで書くので仕上がりがとんでもないものになる場合がある。
だからCADを使うといっても最初は手書きで練習をしておかなければならないと思う。
例えば、うまく説明できるかどうかわからないが、客先ですぐにイラスト、
簡単な略図を書く場合にCADを普段使っている人はすぐには書けない。
手書きで簡単に書く練習をしておかないと実践には生かされない。
普段の練習も大事だけど、構想も大事だと言う話。
──────────続き
山本監督のこの映画表現(漫画もそうだが)の本質を示すものだと思う。
話はそれるが、僕にもサラリーマン時代、H先輩と言う師匠がいた。
H先輩は既婚者だったが、後に女子大生と浮気でエッチをして、深夜に帰宅した。
着替えようとしてパンツを見ると、浮気相手の生理の血がついている。
H先輩は、妻に浮気がバレないよう、こっそり風呂場に行き、パンツを風呂の残り湯で洗った。
だが、血は冷水でないと落ちない。
落ちない、落ちないと一笑懸命一心不乱に洗っているうちに、「この光景、どこかで見たことがあるぞ」
と気づいた。
考えてみたらそれは、「蜘蛛の巣城」で山田五十鈴が「落ちない落ちない」と一心不乱に手を洗う場面であった。
そこで我が師匠は黒澤映画の奥の深さを知り、僕にも見るように勧めた。
山本のような高潔な師匠の下には黒澤明が生まれ、H先輩のようなふざけた師匠の下には、ホイチョイが生まれる。
残念とは思わないが、その違いはあまりにも大きい。
黒澤映画の娯楽映画の特徴は、それまで日本映画ではあり得なかった超ハッタリ。
「姿三四郎」1943では投げ飛ばされた相手が空中を飛行し
「蜘蛛の巣城」では三船敏郎が数え切れないほどの量の矢で射かけられ、
「椿三十郎」(1962年)の最後の決闘場面ではありえない量の血が噴出する。
黒澤明が「何か見せてやろう」と意気込んで作った作品は、
山本の教え通り、簡潔でスピーディーで視覚的な導入が際立っている。
例えば、監督第1作の「姿三四郎」は主人公の柔道家、三四郎が、
後に仇となる修道館の家の正五郎ではなく、闇討ちを企むライバルの門馬三郎の下に入門するところから始まる。
三四郎はその闇討ちに参加し、門馬一味を片っ端から投げ飛ばす矢野の強さを目のあたりにして、
矢野に弟子入りを申し出るのだ。
映画は、開巻わずか数分で、三四郎の心を見極める目のない若さ、矢野の強さ、
矢野と周りの柔術家の対立関係を、観客にわからせてしまう。
「用心棒」は、三船敏郎扮する素浪人が訪れた村が、ヤクザ同士の血で血を洗う抗争の最中にあることを、
犬が人間の手をくわえて歩いてくるワンカットだけでわからせてしまうし、
「生きる」は、ファーストカットで胃のレントゲン写真を見せ、
主人公が癌で余命がいくばくない状況を説明してしまう。
こうしたスピーディーな導入の決定盤が「椿三十郎」だ。
「椿三十郎」は、加山雄三扮する若侍が、夜、村はずれの社殿の中で、
仲間の侍たちと密談している場面から始まる。
加山雄三は、藩の汚職を告発する意見書を城代家老の叔父のところに持っていったが、
「危ない危ない」と言われて目の前で意見書を破られた。
次に大目付のところに行ったら、「君たちと一緒に立とう、ついてはみんな集めて話を聞かせてくれ」
と言われた、と言う話をする。
若侍たちが「大目付の話がわかる」と喜んでいると、社殿の奥で寝ていた素浪人の三船敏郎が起きてきて「
その話、城代家老が善玉で、大目付が悪人じゃないか」と言う。
で気がつくと、
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三船敏郎(1920から97)16本黒沢映画に出演。
黒澤「表現力のスピードが抜群で、他の俳優が10尺かかる芝居を3尺で表現した」と表した。
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黒澤明が生んだパターン。
例えば「姿三四郎」はスポーツ根性物、「7人の侍」はチーム物の走り。
また、「天国と地獄」の捜査官や誘拐電話の逆探知場面は、後の刑事ドラマのスタンダードになった。
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社殿は大目付の手勢に囲まれている。
この出だしは、必ずしも視覚的ではないが、物語のあらすじをわずか5分で説明した上に
いきなりアクションの見せ場になると言う素晴らしい導入だった。
忘れてならないのが脚本作りのシステムだ。
黒澤映画は、30冊中21本が共同脚本による作品である。
脚本家、橋本は、著書の中でそのシステムについて詳しく書いている。
それによると、黒澤映画は、誰か1人が書いた台本ができると、複数の脚本家が旅館に集まって、
台本をもとに同じ場面をヨーイドンで書くのだそうだ。
そして何人かが書いた脚本の中から、最も優れたものを場面ごとにチョイスして1つにつなげるのだ。
司令塔の役割を果たしたのは、黒澤よりも6つ年上で日本一脚本料が高い脚本家と言われた小国で、
この人はみんなが四苦八苦していても自分は一切かかず、のんびり洋書を読んでいたと言う。
だが例えば、黒澤が書いた「生きる」の脚本を一読して、出来事が時系列で語られるのは退屈だから、
主人公をとっとと死なせて途中から通夜での回想にしようと言ったのは彼である。
黒澤は怒って原稿用紙を40枚位その場で破ったそうだが、結局彼の指示通りに直し、
おかげで「生きる」は傑作になる。
こうした、常に客観性を持った共同作業で脚本が仕上げられているからこそ、
黒澤映画は世界に通用する作品になっているのだ。
黒澤映画を先輩から勧められた小学館の若い編集者が「7人の侍」を見ようとして、
役者が何を言ってるかわからず、挫折したと言う話を聞いたことがある。
確かに、今見られる黒澤映画は、デジタルで修復されていても、音声は劣悪のままで、
セリフが聞き取れない作品が多い。
録音が格段に良くなるのは、画面もシネススコープ化された1958年の「隠し砦の3悪人」からで、
それ以前の作品は、字幕を出さないと話がわからない。
したがって、ここでもお勧めするのは1958年以降の作品になる。
かつてリリー、フランキーは、「どですかでん」(1970年)が1番好き、と書いていたが
(黒澤映画これ以前は白黒で、これが初のカラー作品だ。色が素晴らしい)
この作品をベストと言うのはよほどセンスのいい人なので、参考にならない。
我々が見るなら、「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」が60年代初期の3本に尽きる。
中でも初心者が最もとっつきやすいのは、話題の要素が強い「椿三十郎」だ。
三船敏郎のかっこよさも。
この映画の三船敏郎に来れない人は、映画の面白さとは無縁の人だ。
映画以外に時間を使ったほうがいいと思う。
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今流行のYouTubeの動画であっても、ちゃんと脚本を書いてから動画の編集をしないと
見ていても画像の上手い下手きれいまずい話あったとしてもストーリーが面白くないと見ていてもつまらない。
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週刊新潮 変幻自在 高山正弘
知らないイラン
日本とイラン(ペルシャ)には深い誼があった。
昭和14年、皇太子モハメド、パーレビとエジプトの王女フォージェとの結婚式に
日本は三菱双発輸送機「そよ風」で天皇特使をテヘランに派遣した。
独、伊などからも慶祝の特別機が飛んできたが、パーレビには日本機に特別の感激があったと言う。
イラン人は西洋人と同じアーリア系なのに妙に差別されてきた。
白人なのにイスラムと言うのも嫌われる理由の1つで、ハリウッド映画「300」はイランを魔物の国に描いている。
侮蔑は現代も生きる。
結婚式の翌々年、ドイツがソ連に進行するとソ連への物資輸送に便利だからと
連合軍はイランを占領し、父レザ・シャーはインド洋に島流しにされた。
そこらの土人国並みの扱いだった。
傲慢な白人が世界を仕切る中で、日本は自力で工業化を果たし、
白人しか作れない飛行機まで作って、ここに飛ばしてきた。
日本機は「イラン王室の特別要請で結婚式の分列飛行に特別参加」(大日本航空写真)している。
パーレビ自身も特別な体験がある。
父を追放された後、彼は連合国管理下で皇帝に即位する。
昭和16年末、その挨拶まわりを終えてパンアメリカン機で帰国の途次、あの真珠湾攻撃に遭遇する。
乗機はハワイ島ヒロに降りるが、彼はそこでいつも偉そうに振る舞ってきた白人どもが
青ざめ逃げ惑う姿を確かに見た。
戦後、パーレビは祖国を停滞させてきたイスラムの縛りを立って「アジアの西の日本たれ」と
工業国化を推し進めた。
当時の農民は税を免れるため農地をモスクに寄進してその小作になっていた。
モスクは肥えていた。
米国はモスクの親玉ハメネイ師に経済制裁を科したが、対象の個人資産が十数兆円強もあったのは
そういう背景があるからだ。
近代化にモスクは財政上の障害だった。
皇帝は当時のモスクの親玉ホメイニ師と深刻に対立した。
欧米はしかし皇帝を見捨てた。
中東に「日本」はいらない。
お前らはイスラムの澱にまみれ、石油だけ出していれば良い。
ホメイニ師の抵抗はむしろ歓迎され、国外追放された師の説教はBBCが丁寧にイランに流し続けた。
かくてパーレビが逆に追われた。
ホメイニ師はモスクの財産を守りきったが、それで満足はしなかった。
俺たち坊主でこの国を乗っ取ってみるか。
彼の手先になったのがシーア派狂信者集団、革命防衛隊パスダランだった。
彼らが敵対する共和党派を殺しまくり、企業も大学も役所も支配下に置いた。
その上で「イスラム坊主を指導者と崇め、民は良きイスラム信者となる」憲法草案を国民投票にかけた。
もし通ればコーランに従い飲酒、賭博が禁じられる。
女は髪も素顔も夫以外に見せてはならない。
何より不倫をすれば最も残酷な石打刑に処される。
民はそっぽ向いたが投票に前後してパスダランが米大使館を占拠し、館員を人質に取った。
米のミサイルが今にも飛んできそうな不安が多い中で国民投票は
「坊主専制憲法は99.8%の民が承認した」と発表された。
インチキだと言えば即座に処刑されて殺された。
翌日から本当に不倫女が公開処刑され、酒を隠し持った男が鞭打たれた。それがもう40年続く。
日本人が知るイランはとっくに消え去っていた。
イランの新しい顔パスダランは先日、日本のタンカーを爆破し、米軍の無人偵察機を撃ち落とした。
英タンカーを拿捕した。彼らの狂気はまだ健在なことを示している。
ボルトンは狂気の宗教支配に抗う市民を応援してきた。
「ハメネイが国を変えないなら政権を転覆させるしかない」とも公言した。
あの時ホメイニ師を黙認した米国にも一旦の責任があると考えている。
この問題を朝日新聞の社説は「トランプが悪い」と書く。それはちょっと違う。
ときには滅ぼしたほうがいい政権もあることを知ろう
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週刊新潮から。
日本ルネッサンス
公明党を動かす鍵
いかにして日本を守るのか。憲法改正と改革をどう進めるのか。
安倍自民党は戦略の変更を迫られている。
どの新聞も大きく見出しにとったように自民党は57議席を獲得、
14議席の公明党と合わせて与党は71議席を獲得した。
非改選と合わせて両党で1414、日本維新の会の16を足しても157議席である。
全体の245議席の3分の2 は164とすれば、少なくとも7議席不足だ。
自民、公明、維新が一致協力して憲法改正に取り組むと仮定しても、数が足りない。
それなのに、その苦しい中で公明党の山口はどう見ても憲法改正に後ろ向きだ。
こうした状況について「産経新聞」の前政治部長の石橋文登が語る。
「会見勢力=自民、公明、維新と言う数式にもはや縛られるべきでは無いのです。
共産、立憲民主、社民を外してその他の野党との協力体制で改憲勢力を形成する戦略に切り替える時です。
その方が自公で3分の2を確保するよりも、改憲実現の可能性はあると思います」
自民の113に国民民主の21、維新の16、それに与党系無所属の3を足すと153議席である。
国民民主の全員が自民党と協力する事はありえないために、これは楽観的すぎる数字だ。
それでも、このように自民党が軸足を公明党以外に移すことが大事なのだ。
公明党だけが組む相手ではないことを、実際の行動で示すことが、結果として公明党動かすカギとなるだろう。
安倍首相は選挙戦の後、各社のインタビューに応じ、「2020年には憲法改正を成し遂げたい」と答えた。
このいつもの決意表明に、日本テレビ解説委員長の粕谷賢之が、
20年に憲法改正を施行したいと言う意味かと追加質問した。
総理は、「そうです」と回答した。
「産経新聞」政治部長の佐々木美恵氏は22日一面の記事で、
21日夕、首相が東京、富ヶ谷の私邸で麻生太郎副総理と会談し、
「憲法改正をやるつもりだ」と語ったことを、「今後の1年が勝負の年になる」
との認識を共有したと報じている。
国際情勢の厳しさをよくよく実感している
からこその首相の決意であろう。
その決意を私は大切に思う。
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